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ファストリ 柳井正: 無限の成長欲で10兆円のカリスマへ

グローバルで”消費者”にモノを売って、成長し続ける数少ない日本発企業がユニクロを運営する「ファーストリテイリング」だと思う。

業界でのポジション

会社HPに「業界でのポジション」というページを載せているのも珍しく面白い。海外企業との対比を業績・時価総額で載せているところから、並々ならぬグローバルで勝つことへの意識と自信を感じる。

「ひょっとしたら世界一になれるかもしれない」と1%の確率から始まったという柳井氏の旅路は、年々「世界一になれるかもしれない」確率が上がっていき、ついにコロナのときには

時間の問題です

成毛眞 with 楠木建「トップ経営者 × 企業戦略の未来」

と言い切ったという。

そんな実質1代で10兆円のグローバル企業を作った稀代の起業家である柳井氏だが、孫さんのような昔から神童だったり、異質さを匂わせる伝説エピソードがあるわけではない。

良い意味で普通な感じで現実的である。

いまの子もそうだと思うけど、将来に対してどうのこうのということは、ほとんど考えていなかったです。いまの子もほとんどそうだと思うんですけど。

考えている方が、おかしいんじゃないですか(笑)。小学生や中学生で、そんなこと考えていたら、おかしいですよね。

個人的なユニクロ主義

一方、柳井氏の好きな言葉や印象的な発言として、

泳げない者は沈めばいい

世界標準は自ら作り出すもの 1%でも可能性あるなら挑戦する

成長しなければ死んだも同然である

と、このレベルの経営者なら当たり前にストイックなチョイスもしており、人間的にも気になると思い、柳井氏を徹底研究してみた。

※この記事は1.4万字ほどあるので、興味ある箇所だけや、いいねで保存して後で読んだりいただけると幸いです。


初期

柳井氏は小さい頃、「山川」というあだ名だった。それは「山」って言われたら「川」と言うような、オトナに対しても「違う」と思ったら反対意見を言いたがる子どもだったからだという。

しかし、それ以外は成績も中の上くらい、給食や弁当が好きなおとなしい子で、本人も認めるほどきれいに埋没していた。

大学進学も同級生や友だちが行くからという理由で行くことにし、早稲田に入学する。

入学後も当時は学生運動全盛だが、それにも参加せず、麻雀やパチンコでひまをつぶしていた。

当時を振り返っての発言は、とても後に10兆円の会社を作る人とは思えなく面白い。

とにかく、当時は、何もしたくなかった。仕事もしたくないし、勉強もしたくない。だらだらだらだら、生活をしていたという感じですよね。

個人的なユニクロ主義

ただ昔から一貫しているのは、サラリーマンになりたいとは思ってなかったことと、自営業をしていた父からの「自分で商売するのが、いちばんいいよ」という言葉を気に入っていたことだ。

とはいえ、とにかく無為に過ごしていた柳井氏は卒業後も就職せず、父親のすすめでジャスコに入社し、紳士服売り場に配属された。だがやる気が起きずジャスコは9ヶ月くらいでやめてしまった。

アメリカに行こうともしていたが、父親から「結婚を認めるから帰って来い」と言われ、地元・宇部に戻って紳士服の小郡商事を継ぐことに。

紳士服店からユニクロへ

故郷に戻って小郡商事を継いだ柳井氏は23歳。引き継いだときの状態は、紳士服店1店とVANショップ1店を持つ売上1億円の会社だった。

ユニクロ 柳井正最後の破壊

入社後、柳井氏は社員と話し合い、上記の紙に「今後10年の経営方針!!」と経営のあり方をまとめた。

零細企業だったが目標は高かった。「家業から企業への転換」「科学的経営の確立」「年率20%アップの売上、粗利益、純利益の確保をはたす」等だ。

だが、目標が高くジャスコで効率的な小売業をかじった柳井氏は、継いだ店舗の効率の悪さを感じ、従業員に「こうするべきだ」と言い始める。すると、もともと6人いた従業員は相次いで辞めていき、1人だけになってしまった。

そんな状態でも父は何も口出してこなかった。それどころか、ある日大事な通帳と実印を渡される。このときに柳井氏の覚悟が決まり、商売の基本を回せるようになってきた。

経営者には「覚悟」がいると思ったのもこの頃だったが、一生かけても年商30億円だと思っていたのがリアルだ。

人口17万人しかいない、地方都市の商店街の紳士服店です。当時の現実から考えたら、自分が一生かけても年商30億円、30店ほどの会社くらいになれればいいかなと思ってた

「いつも心は折れそうだけど」 柳井正氏の自分論

当時、郊外型店舗の勃興期にあり同じ紳士服業態の「青山」などが上場していく中で、自社の紳士服では限界も感じ始めていた。

そんな限界感から、多店舗化に適した業態を探して、「低価格紳士服店」「婦人服店」など手を出すが失敗を重ねる。

同時に色々模索していたのもあり、情報収集・リサーチを徹底。

具体的には、

  • 最新の情報を知るためにファッション・雑貨の雑誌をくまなく読む

  • 海外旅行にも毎年出かけて商店街をめぐり、当時の先進的な小売業、エスプリ、ベネトン、ギャップ、リミテッド、ネクストなどのチェーン店を見る

ことから刺激を受けていた。

こうした試行錯誤と情報収集を続けた末にヒントを2つ掴む。

1つは、ある経営書で目にした「米国の百貨店で最も効率が良いのは『バジェット・スポーツウェア』売り場である」という一文からだった。つまり、高価格のスーツより、低価格のカジュアル衣料の方が儲かるという気付きを得る。

もう1つは、この時期に米国の大学生協に立ち寄ったこと。

生協では、学生が欲しいものをすぐにでも手に入れられるような品揃えと、接客が要らないセルフサービスで展開していた。

このセルフサービスを参考にし、カジュアルウェアの大型店を着想。書店やレコードショップのように、特段接客することなく客が好きなように商品を手にとって買い物をできる店を考えた。

こうして「低価格のカジュアル衣料」を「いつでも服を選べる巨大な倉庫」として提供する「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」(=ユニクロ)が誕生。

ユニクロ1号店

商品は1,000円と1,900円の2プライスが中心で、開店後2日間は入場制限を行う大盛況だった。このユニクロ誕生は、ちょうど柳井氏が継いで12年が経った頃(35歳)だった。

このユニクロを作った前後で決定的な経験をし、現実から考えるのではなく、夢から考えるように変わり、目標が大きくなった。

これだけ頑張っているのに、どうして成長しないのか。原因を考えたら、そうか、行き先を決めてなかったなと。

柳井正"現実から考えること"を止めたワケ

米コングロマリットの経営者が著した「プロフェッショナルマネジャー」を読んで、ものすごい衝撃を受けました。(略)この本には努力するだけでは、そこそこのところまでも行けないと書いてある。ではどうすればいいのか。最終目標を決めて、到達する方法を考えるのが経営だというのです。

柳井 正氏[ファーストリテイリング会長兼CEO] 努力だけでは成功しない

ユニクロの深化

1号店の成功でいけそうとなったため、店舗を増やしていく。賃貸物件を物色していると、郊外に空いた店を見つけ、そこへ3店舗目を出店。

この初めての郊外店への出店をきっかけに、柳井氏は「すごい鉱脈を掘り当てた」と手応えを掴み、その後のユニクロの方針につながる気づきを3つ得る。

1つは、カジュアルは年齢も性別も関係なく需要があること。自動車社会の到来で、遠くからでも車に乗って2-30代のファミリーやカップルが買いに来てくれたのだ。元々出店していた市街地の店舗では、メンズの10代向けだったのに、郊外型店では違う客層が来て、想定よりもっと幅広い顧客層が対象だと気づいた。

2つ目は、トレンドものよりベーシックなものに需要が大きいということ。以後、ユニクロの想定顧客を年齢問わずユニセックスにし、ベーシックな商品を揃えることに。

3つ目は、郊外型店のほうが、市街地の店舗よりも良く売れること。市街地のビルに入ってるテナント店より、郊外型店のほうが「買おう」という目的意識の強い客がくるため、買い上げ率が高かった。

これらの気付きから、ベーシックなものを老若男女問わず郊外型店を中心に展開するユニクロの当面の方針が固まる。

気づきは連鎖する。柳井氏は、そんなカジュアルウェアの”完成度”を上げれば、どんな服装にも合わせられるようになる。そんな男女関係なく着られるユニセックスなカジュアルウェアが大量に売れれば、大成功すると考えた。

ノンエイジ・ユニセックスの商売の潜在力を確信した瞬間だった。

しかし、メーカーから仕入れる商品は安いが品質は二の次なため、それを実現するには自分たちで商品を作るしかないと、自社商品を作りたいと思うようになる。

今ではSPAのイメージが定着したユニクロだが、まだこの頃はメーカーから完成品を仕入れる小売業者だった。

グローバルにSPAを構築

芽生えた自社製品を作りたいとの思いから、初めは自社企画商品をメーカー経由で、海外で作ってもらうよう着手。

しかしこのやり方だと、品質管理ができない上に、仕入れ値が低いため工場はまともな商品を作ろうとすると儲からなくなるので、質の低い商品しか作れなかった。

そんなとき、小売店の視察に香港へいくと、香港のSPA「ジョルダーノ」のポロシャツが低価格なのに品質が良いなと目に止まる。「これだ」と思った柳井氏は、ジョルダーノ創業者のジミー・ライに会いに行った。

そこで柳井氏は”自分にもできる”、という感覚を得る。

彼は、アメリカの衣料品専門店チェーン「リミテッド」のセーターの生産も請け負っていた。彼は、ぼくと同じ年齢。失礼を承知で言うと、パッと見は大したことないオッサンが大したことをやっているな、という感じだった。「この人にできて、ぼくにできないはずはない」。そう思った。

一勝九敗

そこからメーカーや商社を介さず、生産工場と直接取引をし自分たちで生産管理をすると同時に、アパレル業界では軽視される”完全買い取り”を約束。

工場から有利な条件を引き出しながら、自社製品を作っていくことに。

さらに、自前の工場を持たないので臨機応変に委託先を変えられることによって、常に最善な工場網を築くことができ、高品質・低価格を保てるようにした。

ここから時間をかけてSPAを作り強化していくわけだが、丁度国有企業の払い下げが行われていた時代のタイミングと、意欲のある協力先と組めたのも成功につながった。

当時は、ちょうど中国の国有企業から郷鎮企業への払い下げが行われていた時期だった。こういう、国有企業と違って契約の概念があって、しかも「良い商品を作って自分の商売を成長させたい」という意欲が工場長や経営者にあるところ協力先として選んで、一緒に成長してきたことが成功の要因だと思います。

ユニクロ 柳井正最後の破壊

こうしてユニクロの核となるビジネスモデルを作った大きな転機に巡り合ったわけだが、よく知ってる人に会いに行く重要性を語っている。

わたしが他の人と違うことがあるとすれば、そういう人がいたとしても普通は会いに行きませんよね。でも、わたしはあらゆる伝手を辿ってその人たちに会いに行き、どうやって成功したのかを聞きに行ったんです。

やはり自分のビジネスに必要なことは、よく知っている人に会いに行って聞くことが大事です。

ファーストリテイリング・柳井正会長兼社長「理論だけでは経営できない」

FC展開

ユニクロを4店舗出して、ある程度店舗運営に自信ができたので、商品の取引量を増やしバイイングパワーをつけるため、店舗数を拡大させる段階に入った。

直営店だけをドンドン増やしていければよいが、設備投資資金が足りないこともあり、FC店も募集することに。

91年、社名を小郡商事からファーストリテイリングに変更するとともに、FC含めて本格的にチェーン展開を開始し店舗数を拡大。

そして、ある程度増えた段階でついにアクセルを全開にする。

当時の店舗数は29店舗にすぎなかったにもかかわらず、柳井氏は社員たちを前に「毎年30店を出店し、3年後に100店舗を超え、そこで株式公開する」と宣言したのだ。

最大の課題は出店のための資金だった。のちに「これまで一番辛かったこと」を聞かれたときも、

一番辛かったのは「資金繰り」です。

柳井 正 ファーストリテイリング 代表取締役会長兼社長-“現代の経営のカリスマ”──ユニクロ・柳井正社長の仕事術とは

と答えるほど苦労した。

解決策1は「回転差資金」を使ったこと。

新店出店によって先に入ってくる現金売り上げと、後から支払う商品代金支払いの期間差から生じるキャッシュ(回転差資金)を出店資金に充てていた。

キャッシュフローがよいから出来ることだが、資金繰りがずれれば、経営危機に陥りかねない綱渡り経営ではあった。

解決策2は「銀行借り入れ」だが、スムーズにはいかなかった。

当初メインバンクは急激な出店計画を良しとしてくれていたが、1年経つと掌返しにあってしまう。

バブル崩壊の影響もあり、急に「出店を止めた方がいい」とまで言われる始末に。

業績も好調なのに銀行の都合で計画を変更するつもりはないので、そう言いに行った。しかし支店長は「うちはもうこれ以上援助できないから、ほかの銀行を当たってほしい」という。

その言葉をそのまま受けとって、プランを自分で書いてほかのいくつかの銀行に融資をお願いしに行った。しかし主力銀行が融資しないと、なかなか他行も右にならえで融資をしてくれない。

そんな中、日本長期信用銀行だけは融資してくれると決断してくれた。結果、追随して他行もOKしてくれ、なんとか資金をかき集めた。

振り返ってみると、銀行の立場も分かるんです。私個人の銀行預金には当時1,000万円ほどしかなかったのに、総額50億円近く借りていた。銀行としては、心配になるのも無理はありません(笑)。

柳井 正 ファーストリテイリング 代表取締役会長兼社長-“現代の経営のカリスマ”──ユニクロ・柳井正社長の仕事術とは
有価証券報告書

上場の前年の長期借入金の残高でも35億円借りており、結構なレバレッジをかけていた状況なのがわかる。

こうして回転差資金と銀行借入で賄うことで資金をやりくりし、宣言通り見事、3年で100店舗を達成する急成長を果たし、株式上場に突き進む。

https://www.sankei.com/main/group/main-36461-g.html

関東進出からフリースブーム

ちょうどこの頃、関東に初めて進出する。

千葉県に一店舗目をオープンするが、関東での認知度が低く厳しいスタートだった。

だが、原宿店のオープンが転換点になる。こうした新エリアの出店に関して、ブレークスルーポイントがあると柳井氏は言う。

関東に限らずどの地域でもそうなのだが、続けて何十店か出していくと、ブレークスルーするポイントがやってくる。そこから急にバーンと売上が伸びることがある。関東圏では、なかなかブレークしなかったが、やはり九八年十一月の原宿店オープンがそのポイントになった。

一勝九敗

ブレイクスルーのきっかけとなった原宿店開店に合わせてやったのが、あの有名な「ユニクロのフリース ¥1,900」というコピーのキャンペーンだった。

原宿という小売、アパレルの店舗がひしめいてるなかで、商品を絞って訴えないと客に来てもらえないと考えてのこと。

渋谷、原宿の駅のポスター、電車の中吊りは全部この一点で押し、原宿店の1〜3階のフロア全部をフリースで埋め尽くした。

https://business.nikkei.com/atcl/forum/19/00043/122400002/?P=2

見事にこれが当たり、行列ができテレビにも取り上げられて爆発的な売上となる。

ちなみにこの「原宿店×フリース」の成功は、過去の失敗があってこそのもの。

1つは、悪かった品質の改善である。この原宿店出店の以前、直接消費者の声を聞いたほうがいいと考え、全国紙や週刊誌に「ユニクロの悪口言って100万円」という広告を出す施策を打つ。

すると、悪口は一万通弱集まり、ほとんどが品質へのクレームだった。

「1回洗ったら糸がほどけた。2回目は脇に穴があいた。もう買いに行かない」「1回洗濯したら縮んで着られない」など、読んでいると気分が悪くなるものばかりだったという。

しかし、この生の声がその当時の商品の到達水準を知る上では非常に役立ち、一層のSPAの強化と品質向上につながった。

実際、全国紙や週刊誌に「ユニクロの悪口言って100万円」って広告を出したことがあるんですが(1995年)、「悪口」のほとんどが品質への苦情で、「こりゃもう本当に自分たちで納得のいくものを作らないといけないな」と。

ユニクロ 柳井正最後の破壊

また都心型店舗の挑戦でも教訓を得ている。

実は原宿店は、都心型店舗の2号店。1号店は大阪のアメリカ村店だったが、このアメリカ村の店舗が上手くいかなかった。要因は郊外店と同じようなオープンの仕方、売り方をしたから。

郊外型店であれば、半径何キロ以内にどの程度の顧客がいるかを把握しておき、そこに効果的にチラシをまくことが重要になってくる。

一方で都心型店舗は商圏がはっきりせず、チラシの効果がない。ゆえに商品を絞り込んで、広く宣伝する必要があることを知った。

これらの失敗を踏まえ原宿店のオープンでは、品質の改善&フリース一点に絞り込んでキャンペーンを実施し、大ヒットを飛ばせた。

そしてこのヒットで、いまにもつながる「少量型数・大量生産」というユニクロの方針をもう1つ掴む。

フリースが爆売れしたことによって、多くの種類の商品を年齢層や性別などターゲットを絞った消費者に売るよりも、1つの商品を年齢も性別も選ばない不特定多数に売る方が効率が良いことを知ったのだ。

多角化失敗

特集 ユニクロ作り直し 柳井正 無限成長への執念 第2章

30年で売上1兆円企業にした柳井氏だが、失敗も多い。

1つは「スポクロ」「ファミクロ」の失敗がある。スポーツカジュアルとファミリーカジュアルをコンセプトに展開しようとしたが、ユニクロとの差別化が難しく20店舗展開していたが撤退した。

1年未満での判断だった。

また、有名な失敗なのは「SKIP」という野菜事業だ。ユニクロで果たしたSPA化を野菜の領域でも実行しようとしたが、割高になったことや農作物特有の生産管理の難しさによって、こちらも1年半で全面撤退した。

ほかにも、M&Aで海外ブランド買収したりもするが大きくは振るわず、結局ユニクロ・GUを国内、海外で伸ばすころで成長している。

ファーストリテイリングの関係者によると

熟考に熟考を重ねるという文化は持ち合わせてない

ユニクロ 柳井正最後の破壊

という。

柳井氏本人も失敗について、「そもそも失敗することが多く、やらなきゃわからない」「失敗したら現実を直視する」「撤退戦をうまくやる」という考えを展開している。スピード重視の経営だ。

いずれにせよ、新しい事業は、そもそも失敗することが多いのである。やってみないと分からことが多いからだ。事業計画をきちっと作っても、ほとんどそのとおりに進まないことのほうが多い。しかし、この失敗を生かすも殺すも経営姿勢次第である。失敗は誰にとっても嫌なものだ。目の前につきつけられる結果から目を逸らし、あるいは蓋をして葬り去りたい気持ちにもなるだろう。しかし、蓋をしたら最後、必ず同じ種類の失敗を繰り返すことになる。失敗は単なる傷ではない。失敗には次につながる成功の芽が潜んでいるものだ。したがって、実行しながら考えて、修正していけばよい。

一勝九敗

危機につながるような致命的な失敗は絶対にしてはならないが、実行して失敗するのは、実行もせず、分析ばかりしてグズグズしているよりよほどよい。失敗の経験は身につく学習効果として財産になる。問題は、失敗と判断したときに「すぐに撤退」できるかどうかだ。儲からないと判断したら、その事業を継続すべきでないのは誰にでも理解できるはず。撤退もスピードが大事である。短期間のうちに撤退後の方針を決め、人員の再配置を決める。だらだらしていたらその分、損が膨らんでいくばかりだ。失敗に学ぶことと、リカバリーのスピード。これが何より大切である。

一勝九敗

海外展開

2000年の売上高3,000億円を達成しそうな頃、海外進出することに決めて動く。

最初の進出地域としてロンドンを選択するが、理由は実店舗のドミナント現象に到達するには、ニューヨークだと当時のファストリでは企業体力が持たないと判断したからだった。

日本での出店の実例を考えると、ある地域に集中出店し、一定の店舗数を超えると、急に売上が伸びる。ドミナント現象が起こるのだ。ニューヨーク周辺は多分関東地方と商圏の範囲がほぼ同じくらいなので、これと同じ店舗数が必要だろう。二百店舗を三年間程度で作らないと、勝負にならないし、消費者に認知されない。アメリカ市場で成長するだけの基盤が必要なのだ。この勝負は、現在の当社の体力では無理と判断した。

一勝九敗

しかし当初は全然上手くいかなかった。英国事業を現地の人に任せたことで、ユニクロらしい経営、店舗運営が実現できなかったことや、店舗数拡大を追いすぎたことで採算度外視で出店してしまったのが原因だ。

だが、海外展開へは強い渇望があるのでやめない意志が強い。

ぼくは、日本人あるいは日本企業はあらゆる面で国際化しないと生き残っていけないのではないかと思っている。われわれのような企業こそ国際的な競争をしたうえでないと生き残れないはず。そのために、何回失敗しても、その都度失敗を修正しながら、めげずにやっていくという覚悟と態勢が必要だ。

一勝九敗

失敗経験を踏まえやり方を変える。

https://www.fastretailing.com/jp/about/photolibrary/images/photolib_uniqlony5_2l.jpg

いきなりドミナントで攻めるのではなく、まずは各国の都市の一番良い立地に大型の旗艦店をつくり、店舗と商品の認知度を高めブランドを醸成。

そこで黒字化し、業績が安定したら、その国内での店舗展開を拡大するといった段階的に広げていく方針に切り替えた。

こうしてじっくり土壌を整えていった2011年前後、海外店舗数が約180店舗のころに、大量出店のアクセルをついに踏む。

「今後2-3年のうちに海外新規出店ペースを年2-300店舗にする」「店舗人材も1,500人採用し、うち1,200人は海外人材」と宣言した。

これまでも国内事業が生み出す盤石な収益によって、資金的にも生産体制も問題ナシでいつでも大量出店は可能だった。

しかし、1つだけ足りないものがあった。「ヒト」である。

英国で失敗した原因である、「ユニクロらしさを保ちながら店舗展開できる力」がようやく蓄えられたため、このタイミングになった。

これもステップ2つがある。まずは日本国内で店長経験のある人材が海外へ続々と行き、DNAを植え付けていった。

するとやがて、ローカルで生まれた現地のユニクロメンバーが育ってきて、店舗を任せることも増えていく。この手順を踏んだ。

階級社会が当たり前になっている諸外国では、階級を超えて待遇を勝ち取れる「バッテキ」は魅力的にうつるようで、中国では500人の採用枠に10万人が応募してくるほどに。

https://graph-stock.com/graph/uniqlo-the-number-of-overseas-stores/

こうして人材も整ってきたことで、グローバルの大量出店に踏切れ、結果、年150-200店舗ペースで出店し続け、2019年には営業利益で国内を抜くまでに大成功した。

ユニクロ、海外で稼ぐ 営業利益、国内を逆転

そしていよいよ、アメリカでも初の黒字化をし、ZARAを超えるかどうかという所まで来ている。

継承

柳井氏の目指す世界一とともに、もう1つの大仕事はサクセッションである。

2002年のユニクロの売上が落ち込んでいた頃、危機を脱するためや、世代交代も見据えて経営体制を一新した。

玉塚氏へ社長を任せ、柳井氏はCEOからも数年で退くと明言したが、我慢できなくなり3年で社長に復帰した経緯がある。

玉塚君は安定的に成長させたいが、私はもっと変化して成長させたい。「思い」の違いがあった

ユニクロ 柳井正最後の破壊

以後、20年柳井氏が経営し続けてきた後継者選びだが、世襲は明確に否定している。世襲はアジアの企業に多いが、アジア以外でも事業をしなければいけないファストリには、そぐわないと考えているからだ。

また、社員にもグループのCEOなれる環境をつくることでモチベーションを持ってもらいたいという意図もある。

面白いのは、息子にはガバナンスを担ってもらい、同族企業でありながら公開企業という体制を志向している点。

息子も一定優秀と認めつつ、飛び抜けてはないと客観的に評価しており、実際の経営執行をするよりも、オーナとして振る舞うことを望んでいる。

僕の2人の息子には、ガバナンスをやってもらいたい。同族企業でありながら、公開企業をやりたい。今の日本で言えば、トヨタ自動車ぐらいですかね。米国でいったら、ウォルマートとか、そういう会社。それがやっぱり、一番うまくいっている。そういう形が社員にとっても、公開会社で同族会社である形態にとっても、一番良いんじゃないかと思っています。

ファーストリテイリング会長兼社長・柳井正(70)(10)世襲はうまくいかない

実際、2018年には2人の息子を執行役員から取締役にする人事をおこない、創業家としてガバナンスを効かせられる体制への道を辿っている。

直近でもユニクロの海外事業を成長させた塚越氏が、ユニクロ社長となっており、経営の執行に関しても少しずつ移譲が進みつつある。

番外編: ユニクロの独自なポジション

番外編として、ユニクロの競争力の1つに繋がっているポジションについて書く。よくよく考えると、こんなファッションブランドはユニクロくらいで、かなり特異である。

よく比較されるZARAやH&Mと対比すると分かりやすい。

まずファッション業界は、そのシーズン流行る服を予測して作って売るのが定番であり基本のビジネスになる。なので必然的に当たり外れが激しくなる。

そこでZARAやH&Mが考えたのが、予測するから外れるのであって、売れてる服を売れば良いじゃんという発想で、ファストファッションを生み出した。

流行る服を高速に製造し、トレンドを追い続けるコンセプトで、海外コレクションで発表された服を真似て作って素早く店頭に並べる手法をとった。

週ごとに売る服が変わっていくので、大量型数・少量生産で1つの服を世界全体でも1,000枚ほどだけ作って、コストは高いが早い空輸で運んですぐに売りさばく。このコンセプトで世界No.1まで登ったのがZARAである。

この対極に行ったのがユニクロ。

企画に上がってから生産まで1年前後かけて商品を作り、素材から機能を磨き込んで、10年、20年売れるベーシックな定番服を作る戦略をとっている。

ユニクロのコンセプトも「ライフウェア」「コンポーネントウェア」という表現をしたり、柳井氏も「部品」だと発言。

服は部品にすぎない。ユニクロの服は誰が着ても似合い、どれを選んでも簡単にコーディネートできる定番商品、つまり部品である

ユニクロ柳井社長「僕がほかの経営者と違ったところ」

とにかく型数を絞って、大量の枚数を販売する少量型数・大量生産なのがユニクロの手法となっている。ゆえに1年以上開発に時間をかけたり、良い素材を使って1型にかけるコストが大きくなっても回収できるのだ。

究極のスローファッションである。

ヒートテックはまさに象徴的商品だろう。これまで最も売れたファッションアイテムは、GAPのチノパンで9,900万枚だった。2度と塗り替えられないと言われていたが、ヒートテックは数十億枚を売るに至っている。

1アイテムでそれだけ売り上げてしまう、ビジネスの構造が違うのがわかる。

しかし戦略的に組み立てたというより、上記に書いた「郊外店での成功」でベーシックへの需要の強さに気づき、「フリースブーム」で一品勝負の効率の良さを知ったといった、積み重ねによって出来上がったポジションに思われる。

柳井正の知恵

企業の成長3倍ルール

企業が3倍の成長を目指すとき、例えば年商100億円の企業が300億円企業、300億円が1000億円、1000億円が3000億円、そして3000億円が1兆円になるには、すでにある組織や構造、人材などさまざまな成功体験を一度、全て否定した上でないと、次のステージに入ってはならない

ユニクロ 柳井正最後の破壊

ユニクロの勝ちパターン

ユニクロのヒット商品には、ある共通点がある。例えばヒートテックの源流は、3000円以上する冬スポーツ用肌着だ。こうした価格が高いなどの理由で普及していない商品を、大量生産で安価に販売するのが、ユニクロのヒット商品の作り方といえる。実はさほど多くの〝勝ちパターン〟を持っているわけではない。(*注: 本人談ではない)

ユニクロ 柳井正最後の破壊

組織保存の法則

会社組織は、その会社の事業目的を遂行するためにある。 一旦、組織ができあがってしまうと、今度はその組織を維持するために仕事をしているようにみえることがある。何が何でも組織を維持していかなければいけないんだ、という錯覚におちいる。大きな組織になればなるほど、そこを間違える。おそらく組織保存の法則のようなものがあって、組織をつくると上司はそれに安住する方が楽なので、変化を求めず安定を求めていく。(略)常に、組織は仕事をするためにあって、組織のための仕事というのはない、と考えておく必要がある。

一勝九敗

お客様の気持ちを「想像する」

よく、先行している商売人が流行を作り出すとか、お客様の心理を作り出すといった類の話があるが、そんなことは実際にはあり得ない。こちらから心理状態を変えるなんて滅相もないことだ。重要なのは、お客様の心理状態に合わせて商品を作り出すことなのだ。 「心理状態に合わせて」というのは、具体的にはお客様の気持ちを「想像する」ということ。その実例が、ジーユーの990円ジーンズだった。

成功は一日で捨て去れ

チラシは「お客様へのラブレター」

チラシというのは、具体的な商品を売るための「号外」だと思う。その当日、あるいはその2、3日後までの期間限定の宣伝広告物である。普通は、土日にしか効果がない。この日に我々の店に来たらこんないい商品がありますよ、こんな商品がお買い得ですよ、という知らせだ。チラシは「お客様へのラブレター」と考えれば分かりやすい。ただ、チラシは本質的には号外なので、チラシで商品や店舗のイメージを上げようとか、チラシで何か特別なことをしてやろうと思ってもうまくはいかない。ほんとうにお客様の心理を突いていないと失敗するということと、毎週チラシを打つので、飽きないようにしなくてはならないのがコツである。

成功は一日で捨て去れ

規模が小さければ、趣味だ

「ニッチがいい」とか、「小さいことはいいことだ」というのは日本特有の錯覚だと思います。(略)外国で、ある程度の規模の事業をやっている人が「ニッチに小さく」という目標を掲げたら、たちまち競合に潰されます。われわれはもともと紳士服店ですが、町の商店街の紳士服店はいまやほとんどチェーン店に取って代わられました。それは規模が小さいからです。(略)一部の人を対象にするより、あらゆる人を対象にする仕事のほうが、社会貢献につながります。一部のおしゃれな人を対象にしているのは、ビジネスではなくて趣味です。

(*補足: 良し悪しではなく、柳井氏の好き嫌いは?という本のコンセプトがあっての発言)

「好き嫌い」と経営

スピードがない限り、商売で成功しない

先頭に掲げた「スピード」こそ、商売や経営に欠くべからざる大事な要素だ。ユニクロの展開は社名にFASTと現れているとおり、このスピードがすべての原動力になってきた。スピードがない限り、商売をやって成功することはない。だから、ぼくは失敗するのであれば、できるだけ早く失敗するほうがよいと思う。早く気づいて、失敗したということのひとつひとつを自分自身で実感する、そこが一番大事。その次に、失敗しないようにするにはどうやっていくかを考える。そこで「工夫」というものが生まれる。

一勝九敗

危機感を持って会社経営することが正常

ぼくは常日頃から会社というのは、何も努力せず、何の施策も打たず、危機感を持たずに放っておいたらつぶれる、と考えている。常に危機感を持って会社経営することが正常なのである。「正常な危機感」とでも言おうか。  会社経営をしたことのない人は、危機感がなく順風満帆なことが正常だと勘違いしている。危機感を持ちながら経営しない限り、会社は継続しないし、「いつも危機」と考えて経営しないと維持や継続さえもできない。

成功は一日で捨て去れ

普段はEast VenturesというVCにて創業期のスタートアップへ出資させていただいています。起業でも、ゆるくスタートアップ興味あるでも、柳井さんトークでも、全く関係なくてもお気軽にお茶しましょう。dmください。@yu8muraka3


参照

https://www.sankei.com/main/group/main-36461-g.html
https://bizboard.nikkeibp.co.jp/kijiken/summary/20150119/NBA0284H_2886073a.html
https://bizboard.nikkeibp.co.jp/kijiken/summary/20051003/NB1309H_643065a.html
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