見出し画像

暑くて憂鬱症候群の日々〜*落書きnote

 暑中お見舞い申し上げます。
 読んでいただくご縁を得たあなたに敬意を表します。
 
 前回noteに投稿したのは5月23日だから二か月ぶりの更新。
 なぜ更新できなかったのか?
 実は憂鬱症候群で書く意欲を削がれていたからだ。
 コロナ、ウクライナ、安倍晋三元総理暗殺など暗いニュースもさることながら、おいらの健康問題、友人の癌闘病など、身辺にもポジになれない出来事が相次いだことが大きい。


 おいらのメンタルは強くも弱くもない、普通だと思う。しかし、こう立て続けにネガなことが重なってくると、うつ病チェックシートによれば「鬱的傾向」と出てくるのは無理なかろう。
 この鬱陶しい状態ではみんな大なり小なり憂鬱な気分になるのではないか。

 友人からLINEが来た。
 「ご無沙汰していますが、お変わりありませんか。小生、今年になってから厄介な膵臓ガンの治療に明け暮れる毎日です。私には子供もなく、会社後継のこと、相続のことなど何もかも未解決だらけ、そんな毎日です。あなたはいつまでもお元気でおられるよう祈っております。取り急ぎ…」


 友人は中堅の実業家で、国際交流と貢献にも一役買っていた。
 働き盛りというわけではないが、老いてますます盛ん、意欲的でエネルギッシュな彼の生き方は爽やかさを感じさせたものだ。
 それがどうだ、このメールは。
 諸行無常の風が吹いて暗たんたる気分になる。

 おいらはすぐメールを打ち返した。
 「拝復 ご病気の寛解を祈ってやみません。まだまだおやりになることがたくさんある。悩み、苦しみ、不安はお察し申し上げますが、とにかく前向きで。まずは今日一日、その積み重ね、共に頑張りましょう」


 おいらはおいらで、体調不良をかかえたままだ。
 三十年前の脳出血、脳梗塞の影響はだいぶ薄らいだが心不全、腎不全、透析治療は続いているし、新たに厄介な問題も起きてきた。
 それは起立性低血圧という難題だ。
 睡眠の水平状態から朝、起き上がって垂直状態になると、自律神経のセンサーがうまく働かず、秒速で最高血圧が100を切り85位まで下がり失神、場合によっては失禁してしまうのだ。

 失神は転倒を意味する。一瞬のうちに転倒するのだから骨を折ったり頭を打つリスクもある。
 再々そういう経験をして、最近では心臓リハビリ、第二の心臓といわれる下肢のトレーニングを心がけているが、速効性はなく、さっそく効果が出たというところまで行っていない。

 振り返れば、今年一月の79歳から80歳への加齢が節目だったような気がしてならない。
 それまでは曲がりなりにも歩くことができ、散歩にも旅行にも行けた。いまは車いすや歩行器に頼る日々だ。
 「ああ、おいらも歳だなぁ」と実感するが、そこで、「後悔先に立たずとは良く言った」と年の功らしきものにも思いを致すが後の祭り。

 だが、おいらのような愚人に比べるべくもない、はるか雲の上におられる大作家にして文化勲章受章者の阿川弘之氏(1920年〜2015年)ですら、老いの諸相について次のように嘆いておられる。

 「凡ゆる事が面倒くさい。人と言葉を交わしたくない。運動不足で便秘がひどい。かんしゃくを起こし、漢方の便秘薬を定量の倍以上飲んで寝てゐたら、数時間後突然便意を催した。慌てて起き上がり、入るべき場所へたどり着こうと、心は焦ってもよぼよぼの足が思うように前へ出ず、廊下の途中、下着の中へどッと排泄してしまった。よだれが垂れる。手先が震える。眼はかすんで、目尻にいつも涙と目脂がたまってゐる」(「文藝春秋」2010年8月号=要約)

 「老い」とはこんなものである。だが、それを真正面から見据え、「まあええがな精神」と「なにくそ精神」をほどよく調和させる胆力が、老いには求められるのかもしれない。
 しかし、おいらには無理だ。このところの憂鬱症候群はなかなか頑固だ。早く陽気な自分に還れと内心思うが梅雨のように鬱陶しい日々が続く。
  さて、あすは晴れるのか?曇るのか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?