【体験談】心身統一合氣道をして良かったこと

※2024年2月に私の教室の会員向けに書いたコラムです。内容はあくまでも私個人の意見です。

「【体験談】心身統一合氣道をして良かったこと」

寒さの中にもほんのりとした柔らかな暖かさを感じるようになりました。立春を過ぎてこのコラムを書いております。春の兆しでしょうか。皆さんは何か「春」を感じていることはありますか?高津宮ではもう梅が咲いていましたね。風邪が流行っているようですが、最大の感染予防は「氣が出ている」ことです。しっかり稽古して、氣を止めないようにいたしましょう!

今回のテーマは、今更ながらという感じのことです。私自身は過去にブログなどに書いていて、「もうご存知ですよね」、と思っているような内容。しかしよくよく考えると、会員さんの多くは、ここ数年の間に私と出会った方々です。ブログをたくさん書いていたのは7年前ぐらいまでで、その後はあまりそういう発信はしていないことに最近氣づきました。そんなわけで、あらためて『心身統一合氣道をして良かったこと』について、お伝えしてまいります。

<メンタル病みから救われた>
これは、以前に体験に来た方からの質問に、最初に出てきた答えでした。「心身統一合氣道をして、何が良かったですか?」そう問われての答えです。私は合氣道指導者になる前の職業は銀行員でした。今の銀行はどうか分かりませんが、私の知る銀行という職場は、ノルマとパワハラにまみれていました。私は平成7年の「就職氷河期」と言われた年に就職しています。つまり、バブル崩壊後の「失われた30年」の真っ盛りで、日本経済が衰退・低成長を続ける中で仕事をしていました。経済規模が伸びない時代だったわけですが、与えられるノルマは青天井のうなぎのぼり。まあ、それが会社というものなので当然です。そんな環境の中、30代になり中堅の立場に立った頃、なかなか厳しい上司に出会いました。毎日足りない数字をどうするか詰められて、孤立無援の心境で日々を過ごしているうちに、私のメンタルはどんどん傷んでいきました。一番ひどい時は、上司の前で話そうとすると、プレッシャーで声が出せない状態。さすがにこれはヤバいのではないか。。と感じていました。

そんな時に、私は心身統一合氣道の氣の教えに出会いました。氣を出すということ。心が身体を動かすということ。それらは道場での稽古だけでなく、日常生活においてこそとても大事であり、日常生活の中で実践・検証をしていくことこそが「稽古」なのだと教わり、それを実感していました。いつも稽古している『臍下の一点』、これ一つを深く知り、実践するだけで、パワハラのプレッシャーの感じ方は劇的に変わっていきます。『潜在意識を変える』、これに取り組むことで、自分の心のあり方自体が大きく変わっていきます。そういう学びの実践・検証をする場として、この時の職場はとても良い稽古場所だと氣づきました。

そのお陰で私は、メンタルを病みかけていた状態から完全に救われました。会社へ行くのが嫌で嫌で仕方がない心境がなくなり、仕事の中に楽しみを見出すことを思い出し、40歳で退職するまでをプラスの状態で過ごすことが出来ました。銀行の仕事が嫌だから、辞めて合氣道をする、ではなく、どうしても合氣道(氣圧も)を仕事にしていきたい!という強い想いのために退職することにしました。マイナスな理由でなく、プラスな理由での独立が出来たことは、その後の生き方にとって、とても良かったと思っています。

<年をとるのが怖くなくなった>
この言葉は、私が合氣道を始めた頃にある指導者の先生から言われました。「年をとるのが怖くなくなる」、すごい言葉だと思いませんか?合氣道の諸先輩方を見ていると、本当に年齢に対するイメージが変わりました。32歳で合氣道を始めた私にとって、50代以上の先生方はかなりの「オジサン」だったのに、信じられないぐらい軽やかに素早く動いていて、70代の大先生は完全に「おじいちゃん」の年齢なのに、全く衰えているように見えませんでした。

実は私は合氣道を始めた頃、腰痛に悩まされていました。整形外科での診断は「椎間板ヘルニア」。手術するほどではないが、悪化すれば手術が必要、と。しかし、合氣道を始めて少し経った頃、私は「腰痛だったことを完全に忘れていた」ことに氣づきました。嫌いな病院に行くほどまで悩まされていた腰痛が、知らないうちになくなってしまったことに、とてもビックリしました。「身体って変えられるんだな!」と、自分の身体に希望が持てました。30過ぎたら下り坂で衰えていくだけ、合氣道をする前はそんなイメージを持っていましたが、今はまったくそんな考えはありません。何歳からでも、人は伸びていけるし、元氣になれるのが、今の「当たり前」です。これなら90歳現役バリバリも夢ではない、そう思えたから、今の仕事を始めたんです。

<人生の悩みや迷いがなくなった>
これは心身統一合氣道を「仕事」にしてからの話になります。銀行員時代の私は、将来に対して漠然とした不安や迷いを抱えていました。安定した職業なのになぜだ、と言われるかもしれません。確かに経済的には安定していました。しかし、転勤・単身赴任・健康面・老後の生活、などと考えると、決して能天気に希望を持つことは出来ませんでした。そして何より、顧客よりも自社の成績を優先する文化のある銀行の仕事に誇りを持つことが出来ず、心身分離の状態で働き続けることに、疑問と不安を抱えていました。
そんな疑問も、心身統一合氣道をしていたからこそ生まれてきたものかもしれません。「仕事なんだから、嫌なことにも耐えるのが当たり前」、「給料を貰うのだから、会社のためを優先することが当たり前」、そうやって色々我慢しながら定年を迎えることが受け入れられずに、今の仕事を始めました。

現在は、会社員のような将来の安定感はありません。しかし、何よりも心が自由で伸び伸びとしていられ、ストレスに苛まれることが全くありません。それは、「正しい」と信じられることに全身全霊をかけて生きている、と心底思えているからです。心身統一合氣道、氣圧、氣の教えに触れる人が一人でも多くなり、多くの人に楽しんでいただけるようにすることが、今の私の仕事です。それは、確実にお相手の人生にとってプラスになるし、社会全体にとっても絶対にプラスである、と信じています。そうである以上、この天地自然は自分を後押ししてくれるはずである、生かしてくれるはずである、そんな風に思って生きています。小さな問題は当然起こりますが、悩みはなく、清々しい日々を送れています。

心身統一合氣道に触れること、知ることで、人は必ず幸せに向かえます。そうならないとしたら、伝え方、学び方、解釈の仕方など、どこかに間違いがあるはずです。それを修正していくことも、修行であり、それを続けることが「道」ということなのではないか。そんな風に今は考えています。

こんな感じで、たくさんの良いことを得られ、実感してきたのが、私にとっての心身統一合氣道です。だからこそ、たくさんの人に知っていただき、学んでいただいて、幸せになっていただきたい。そのことを知らずに離れていくのは、とても勿体ない、と心底思っています。そういうことのないように、日々精進、工夫してまいります。

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