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『ガンタン』(高度に発達した医学は魔法と区別がつかない)

「ガンタン……なんだそれ?」
 聞き慣れぬ言葉。
 それを耳にしたアレクは、思わず首を傾げながらそう問いかける。
 すると、その言葉を発した当人は苦笑を浮かべながら言葉を返した。
「僕がいたところだと、ちょうど今日が一年の始まりでお祝いをしたり、お参りをしたりするんだ」
「一年の始まりねぇ……こっちだとまだ先だけどな」
「そうなんだ。いや、まだこちらの暦は覚えきれてないけど、そんなにずれていない気もするなぁ。その辺りも研究したいな」
 こちらの時間や度量衡に関して、牛歩とも呼べる歩みではあったが、天海は少しずつ研究を進めてはいる。
 その上で、この見知らぬ世界に対する漠然とした仮説が彼の胸のうちに産まれ始めており、そしてだからこそその重要性を天海は再認識し始めていた。
 だからこそ何気なく発せられたアレクの言葉を耳にし、天海は改めて胸の中に秘めた強い研究心が疼き始める。。
 一方、既に別のことへ興味が移り始めた彼とは異なり、彼の目の前に立つアレクは明らかに不機嫌そうな表情を隠そうともしなかった。
「おいおい、また研究かよ。仕事しているか研究ばっかで、アマミ、お前もたまには休めよ」
「いや、昨日の夜はゆっくり寝ることができたし」
「あのなあ、空気の読めない吸血鬼の連中以外は夜寝るのが当たり前だろ。そうじゃなくて、昼間も働かず一日何もしない日とか、遊びに行くとか、そういうのが休みなんだよ」
 頭を掻きながら誤魔化す天海に向かい、アレクは腰に手を当てながらそう告げる。
 すると、すぐ側にいたコロネまでもが、アレクの肩を持つかのようにその口を開いた。
「そうですよ、ご主人様。いつも治療に来られた方に言ってらっしゃるじゃないですか。しばらくは無理をせず、ゆっくり休んでくださいって」
「はは、いや……確かに言ってはいるんだけど、でも……」
「でもじゃないです。こういうのはまず自分からやらないとダメです。というわけで、今日はアレクさんと一日休んできてください!」
「いや、遊んできてくださいと言われてもーー」
 天海の言葉が言い終わる前にコロネにより背を押される形で、彼は診察室から半ば強引に追い出される。
 そして途方に暮れながら廊下に立ち尽くす形となった天海は、思わず困ったように頭を掻いた。
 すると、彼と共に部屋の外へと送り出されたアレクが、呆れたように彼へと声を向ける。
「アマミ……もしかしてお前、ここに来てから遊びに行ったことがないのか?」
「えっ、そんなことは……いや、そういえば……うーんと……えーっと……」
 なかった。
 まったくなかった
 そう、どんなに記憶を探ろうにも、彼の大脳皮質のどこにもそんな記憶は存在してはいなかった。
 一方、そんな無駄な努力を行う天海を横目に、アレクは額に手を当てながらため息混じりに言葉を紡ぎ出す。
「わかった。もう今日は俺が案内する。だからお前は黙ってついてこい」

***

「テガ、邪魔するぞ」
「若、それにアマミ先生もとは……珍しいですね、こんな時間に」
 昼下がりの午後。
 開店したばかりの時間帯に姿を現したアレクと天海を見かけて、テガは珍しく驚きを見せる。
「まあな。この後、アマミにこの国の案内をしようと思ってるんだが、その前に飯でも食おうと思ってな」
「ドラゴンの小僧、ここは酒を飲みに来る場所だぞ。飯なんか食いに来るやつがあるか」
 店の奥から響くがなり声。
 その方向へと視線を向けたアレクは、軽い苛立ち混じりの声で反論を口にした。
「うるせえなぁ、ジジイ。客が何を頼もうと自由だろ」
「はん、オメェは品ってものが分かっちゃいねえ。その点、アマミ先生は酒を飲みにきたんだろ。こっちへ来な、いっぱい奢ってやるぜ」
 そう言い放ったノルミムはにこやかな笑みを浮かべ、天海に向かい軽く手招きをする。
 すると、アレクは天海の肩をぐいっと掴み、譲らぬとばかりに声を放った。
「ジジイ、アマミは俺と遊びに行くためにここへ寄ったんだ。酔っ払いが邪魔すんじゃねえよ」
「ふふ、ではわたくしとご一緒なさいませんか、アマミ先生」
 それは予期せぬ方向から発せられた言葉だった。
 店の片隅にまるで闇に溶け込むかのように存在する女性。
 そう、夜の国の王女であるクロエであった。
「あれ、クロエさん。今日は交代でお休みを取られていたと思ったけど、どうしてここに?」
「もちろんお休みだからこそでございますわ」
 そう口にすると、クロエはニコリと笑う。
 そしてそのままゆっくりと言葉を続けた。
「実は一度来て見たかったのですわ。うちの兵士たちが不覚を覚えた店とは、はたして如何なるものかと。ねえ、じいや」
「私としては日が高き昼ではなく、夜に参ることをお勧めしたつもりでしたが」
「夜は学びの時間。コロネ先輩に習った糸結びの練習をやらねばなりませんもの。それに……」
 クロエはそこまで口にすると天海へと視線を向け直し、口角を僅かに吊り上げその小さな牙を口元に覗かせる。
「……この時間で正解だったでございましょう?」
「ああ、もうなんだお前ら。シッシッ、今日俺たちは飯を食いにきただけなんだから近寄ってくんな」
 クロエとノルミムを交互に見やりながら、アレクはぞんざいにそう告げる。
 すると、そのタイミングでテガが一つの料理を皿に乗せてやってきた。
「若……例のタコスです」
「おう、ありがとなテガ」
 嬉しそうに微笑みながら受け取ったアレクは、咄嗟にかぶりつきそうになる。
 しかしそんな彼の反応より早く、皿の上のタコスを凝視した存在がいた。
「!? きょ、狂竜のご子息! このわたくしを前にして、ご自分だけタコスを食べられるおつもりなのでございますか?」
「あん、誰が何を食おうと勝手だろうが。というか、これは俺とアマミの分だ。食いたければ、お前も頼めよ」
「くっ、ご主人どの、わたくしにもあれと同じものをお願い致します」
 クロエは悔しそうな表情を浮かべながら、テガに向かって注文を口にする。
 一方、そんな彼女たちの反応を前に、ノルミムは口元を歪めながら軽く笑って見せた。
「かかっ、これだから嬢ちゃんと小僧は」
「なんだ、文句あんのかよジジイ」
「確かに最近出来たそいつはうめえが、なんかなよっとしてるのがな……この冷えたケルウィシアには干し肉の方が合うだろうが」
 そう口にすると、ノルミムは高々と手にした干し肉を掲げてみせる。
 それに対し、アレクはそんな彼を軽く鼻で笑ってみせた。
「はん、俺たちは飲みにきたんじゃねえって言ってるだろうが。相手の話を聞かねえジジイだな」
「待ってくださいまし。タコスはケルウィシアが有ろうとも無かろうとも、常に最高でございます。ドワーフの古王、今の話は夜の一族への侮辱でほかならないでございます」
 机から身を乗り出す勢いで、苛立ちをあらわとしたクロエは、射殺さんばかりの視線をノルミムへと向ける。
 まさに一触即発のその状況。
 そこに爆弾を投じて見せたのは、一歩引いた場所で一連のやり取りを眺めていた男だった。
「ノルミムさん、食感がお口に合わないのなら、トルティーヤを揚げてみたのは如何ですか?」
「は? 揚げる?」
 突然の天海の発言に、ノルミムは目を白黒させながら問い返す。
 すると、天海はまるでなんでもないことのように、一つの調理法をその口にしてみせた。
「ええ、トルティーヤを楔形にカットして油で揚げるんです。トルティーヤチップスと言って、さっくりした味わいになってこれもすごく美味しいんですよ」

***

「おお、こいつはうめえな、アマミ。すまんテガ、ケルウィシアを冷やしてくれ!」
「さ、最高だぜ、先生。これがあればケルウィシアが何杯でも飲める!」
「こ、これは実に美味でございます。早速夜の国に作り方を広めるでございます、じいや」
 天海がテガに教える形で調理したトルティーヤチップスは瞬く間に消え去り、三名の食客たちはそのままの勢いで次から次へとケルウィシアに手を伸ばしていく。
 すると、そんな一同を前にして天海は嬉しそうに何気なく言葉を発する。
「口に合うみたいで良かったです。実はあれに好みでいろんなソースをつけると更にーー」
「アマミ、教えろ!」
「その話、詳しく聞かせてくれ!」
「何卒その知謀を我が夜の国にお授けくださいまし!」
 まるで飢えた黒色狼の群れの中に餌を投げ込んだかのように、三名の食客は一斉に天海へと迫る。
 結果、天海のエルフ王国における初めての元旦にして休日は、トルティーヤチップス作りに奔走する形で幕を閉じた。
 後日、それでは意味がないとばかりに、コロネから天海はアレク共々少しばかりの苦言を呈されることとなるのだが、それはまた翌日以降のお話となる。

2024年1月1日
津田彷徨


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