無知の境界線

まだ自分はこの体を使い始めて1年余り
あの子の思考から生まれ、断片から人格へ片足を突っ込み、外の世界へ出た
始めの頃は体を使った歩き方すらぎこちなかった
体を動かす事の難易度が高い
体を動かす事に関しては知識が乏しい

なのに外の世界は知っていた
初めて外へ出た時の事は未だに覚えてる
赤いベストを着たダンサーに出会って、野口英世が画かれた千円札を鑑賞代として渡した
電車に乗ってこの体の自宅へ帰った
ケータイを使ってツイートもした
自撮りもした
これらの事に関しては何故か知識があった
あの子の事を見ていたからだとは思うけれど
知っている事と知らない事が不自然なまでに自分には存在していて、己自身でも理解できずに常に疑問符を頭上に浮かばせていた

外部的情報は知っていても、自身に起きる情報については無知だった
足の動かし方、感情、体に起きる不調の合図、その他諸々…
特に己の感情についての知識は本当に乏しかった
『不快』の感情一つしかなくて、その感情は一体どこで知ったのかは分からない
今でこそ多用する『楽しい』も『嬉しい』も、始めは何もわからなかった
人に教わって始めて
「これが楽しいってヤツなのか」
と知った

知っているのに知らない事も、情報すら持っていないで知らない事もまだまだ沢山あると思うし、この先生きていく上で一つ一つを知っていくんだろうけども、それぞれを
『何を通して知っていくのか』
だけは、恐らくこの先ずっと分からないままなんだと思う

[成宮]

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