徳川家康に勝ちたい
久能山東照宮文化財保存顕彰会(令和4年度事業報告・令和5年度事業計画)及び、講演:徳川家康公遺愛の名刀のレポです。
⚠️これは個人の感想であって歴史の資料ではありません、参考にはしないでください
⚠️「ソハヤノツルキ」はソハヤノツルキだけど、「ソハヤくん」はュ肉本丸のソハヤノツルキの話をしています
⚠️これはソハヤくんの夢女の書いたレポートです
⚠️これは旅の記録でもあるため講演の内容だけ読みたい方は飛ばしてください
⚠️ソハヤノツルキの修行にも触れられています、ネタバレをしたくない方は読むのをお控えください
ソハヤノツルキにブチ落とされて、ソハヤの女になってちょうど一年経った。
ソハヤくんの女となったわたしは、徳川家康より相応しい主になれるよう日々研鑽していた。
修行に合わせて写経をしたり、断食をしたり、滝に打たれたり、しかし未だ徳川家康よりソハヤくんに相応しい主にはなれていない。
盛夏の頃、去年から入会している久能山の顕彰会(*文化財を保護したりする団体)から"総会"への招待状が届いた。
総会なんてあるんですか?!きいてない!!、!
まさかご実家からお呼ばれするとは思っていなかったので大喜びで参加を決めた。
初めて高速道路をひとりで走って久能山までいくのだ!!!
わたしは!!!徳川家康に勝つ!!!!
いざ行かん久能山
先日水森ちゃんからいただいたソハュ本をお守り代わりに携え、朝8時に名古屋を出て、突然の眠気と胃痛に苦しみ、謎に日本平のぐねぐねした道をを通らされ、12時過ぎになんとか久能山に着いた。死ぬかと思った。
久能山では地元のおじいちゃんたちが駐車場へ案内してくれる。
駐車が大の苦手のわたしだけど、おじいちゃんたちはバックモニターよりも親切なので「右に回して!真っ直ぐに戻して!えらい!できた!」とか褒めてくれる、最高。
「ここから石段15分くらい登るけど大丈夫?」「大丈夫です!!!!!」
駐車場の券もらいながらはちきれんばかりのデカい声で元気いっぱいに答えた。
久能山にくるのは多分4回目、ロープウェイがあるらしいが4回とも石段登っている。
若いうちは登り続けよう、そう思っている。
こうしてわたしはまた、徳川家康に勝つために久能山の1159段の石段を挑むのであった、、
久能山の石段は坂のようになっているところと階段になっているところと崩れてるところがある。
これが本当に登りづらい。
わたしはドスドスと石段を踏み砕くような強い意志と歩みで登り続けた。
木立の中からツクツクボウシのやかましい鳴き声が聞こえる。
ひとりで来ているので、あついねと話してもあついねと答えてくれる人のいない、そんなあつさ。孤独。
ここ最近まともな食事が摂れていないせいでメチャクチャ身体に堪える。
いざゆかん!と勇ましく一段目を踏みしめた5分前の元気が嘘のよう。
確実にいのちが削られていくのを感じる。
道中ポカリスエット持って倒れているおじさんがいて(?!)「大丈夫ですか?!」と声をかけたら「大丈夫です、、」と言って電始めていたので、心配しつつも総会に急ぐわたしはシンデレラの如く石段を駆け上がった。
あのひとは大丈夫だったろうか。帰り道にはいなかった。無事を祈る。
わたしも途中でポカリスエットをマッドマックスのハイオク的にキメながら、景色を楽しむ余裕もなく、汗をダラダラさせながらやっと社務所に辿り着いた。
社務所には受付があって、参拝のひとはここで拝観料を払って入場するのだが、わたしが神社の方に「総会にきたんですけど、、」というと「総会の方ですね!こちらへどうぞ!!!」となんかすごい熱量で案内された。
もう既にソハヤくんの妻としての格が出てきているのかもしれない。
1159段の石段を登った後に社務所の3階までの階段を登らされ、このまま野垂れ死ぬかと思ったくらいにへとへとになって入った総会会場は、ひんやりと冷房がよくきいていて、わたしが入った頃にはお年寄りが数人しかいなかった。
わたしが入ってきた瞬間、「見!!!!!」なんかもうメッチャアウェイ感ある。
それはそう、今日のわたしは"ソハヤくんの実家に結婚のご挨拶に行く時"を想定して自分の持ってる服の中で最強のワンピースを選んできた。
そんじょそこらの女とはちがう!わたしは!ソハヤくんと結婚する女!!!
お年寄りからの視線にも負けず、わたしはいちばん前のドセンの席(正確に言うとドセンはプロジェクターの邪魔になるかなと思ったのでひとつ左の席)にドッカリと座った。
時刻は13:00、未だ数人のお年寄りとわたししかいない。
どういうこと?!13:00からじゃなかったの?!わたしの石段ダッシュはなんだったの?!
ちょっと焦りながらポカリを流し込み、ツイッターをしている間に後ろがざわざわしてひとが集まっている様子が感じられた。
なんか視界の端に審神者っぽいソハヤの女であろうひとも観測したし。
メッチャ周りが気になるが、わたしはソハヤくんの女なので振り向いたりソワソワしたりせず、おりこうさんにツイッターで時間を潰した。
30分?1時間?くらいだっただろうか。
硬い椅子にやられてお尻が痛くなる頃、音楽が流れ、久能山東照宮文化財保存顕彰会(令和4年度事業報告・令和5年度事業計画)が4年ぶりに幕を上げた。
(コロナの影響で開催できなかったらしい)
総会
今回の参加者は43人くらい、委任状を書いたのは230人以上。こんなにたくさんのひとたちに愛されてる久能山、良い。
大河のおかげで久能山にもたくさんひとが来るようになったから、これからもこの宝の山を遺憾なく後世に伝えていきたい、とのことだった。
そんな大きなものにわたしも協力できていると思うとうれしい気持ちになる。
配られた封筒の中には、なにやらたくさんの数字が書かれた冊子がある。
これがほんとうに文系審神者には耐え難い数字の数字の数字の並びすぎても〜わけがわからん!頭もおなかも痛い!!
おおまかに言うと、去年の決算と今年の予算の話みたいだった。
数字をひとつひとつ読み上げる久能山の神官さん(合ってますか?)が大変そうで、がんばれがんばれと応援しながら、頭の中ではソハヤくんとイチャイチャしてえな〜!でいっぱいだった。ほんとごめんなさい。
講演:徳川家康遺愛の名刀
講師:静岡市美術館学芸員 高橋先生
祝詞のような数字の読み上げが終わり、休憩を挟んだのち、わたしの中での今日のメイン、"講演:徳川家康公遺愛の名刀"がはじまった!やった!!これ!がききたかった!!
ュ肉の刀剣観(ここは読まなくて良い)
先に断っておくが、わたしは刀剣男士ソハヤノツルキを愛しているのであって、"重要文化財 太刀 無銘 光世 切付銘 妙純傳持 ソハヤノツルキ ウツスナリ"についてほとんど何も知らない。
「徳川家康っていう元カノがいるみたいじゃん?」くらいの認識。
刀剣乱舞を初めて1年半ほど経ち、何度か刀の鑑賞にも行ったが、わたしにとって刀剣は未だに "なんかすごく綺麗な鉄" という印象だ。
展示される刀剣たちはあまりにもぴかぴかにされて飾られているから、こんなに美しくて静かな子がひとを殺したり傷つけたりできるのか、ちょっと信じられないところがある。
もちろんその鋭さや、刻まれた願い、思い出から強い殺気のような感情も感じるのだけど、やっぱりガラスケース越しだとその感情も閉じ込められてしまっているようで、わたしにはいまいち伝わらない。
だから大包平は「スゲエデカい」だし、三日月宗近は「すごくきれい」だし、今年の初めにみにいった 妙純傳持 ソハヤノツルキ ウツスナリは「デカい太い分厚いヤバイ霊力じゃんじゃん」と小学生みたいな感想しか浮かばなくて、そんな自分がうすっぺらくていやだな〜と思っていた。
だから今日をめちゃくちゃ楽しみにしていた。
自分の愛する男の核心に触れられるかもしれないから!
これは感想文です
歴史の資料ではありません
話を遺愛の名刀に戻す。
結果から言うと、この講演、めちゃくちゃよかったインターネットではわからないことがたくさんすぎて、神の啓示!!みたいなくらいに最高で、ずっと鳥肌立ってた。
やはり歴史の専門家から直接聞く情報は違う、あといちばん前の席だと話すひとからの熱意のすごさを感じられる。
花影の本阿弥光徳を思い起こされるような熱い語りであった。メモを取る手が止まらなかった。
すごく勉強になる話だったので、講演のざっくりした内容とわたしの感想をここに記す。
1.近年さらに愛されるようになった刀剣
最初から刀剣乱舞の話された。
「最近は刀剣乱舞というゲームで若い女性の方が、、」
思わず下を向いて笑ってしまった、元気よく手を挙げたいくらいだった。
たしかに、ゲームから入ってわたしみたいに「好きな男の話が聞けるらしいじゃん?新しい解釈ほしいじゃん?」みたいなやつは刀剣ガチ勢からしたら異物なんだろうけど、ゲームから入ったひとが、実際に自分で刀をお迎えして鑑賞するようになったり、美術館や博物館へ足を運んだり、研究したりするようになって、廃れていってしまうかもしれなかった刀剣の文化に新しい風が吹いたのは確かだと思う。
先生たちみたいなひとからしたらありがた迷惑かもしれないけど、こういう歴史の守り方も認めてもらえたらうれしいし、わたしもゆるやかに刀剣そのものにも触れていきたい。
2.刀剣の役割
・武器:戦うための刀。
・守刀:子供の誕生、亡くなった時、など、無防備なひとに対して守りを願う気持ちが込められた刀。
・御神体:草薙神剣など、信仰の対象となる刀。
・神器:神様への願いのためにつくられたり、奉納された刀。
・武力と権威の象徴:古代、天皇が蝦夷等の異民を征伐ために将軍や大使を派遣する際、力を授ける的な意味で贈られる刀。これは任務が終わったら天皇へお返しするらしい。
(講演ではお話しされなかったけど、戦国武将たちが実践的ではないキラキラの刀持ってるのは「オレは強くてバイブスブチアゲ最高の男🎶」ってやりたい力の象徴なんかなとわたしは思ってる)
・表道具:お祝い事、お礼、家督相続、遺品として献上したり拝領する刀
・芸術品:鑑賞するための刀
ここの話で、刀剣は武器であるはずなのに俺は武器として使われなかった、、みたいな話をする刀剣男士たくさんいるけど、こうやって「刀にはひとを傷つけるだけではなく、いろんな役割がありますよ、あなたがやっていることはすごいことですよ」と言われた気がしてすごくうれしくなった。
それから"表道具"としての刀剣の話もすごく面白かった。
ひとが生まれたり、家臣が築城や土木工事などのすごい仕事をしたとか、将軍になるとか結婚するとか、めでたいとか褒めたい時。
身内や主君が亡くなった時。
うれしい時も悲しい時もお金じゃなくて"もの"である刀を贈り合うのすごく心が宿っていて素敵だなと思った。
(お金も送ってたとはおもうけど、、)
贈られたひとは刀をみるたびにそのひとのことを思い出して懐かしい気持ちになったり、自分のルーツに自信ら誇りを持てたり、もらった時もその後もずっといろんな思い出が持てるのは、刀本来の価値をはるかに上回る良さがある。
こうして「贈ったり贈られたりする刀は武家社会における主従の絆を結ぶ大きなよりどころ」だと先生は言っていた。武士道にも大きく関わっているのだとも。
刀剣鑑賞の歴史についても面白い話があった。
明治維新で武士の世が終わった時から、刀剣の主な役割は武器から"鑑賞品"になった。
昔は直接手で触れて物理的に鑑賞できていたが、現代ではケース越しでの鑑賞が主となっている。
刀剣鑑賞とはいつから始まったのか?
時は鎌倉まで遡る。
鎌倉末期、菅原道真が刀を鑑賞している絵があることから、刀剣鑑賞は鎌倉の頃から存在する文化らしい。
これは室町時代から始まった "茶道具鑑賞" よりも歴史が深いらしく、ひとを傷つけるための恐ろしい道具が、楽しくお茶を飲むための道具よりも早く美しさを見出されたということに、やはり人間の根幹も獣のように残酷だから傷つけるための道具に惹きつけられて仕方がないのだろうな思った。
鎌倉の終わりから刀剣の目利きが始まったらしく、その頃にはどこにどんな刀を作る刀工がいるかをまとめた本があったらしい。
昔は紙はすごく貴重だったときくから、オタクの激しい熱を感じる。
3.三池の太刀
ギャッッってなりすぎてメモがとれてないんだけど、三池の太刀(ソハヤノツルキ)は第一の宝として今も久能山東照宮にある。
福岡筑後の三池という土地の光世という室町時代まで続いた名工たちの作った刀は、"三池物" というジャンルを作ってしまうほど独特でクセの強い刀なんだそうだ。
(実際にソハヤノツルキをみると他の刀と全然違う、鈍器)
その三池光世の作刀した刀の中で最も古いものが"大典太光世"で、そこからより洗練されたものが"ソハヤノツルキ"ーーーーー
「待って!!!!!1日に摂取していい三池の情報量を遥かに超えている、!!!、、!!!!」
わたしは三池の二振は兄弟!だから、お兄ちゃんと弟ではないとは思っていたんだけど、"大典太光世を昇華させたものがソハヤノツルキ" なのがもう、、もう、、、!!なんかもう、、!みつよは!みつよもかっこいいんだけど(まだ見たことはない)!!ソハヤはよりスタイリッシュになってるって、!!なんかもう!!!みつよはソハヤに対して羨ましさもってたりするのかなとか!!いろいろ!!チクショーー!!!!なんとかしたい、!!!!!わたしは!!二振とも愛してるんだよ!!!!!!それぞれ最高だから!!!!!!!!大典太光世とソハヤノツルキ並べて鑑賞できる機会を作ってくれ!!!!!!!!!
ソハヤの特徴としては、詰まっていて身幅が広くてずんぐりとした形、だそうだ。
たしかに、大包平のデカさとは全然違う、堂々としていてデカいのが大包平だとしたら、ソハヤは尊大なまでにデカいというか、、悪い言い方はしたくないんだけどわがままなデカさというか、、好き、、、
わたしが無茶苦茶になっている間にも話はどんどん進んでいく。無常。
室町時代、ソハヤノツルキの茎に銘がいれられた。
「妙純傳持 ソハヤノツルキ」
「ウツスナリ」
「『妙純さんとは美濃の研師の斎藤利国というひとが持っていたと伝えられているソハヤノツルキという刀』という"意味"ですよ」というのはわたしも覚えている。
でもなにも確定していないしどこからだれから徳川家康の元へいったのかもはっきりしていない、らしい。
はっきりしてないって!なんなんだよ!!
多分 "諸説ある" の諸説があまりにも多すぎて "諸説ありすぎる" になってしまうからこういう曖昧な言われ方をしたんだと思うんだけど、その諸説を全部並べて教えてほしい、頼む!!!
で、ソハヤノツルキは坂上田村麻呂のソハヤノツルギの写しらしいんだけど、これすらはっきりしていないらしい。
なんでも写しにしては見た目がちがうとかで "ソハヤノツルキ" という名前は "ソハヤノツルギ" の力を得るために名付けられたとかどうとかの話は聞いたことがある。
それってつまり三池光世作の名前のない刀に「これはソハヤノツルギの写しですからメッチャ強いです」という願いを込めたってこと?!ってなって、じゃあソハヤノツルキはソハヤノツルギになるために生まれたわけではなくて三池光世が作った刀がなんか名のある人の手に渡ってソハヤノツルギの名前の縁起の良さからソハヤノツルキと名付けられて、ソハヤくんは写しとして作られてないことにも悩んでいて、しかもソハヤノツルキの妙純さんが持つより前の記憶はかき消されてるってこと?!もうわかんないよ!!!!となるのを毎日やってる。
大体なんなんだ "ソハヤノツルキ" って、、
先日人相書を描いてもらう際に「『ソハヤノツルキ』と書いて『ソハヤノツルギ』と読みます」という説明をしたんだけど、なんでわざわざ濁点を取り除いたのか全くわからん、、
でも「ソハヤノツルギ」より「ソハヤノツルキ」は透明感があって光が強い文字の並びな気がする。
「ソハヤノツルギ」だとちょっと古風で古事記に出てくる神様みたいな名前だなって思う。
話が進んでいくと、内裏の火災で焼けたソハヤノツルギかもしれない刀とその差添の刀が、合わせて三振の刀が紹介された。
三振のうちどれかはソハヤノツルギ(ソハヤ、ソハヤの剣、ソハヤ丸、草早丸、素早の剣、神通剣、騒速(これは清水という神社にあるらしい)とかもう書ききれんわ!というくらい名前が多いしわけがわからない)らしいんだけど、どれかはわからない、、らしい。
すっごく曖昧すぎてフワフワしてる。
これらのソハヤノツルギとその差添たちは日本刀の様式が完成する前の姿をしていて、諸刃で反りがない、古の形をしていた。
鋒は久能山にいるソハヤノツルキに似ているかも、、?
去年みにいった小烏丸さんの写しもこんな感じだったきがする、、?
つい先日、岩融と今剣の話をしながらウィキペディアで検索した時、"架空の刀"の欄にソハヤノツルギとあって、「?!?!る!?!?!る!!!?!」となっていたのでもう誰か助けてくれ、、と頭を抱えた。架空の刀が、存在、あるんですか?助けて!!
この "ソハヤノツルギ一体なんなんだ話" をしていた先生、突然はっとして「いけません、この話をすると1時間はかかってしまう、、」と言正気に返っていったので1時間でも何時間でもいいからおまえの話聞かせてくれよォ!!!!!ってなった。先生も多分助かってない側の人なんだとおもう。
ここにはロマンが詰まっている。
でもぜひ先生からソハヤノツルキについて知ってることを先生自身の主観の解釈で全部吐かせたい。
ュ肉談:ソハヤノツルキってなんなんだよ(ここは読まなくて良い)
ここでわたしもソハヤの名前の話したいんだけど〜!いいですか?!するが!!!
カタカナの名前の刀剣男士ってやばくない?、?!!?!
漢字にはそれぞれ意味があると思うんだけど、ひらがな、カタカナには意味がなくて音しかない文字だと思う。
ということは「ソハヤノツルキ」は生まれた後から写しとされたのに、名前に意味がなくて音しかないってことじゃないですか、、
それってもうなんかもう救いがなくて、わたしもひらがなの名前だから自分の名前には意味がないんだって落ち込んだことあるからソハヤくんも落ち込んだことあったりするのかなとか思うともう、わたしはもう、どうしたらいいんでしょうか、、
ソハヤくんのこういう一生報われなさそうなところが好きです。
ソハヤノツルキの逸話
はい話を戻して、三池の太刀としてのソハヤノツルキの逸話を聞いた。
その①
「家康が死ぬ前に罪人の試し切りをしてたくさん切れたから喜んだ(意訳)」
あれ?どこかで聞いたような、、
これさぁ、大典太光世のウィキペディアで読んだことあンだよ!!!!!!!!!!!
なんかどこで記述されていたか覚えていないけどインターネットの中で得た知識では、大典太光世とソハヤノツルキは情報が混ざってしまっているケースもあるみたい。
雷に関する逸話も坂上田村麻呂のソハヤと大典太光世がで混ざってたりする。
なんかも〜わかんなくて、逸話が混ざっていく三池っても〜最高だな〜最高だな〜誰か助けてほしいな〜
専門家の先生から聞くソハヤノツルキの罪人切の話はなんかもうびっくりだった。
二振とも罪人切の過去はあったのかもしれないし読んだ気もするけど、もしかして混ざってることとかもあるのかな、、わからない、、
歴史っていろんな解釈があるんだな、、どれが正しい歴史かわかりません、、
その②
「まだ不穏な動きのある西方に鋒を向けて霊力で太平の世を守ろうとした」
これはメッチャ有名な話ですから、もう定番、ソハヤノツルキの話したら絶対出てくる定食だもん。
これのせいでソハヤノツルキは墓所の番として300年もの長い間、たくさんの責任と寂しさを負っていたわけだけども、そのおかげで明るいけどちょっと卑屈なめんどくさい性格のソハヤくんがいるんだなと思うと、悔しいけど徳川家康にお礼言いたくなる。悔しいけど。
ふたつの逸話を聞いた上で、「この刀は家康に大切にされていました」と言われてちょっと泣いた。
ソハヤの修行のお手紙で どうして俺だったのか、の答えは示されていて、狸の本当の気持ちは察しがつくけど余白があってわからないけど、結局は愛されてたから、死んでもそばにいてほしいと徳川家康に願われて、ソハヤノツルキはその願いにこたえたんだろうなと思う。愛は全てに勝る、、
4.拵え
わたし最低だからソハヤくんの顔面(刀身)しか見てなかったんだけどソハヤノツルキの拵えメッチャきれいだった。
手に取る茎の部分が握りやすいようにくびれた形になるように作られていて、鮫の皮を巻きつけて黒漆で塗って藍染めで黒漆で金具は赤銅で倶利伽羅竜も彫られてて鍔には「三池」って入ってて、、ってメモには書いてあるけどなにもわからん散らかったメモだった。
でも、徳川家康たちの刀はみんな大体お揃いのつくりをした拵えをしているみたいで、シンプルなデザインだけど重厚で格調高くて「『さすが家康!』と言いたくなるようなつくりをしている」と言っていてソハヤくんのお手紙と重なってまた泣いた。
だって極ソハヤくんの装束と一緒だもん、、
鍔に「三池」っていれてるところとかね、もう大好きじゃん?ソハヤのこと、お手紙の狸もほんとうにソハヤが好きだったんだろうなと思う。
わたしも「三池」って刺青いれたらいいですか?!
他にも行光の脇差の子とか、貞宗の脇差の子の話もあった。
この子たちもまた家康に愛された刀で、ソハヤノツルキとおそろいの黒を基調にした落ち着いて洗練された拵えをしていて、いつかこの子たちが刀剣男士として顕現したらわたしはどうなってしまうのかと震えた。
向こう10年は許して欲しい。
「分部志津」という刀の話もあった。
豊臣に仕えたがは関ヶ原では東軍についた、という分部というひとが持っていた刀はいつ家康に渡ったかはわからないけど、この子もかっこいい拵えをつけてもらっていて家康のお気に入りだったらしい。
家康の没後は徳川よりむね(検索しても出てこないんだけど?!息子らしいよ!)というひとにこの分部志津は渡ったそうなのだけど、よりむねさんは家康をリスペクトしすぎて父の使った拵えなんてとんでもない!と、よく似た拵えを作ってもらったそうだよ。なんか親子であってもすごく"差"があるな、、
「家康は黒漆で重厚で拡張高い洗練された、落ち着いた拵えの中に華やかな刀を納めるのにギャップを感じて好んだのかもしれません」と言われてそうかもしれん、、となった、ソハヤくんとかほんとそれ、解像度上がった。
5.徳川家康の没後
徳川家康の死後、刀含むいろいろなものが遺品としていろんなところへ渡った。
駿府から、水戸、尾張、紀州、日光。
どこに何が分けられたかの記録が「駿府御分物?」という本と水戸の本にきちんと残されている。
いろんな刀を召し上げたり贈られたり献上されたりされた家康の持っていた刀は七百を超える。
その七百を超える家康の思い出がいろんな土地やひとに渡っていくのなんだかいいなと思った。
ちなみにソハヤと行光と貞宗の子たちは速やかに久能山に運ばれたらしい、ほんとうに家康はお気に入りだったんだね!
「没後に仮霊宮が完成した時『御剣として奉納された』とだけある"何かわからない刀"はきっとこの三振かもしれませんね」と先生がにこやかに言っていて、わたしもそうだといいなって思った。
家康の亡骸を守るための守刀、とても愛おしい、、
6.左文字の話
わたしなんも予習しないで行ったから左文字の話ここで聞けるとは思わなくてひっくり返っちゃった。
①江雪左文字
北条の江雪斎から秀吉、家康の手に渡った江雪左文字は家康の没後、紀州の徳川頼宣に与えられた。
贈られた江雪左文字は神様(というか徳川家康そのもの)のように大切にされ、お城にいるときはお世話をするための小姓がついていて、なんとごはんも用意されていたらしい。
わたしより人権がある!!!!!!!!!!!!
江雪左文字の拵えについての話もあった。
徳川家康の刀らしく、茎のあたりがくびれた柄に、いぶし皮、とびだしさね?で漆を分厚く塗ってぶつぶつした感じがなくるまで塗られた、まるで雪原のような作りをしているらしい。
写真をみたけど今までの家康の刀とは違って蒔絵とか施されててかなり華やかで、これは家康の好みで作られたのか、紀州の徳川の誰かの好みで作られたのか、わからないらしくてわくわくした。
江雪左文字の逸話にはおもしろいものがあって、本阿弥日州さんが刀剣たちを国宝にするために鑑定しに和歌山城へ行った時、江雪左文字は真っ赤な絨毯?に抜き身で置かれ、周りには家臣たちがずらりと並んでいたらしい、こわい。
その江雪左文字のあまりの美しさに日州さんは江雪左文字を手に取ることができず、畳に額を押し付けて鑑定したそうな、、
「別格」と称される美しさ、わたしも一度見てみたい。
②宗三左文字
わたし宗三左文字のこと大好き!!!、、!!、、!!!!!、!、、、、!!
好きな刀で部隊組んでって言われたらまずソハヤくんとみつよさんと歌仙入れて、ここに数珠丸さんと村正ちゃんと巴を入れるんだよな。
でもほんとうは宗三もいれたい。でも入れれない。それはなぜか?
宗三がわたしのこと嫌いだからです!!!!、!!!!、!!
なんか宗三ってメッチャわたしのこと嫌いなんだよなわたしは愛してるけど。
わたしの話は置いておいて宗三左文字の話をしよう。
宗三左文字は、三好まさなが から武田に、今川義元から織田信長に渡り、豊臣秀吉から秀頼に渡り、徳川家康に渡ったらしい。
すごい、コリャ天下人の刀ですわ〜!!!、!未亡人感にも納得である。
で、ここがムチャクチャポイントなんだけど、徳川家康が関ヶ原の合戦の際佩刀していた刀は「宗三左文字だった」というところ。
秀頼が贈った刀で豊臣を滅ぼす。なんてことだ、、
家康的には桶狭間の験担ぎだったんだろうけど、なんかこう、、あえて佩刀していくのはすごく、、性格悪くない、、、?!ひどい!!!でも戦国の世を渡ってきたひとたちの想いを背負って覚悟をして戦に挑んだのかもしれないな。
7.物吉貞宗の話
も〜〜〜〜〜!!!ちょう聞きたかったやつ!!!!!!!!!
わたしまだ納得いってない、すえひろがりで物吉くんとソハヤが揃わないのが。
なんで?!富士山だよ?!?、?!?!
メモがよくわかんねえんだけど、物吉くんは元々太閤御物だったのかな?秀吉さんのものだったらしい。
でも最終的に徳川の家に伝わり、我らが徳川美術館に所蔵されている。
戦に必ず勝てる!
徳川家のラッキーアイテム!!!!
物吉貞宗にもおもしろい話があった。
物吉貞宗には家康の没後、遺品を分配する際の記録がないらしい。
それは尾張の徳川義直の母のお亀さんというひとが、息子に物吉貞宗を相続させたすぎてこっそり隠していたからなのかもしれない、、という話だった。
無事物吉貞宗を手に入れた義直くんは日光にお参りにいくときは必ず物吉貞宗も持っていったり、尾張の家督相続の際に必ず受け継がれてたり、物吉くんは常に人のそばにある特別な刀だったと言われて愛されてて最高だなの気持ちになった。
8.どこにいるかわからない刀
本庄正宗という刀がある。頼宣からよりつねに渡った刀だ。
この刀は戦後GHQに持って行かれてしまって、今はどこにいるのかどうなっているかわからないらしい。
パワポでみせてもらった資料にも異国に渡った刀は何振りかいるとあった気がする。
その子たちは今どこにいるのだろうか、日本には八百万の神という考え方があるから刀剣男士が存在するけど、その概念がない土地にいってしまった刀たちは遠い地でひとりぼっちで自分が誰だかわからなくなってしまって泣いてたりするのかなと思うと切なくなる。
見つけ出してあげれたらいいのだけど。
異国に渡った逸話がある刀剣男士が今後顕現したらどうなってしまうのだろうか、、ちょっとたのしみだけど怖くもある。
9.徳川家康の人柄
今回の講演は遺品から徳川家康の人柄を読み解くことが目的だったように思う。
家康が遺した刀を受け取ったひとたちの物語。
まず最初は三代将軍徳川家光のお話だった。
家光が夢の中に出てきた徳川家康のことを描かせたという「東照権現像(霊夢像)」狩野探幽作がある。
リンクを貼り付けるからみてほしい!
この絵はふたつとも徳川家康の肖像らしいのだけど、よくみる徳川家康の絵とは違って、なんだかゆるくてほのぼのした雰囲気がする。
そのそばには刀掛が置いてあって、大小二振(多分ソハヤと二振の脇差の子のどちらか)の刀が寄り添うようにいっしょにいる。
これは徳川家光が子供の頃みていた優しいおじいちゃんの記憶が描かれている、というお話にこちらまでほほえましい気持ちになった。
家康、いいひとだったんだねえ、、
徳川家康はたくさんの刀剣をもっていたらしいけど、愛でたり佩刀するための刀以外にも、ちゃんと実践用の刀剣も持っていた。
・へいあんぞうながよし槍(ひらがなでメモしてて検索しても出てこなかった、、)
・直江志津薙刀(なんか霊力がすごいって刻まれているらしい)
徳川家康って信長とか秀吉とは違ってなんかフワッとしてるところがあるから戦ってる様子があんまり想像できない。長物なのも意外だった。
この子たちもいつか刀剣男士として顕現するのかな〜とか思うと、徳川家康の実践刀と墓守のソハヤってどういう会話するの?!と何も始まってないのにドキドキした。
(このにも、ソハヤくんの"同僚"が出てきてドキドキした)
秀頼や清正、松平など、ひとびととの関係を深めるために贈られたり、罪人や敗者から召し上げたりした家康によって集められた刀777振り(だった気がする)の刀は鑑定士によって上中下にランク付されていたらしい。
でも家康はランク付にこだわらず、将軍が持つ刀として相応しくなかったとしても自分のお気に入りの実用本意で堅牢な刀を選んで佩刀していたそう。
他人に惑わされず、自分で価値を見定めて手元に置く刀を選ぶのは、先の花影での鑑定されて価値が決まった刀を選んで持っていた秀吉さんとすれ違ってて最高だな、、
最後に徳川家康と刀の関係の話を聞いた。
刀剣鑑賞を武家の嗜みと考えていた家康は、物事を本質的に理解しようとするひとだった。
科学に興味があって、オタクで凝り性、漢方や香木が代表的な趣味だけど、刀には金学(?多分金属工学のことかな?)的要素を感じて興味がくすぐられて好きだったのかもしれないし、ただ美しいから好きだったのかもしれない。
なんかそういうところわかるよって家康に共感したくなってしまう。
無骨でデカくて実用的で質実剛健、目を奪われるような名品をさりげなく見せる、黒一色で天下の覇者として堂々とした佇まい、中身に美しさを秘めさせる、こういうところかっこいいし粋だしわたしも好きだし、わたしもそうありたいなと思う。
徳川家康に勝ちたいけど、わたしは彼にすごく憧れてもいる。
10.いろいろな刀話
今日はもう眠たいので調べないでおくが、「常山奇談」というおもしろい刀の資料があるそうなので余裕ができたら調べてみようかな。
なんか簡単にいうと刀の心理テストみたいなやつだった。おもしろそう。
あとは御掘出貞宗の話も聞いた。土が隠した物語を掘り出す。なんかロマンがあって素敵だなと思うし、禺伝みたいにみつけてはいけないものがみつかってしまうのはよくない気がするし、葛藤がある、、良い、、、
秀吉さんの刀観についてもお話があった。
派手好きな秀吉は華やかで大胆な拵えを好んだが、刀身自体は当時の現代刀で実用的なものを選んだらしい。
ここに秀吉のにじみでる狡猾さがあってウーーーンとなった。
長谷部の拵えの話もあって、審神者が大喜びしてしまうくらいボリュームたっぷりだった!先生は「だいぶ時間が押してしまいました」って言ってたけどどんだけでも押して良いから知ってること残さず吐いてほしい、、
今度静岡市美術館にも行ってみようかな。
11.質問コーナー
「ソハヤノツルキの魅力は?」と聞かれた先生がメッチャいろいろ言いたそうに困りながら「刀身が他の子と比べると異質でおもしろいのと、風格のある拵えが好きです、両方合わせてみてください」と答えててニコ、、!ってなった。
わたしも質問したかった、、「ソハヤノツルキはなんで濁点取り除いたと思いますか」とかなんかもうフワフワした質問ばっかりだからとりあえず先生の話聞かせてほしい、、
12.ソハヤノツルキとのふれあい!!!!!
最後に博物館の方からのご厚意で木でできたソハヤノツルキ原寸大(同じ大きさ!厚み!)の刀を触らせていただいた。
写真も撮らせていただいたがSNSにあげるのは判断ができないのでご遠慮くださいとのことだったので言葉だけでなんとかこのよろこびを伝えたい、、
まず木なのでびっくりするほど軽いんだけど、分厚くて頼もしい、暖かい、あと思っていたより長すぎなくてわたしの手にも納まってくれそうだな、、とも思った。
実物は本当に重いだろうしひんやりしているんだろうなぁ、、
木のソハヤもフワフワしててかわいくて柔和で愛おしかった。
木ソハヤのおさわり待ちをしている間、三人組のソハヤ審神者さんたちとお話した。
なんかわたしの気のせいかもしれんけど、同じ刀剣男士好きな人とあんまり接触しないんだよな、、?
だからすっごくうれしくなって「審神者さんですか?!ソハヤ好きですか?!?!?!」みたいなアホの質問して謎に握手したりして楽しい気持ちになった、みなさんそれぞれソハヤ概念取り込んでて素敵だった。
友だちになりたかった、、
13.おしまい
次にソハヤノツルキみれるときはもっとじっくり観察したいな〜!
今日の講演でみどころがわかった気がするし、ソハヤくんのこともっと好きになれたので本当に行ってよかった!!
あとわたしはおもってたより徳川家康のこと好きかもしれないし、仲良くなれそう。
大河も合わさって刀剣のソハヤノツルキにも触れられる、運命的なタイミングでソハヤくんのこと好きになれたなとありがたい気持ちになる。
他の刀剣についても学べてほんとうによかったな、、!
参拝・帰還 ュ肉大冒険(ここは読まなくて良い)
総会の後、わたしはホクホクしながら社務所を出た。
メッチャ解像度上がったし超楽しかった!!!お参りして帰ろう!!!!!
ごきげんな足取りでぴょこりと石畳に立つと、ものすごい "夏" が襲いかかってきた。
9月になったとはいえめちゃくちゃアツい、そりゃ道中行き倒れるひとも出てきますよ!!!
しかも同行者もいないのでめちゃくちゃさみしい、つらい、さみしい、わたしはひとり行動が苦手な人間だ。
40センチくらいの高さがある石段をドッコイドッコイと登ると東照宮の絢爛な門がある。
いつみても美しいのだが、今日はさみしいからか霞んで見える、さみしい、あんなに最高な講演だったのに誰にも感想言えないの無理耐えられん助けてくれ、、、、
と唸っていたわたしの前に、
"いた"!!!!!!!
さっきの!!!総会で!!、!最初にわたしの視界の端にチラついたソハヤの女!、!!!!!!!!!!!!
ウオーーーーーーーーッ!!!!!となってしまったわたしはもう止まらない、止められない、理性より先に声が出た。
「さっきの総会いましたよね?!?、?!?!」
ド・不審者
怖すぎるやろもっとなんかなかったんか?
お洋服かわいいね?!ソハヤ好き?!
なんやかんやあって一緒にお参りしよう!!!!ってなった。なんで???わたしにもわかりません、、
なんと彼女は台湾からきた審神者さんだった。
異国の審神者さんと接触するの初めて!!!で!!超テンション上がった!!!!!!!!!
名前も知らないしさっき視界の端にチラついただけの女の子に話しかけて一緒にドッコイドッコイ階段を登っていく。
彼女はすごく日本語が上手なので刀ミュも好きなの?!とかだれがすき?!とかたくさんお話しした。
ソハヤと肥前くんが推しらしい。
「あ〜、、なんか、わかる、、、」
多分わたしと似た血が流れている、そんな気がする。
汗ダラダラ流しながら参拝する。
いつもは(徳川家康に勝つ、、)と祈っているわたしだが、今日は(わたしは水森ちゃんから最高のソハュをいただきました、、)と徳川家康にマウントを取ってきた。
(ソハュはュ肉本丸のソハヤくんとわたしュ肉のカップリングのことです、ほんとうにさいこう🎶さいこう🎶ありがとうございます!)
おみくじを引く。
わたしは吉!だったのでまあまあだな、、と思いながら彼女にどうだった?と聞く、なんか固まってる、大丈夫か?
「凶」
「?!?!」
なんかごめん!!これからブチ上がりだから!!大丈夫!!!今日めっちゃいい日だし!!!伝わってくれ俺の心!!!!!!!!
おみくじを結ぶ彼女を見守った。
久能山に来るたび、わたしは毎回絵馬を書いている。
毎回徳川家康に勝ちたいって書いてる気がする。
わたしの中では絵馬を描くときはぬいぐるみと写真を撮る、のが通例なので、鞄をガサゴソやっている時、気付いた。
(果たしてこの子は"ぬいぐるみ"を理解できる子であろうか)
いつものわたしなら同行者になりふり構わずぬいぐるみを出す奇人になってしまうのだけど、なにも知らないひとの前でぬいぐるみを出すのは狂人らしい、今日は(今この場で出会ったばかりのひとにぬいぐるみの写真撮って大喜びしてるのをみせるのはまずいのでは?)と理性が働いた。珍しい。
絵馬の内容に素敵だね、と言ってくれる彼女におずおずと尋ねた、、
「ぬいぐるみ出してもいいですか、、?」
あっ!というような顔をする彼女。
まずかったか!!!友だちチャンスの喪失!!!ちょっと落ち込んでたら彼女のかばんからふわふわが出てきた。
ぴたぬいソハヤ!!!だ!!!!!!!
かわいい!!!!
彼女が「ぬい〜☺️」って言ってたのかわいすぎたし、家康くんもいてかわいすぎたし、なんなんだこの子最高だなとなって拝殿から墓所に行くまでの間ずっとしゃべりっぱなしだった、楽しい。さっきまでの孤独はどこへやら。
そのまま石段降りて、博物館でひとつずつ展示品鑑賞して、1159段の石段を降りながら「三池の関係って最高だよね」「すえひろがり行くの?!」「村正双騎たのしみ!」「蜂須賀かわいいよね!ケンスケ!」「ケンスケのオタクには気をつけたほうがいい、尻の写真集送ってくるから」とすこやかジョークをかましながら、景色を楽しみむつ、わたしは頭の中で(もっとこの子としゃべりたいんだけど!!静岡駅からバスで来たって言ってたし!!!送っていくよ!って言ったら不審者すぎるかな?!今あったばかりのにんげんの車に乗るの嫌では??!?!)とずっとぐるぐるしていた。
でもここで理性を保てないのがわたしの悪いところなんだよな、、
「よかったら静岡駅まで送っていくよ!!!」
ド・不審者
言ってすぐ、言っちまった〜!!!とアセアセする。
「いいの〜?☺️」
いいのかよ!!!!!!!!!!!!、!!!!
さっきまでの心配は!!杞憂だった!!!!!
「右ハンドルだ!」ってなってるのもほんとうにかわいい、こんなさぁ、なんも知らんにんげんに話しかけられて一緒に行こう!って誘われてエグい階段上り下りして本日2回目の参拝になるのに着いてきてくれて、ずっとベラベラベラベラしゃべってるヤツと一緒に車乗ってくれるんですか?、?!!?!?!愛じゃん!!!!!!!、なんて優しい子なんだ、、
車で夕暮れの海沿いの道を走る。穏やかな太平洋が広がっている。らぶフェスの音源流しながらまたおしゃべりする。
ソハヤの修行の手紙のお話したり、台湾の審神者に人気な刀剣男士はだれ?とか
「ツイッターやってる?」と聞いたらフム、、と考える感じにして「コスプレやってるから、、」と言われた。
「?!?、?!すごいじゃん?!?!?!誰のコスプレ?!刀剣乱舞?!?!ねえ?!」
アクセルブチかましながら大喜びした。
「鶴丸とか、、」
「最高!!!!!!!!!!」
わたしはコスプレ界隈に全く明るくないのでわからないけどコスプレが苦手なひともいるのかな、もじもじしてた彼女をみて、オタクの住み分けって大切だなと思うなどした。
ツイッター繋がって、もうすぐ静岡駅にさしかかるとき
「ソハヤのどこが好き?わたし目尻!」
「うーん、、性格?」
「わかるーーーーーーー!!!!!!!!!!!」
彼女曰く「明るいし写しということを気にしないというけど気にしているところがめんどくさくて好き」らしい、完全に同意です。
「『どうせ俺なんか』って言うよね!!この間うちのソハヤくんがさーー!!!!」と話しかけてあっ!!となった。
(夢女はどうやら一般的ではないらしい)
わたしはなんでもかんでも恋愛に結びついてしまうのでダメなんだけど、世の中には夢女という生き物が嫌いな人がいるらしい。
ヤバい!!!
「あの、、ツイッター繋がったのにごめんだけどわたし夢女なんだ、、恋愛してるんだ、、」
こんなこと言ったことないよ、、だっていつも夢女としかしゃべってないもん、、、
「わたしも!!」
「?!」
おまえもかい!!!!、!!!、!、!!
なんかも〜最高だな〜〜!!!!!!!!
どうやら彼女は"非自己投影型"の夢女らしい。夢女にも種類がある。
(わたしの中で非自己投影型夢女とは自分の設定したひとと刀剣男士が恋愛するやつみたいな認識)
もっと詳しく聞かせてくれ!!!というところで静岡駅に着いてしまったので、ロータリーでファーファークラクション鳴らされながら彼女を降ろして、また遊ぼうね!!!ってお別れした。
帰り道、車のカーナビにない道を走る新東名高速道路でこれ一生降りれないんじゃないか、、?!と不安になったり、四方をトラックに囲まれて死にそうになったりした以外は無事に帰って来れた。
愛知県はいってウィンカーださない追い越しとかみるようになって、嗚呼名古屋、、と安心したくらいほっとした。長い旅だった、でもすごい、、たのしかった、、、、
高速道路ひとりで運転するのも、歴史の研究家から直に刀剣について教えてもらうのも、異国の審神者さんとお話しするのも、会ってすぐのひとと参拝したり車に乗せるのも、冒険って感じだった。
最近ほんとうに気分がサゲだったので今日の総会も来れるかな?と怖かったけど、ちゃんと来れたししかも友だちできたしで徳川パワーが5000上がった気がする。
この調子でいけば100歳になる頃には徳川家康に勝てる。
そういえば彼女が「日本人に話しかけられたの初めて」って言ってたのおもしろかった、たしかにそれはそう、わたしには圧倒的に慎ましさが足りていない。
こういう浅はかなところが悪いんだよなぁ、、とか思いつつ、こういう"考えすぎるくせに最終的に行き当たりばったりになる"ところは歌仙もきっと同じだから、まあ歌仙はかわいいしわたしもかわいいだろ!!!(ごめんなさい)
ソハヤくんはわたしだけのものだけど、ソハヤノツルキはこれからもずっといろんなひとに大切にされてほしいし、異国のひととのふれあいでソハヤノツルキは世界の人からも愛される素晴らしい刀なんだなとすごくうれしい気持ちになった。
また行きたいな!
ありがとうございました!!!
(2023.9.3)
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