みんながしているから



〈この記事は2022年8月に、私の教室の会員の皆さんに書いたコラムです〉

夏ですね〜!8月が一番好きなのは、夏休みのあるこども時代に植えつけられた潜在意識によるものなのでしょうか?世間では昔から「夏バテ」という言葉がありますが、それがどんな状態なのかが実感出来ずに49年間生きてきました。「乗り物酔い」という言葉もそうです。改めて、両親に感謝しようと思います。

さて8月といえば、大人の方も夏休みをとることが多いですよね。お盆に墓参りや先祖の魂を迎える、という習慣を続けている人がどのくらいの割合でいらっしゃるのかは分かりませんが、やっぱり取りたい「お盆休み」。以前でしたら、多くの企業や商店が一斉にお休みをとっていましたが、近年は関係なく営業を続けるところが多くなっていますね。
かく言う私も、お盆休み期間は教室の稽古をお休みとさせていただいております。これは会員さん(特にこども達)が帰省などでお休みされる方が多くなることと、私自身も帰省するためです。会員の皆様には、ご理解ご了承のほど、宜しくお願い申し上げます。

銀行員時代は、「お盆休み」というのはなく、この期間も銀行は営業中でした。ただ当時の決まりとして、年に一度は5日連続休暇を有給休暇で取得する、という半ば強制的な制度がありました。いつも仕事を抱えて忙しくしていた私は、せめて顧客企業が休んでる時を休みにしようと、出来るだけ「お盆休み」期間に合わせて5日連続休暇を取得しておりました。おかげでどうしても人混み、渋滞に巻き込まれるのですが、幸いにも帰省先が東京(妻の実家)・埼玉なので、いわゆる「上り」「下り」でみると世間の流れとは逆行するために、それほど苦労はしませんでした。年末年始のお正月休みも同じですね。

このように必ず人が多くなり、渋滞・混雑が避けられないことが分かりきっている時期に移動する、という日本人の習慣を不思議に思ったり、バカにする人は少なくありません。以前にホリエモンが「お盆の旅行するやつバカ、有給取れや」と発言して炎上していました。「みんながするから」で行動することが多くありがちな日本人の特徴を腐した発言ですね。銀行時代の私のように、「その時期にしか休めない事情があるんだ!」と反発する人が多いから炎上したのでしょう。しかし、ちゃんと「有給休暇」の制度があり権利がある以上、他の人が仕事をしている閑散期に休暇をとって旅行をした方が混雑も少なくて費用も安いわけで、ホリエモンの発言も筋が通っています。人の目を気にせずに、「旅行行ってきま〜す!」と休暇が取れれば、そうしたいよ、という人も多いのではないでしょうか。

お盆やお正月にしか休めない、と言う人の中には、物理的・制度的に本当にそこしか休めない、という人と、「それ以外の時期に休むと周りの目が気になるから休めない」という人がいるのではないでしょうか?私自身も改めて振り返ってみると、銀行というのは後者の考え方になりがちな組織でした。5連続休暇は義務、そう言われていても、営業成績や積滞事務の状況をみると、上司や周りの同僚の目が気になって、なかなか休めない。この状況で休んだら何を言われるか分からない…。そんな感覚になるところを、「お盆だからしょうがない」「お正月だからしょうがない」という言い訳を頼りに、この時期にまとまった休みを取っている。そんな感覚がありました。皆さんの職場はどうでしょうか?

人の目を気にする、人の目が気になる。これは悪い意味ばかりに捉えることではありません。人目を気にするから、身だしなみを整えたりおしゃれをしたりする。人目を気にするから、自分の言動に規律を保つように心がける。これはプラスに活用している事例ですよね。一方で、人目を気にすることがマイナスに働いていることも、多くあるように感じます。自分の本来すべきこと、やりたいこと、といった心の欲求にブレーキをかけて、「周りに合わせる」という行動をとる時、自分自身の本来の心は無視されて、抑圧されているわけです。こういうストレスを溜め込んでいて、それを他人にぶつけている人っていませんか。「自分はこんなに我慢しているのに…」と自由に行動する他人を非難するのは、人目を気にすることで起こるマイナスな出来事です。多かれ少なかれ、皆さんにも心当たりがあるのではないでしょうか?

反対に「みんながしている」ことに対しては、同調することに抵抗はなく、乗っかりやすいものですよね。深く中身を考えることもなく、みんなしているからやっておこう。でもこれも、根幹にあるのは「人目を気にする」という心のあり方だと思います。根拠としているものは、みんながしている、みんなが言っている、テレビで言っていた、新聞に書かれていた、動画で誰かが言っていた、などなど。
学生時代に読んだ経済小説で、電通をモデルにしていると思われる広告代理店が、様々な業界の企業と連携して時代の風潮を意図的に作り上げていく様子を描いたものがありました。タイトルも作者も記憶が定かでないのですが。。おそらく現実社会での取材に基づいて書かれており、全てが創作ではないと思われる内容でした。これを読んで当時の私は、特にテレビや新聞、雑誌といったマスメディアの力というものの怖さと胡散臭さを痛感しました。メディアを資金で支えているのは、広告主である企業であり、広告代理店なのだ、ということがよく理解できました。お金の出どころには、「力」が生まれるものなんですね。
「みんながしている」「みんなが言っている」、その源流にあるのは、多くの場合こうしたメディアの発信にあります。近年であれば、ネット上の情報、SNSなどもそうですね。ですから、その本質的なものをきちんと見据えた上で、自分の言動を決めていくべきです。情報の出どころ、その情報を出した意図、背景にある事情、そういったものを意識に置いた上で情報に接していないと、真実を見誤ってしまいます。

「世間」というものが、特に日本では強く認識されており、我々は常にこの「世間」の反応を見て、行動しています。その行動を選択するにあたっては、「みんながしているから」という基準が採用されることが多いように感じます。これは、最も手間がかからなくて、考える必要もない、楽なことだからです。そして、そのように行動しない人に対しては、「アノ人は変わっている」と色眼鏡で見て、「世間」から外れた変わり者として扱って距離をとる。これが「同調圧力」を生み出し、「イジメ」の構造を作り出しているものだと思っています。「みんながしているから」、「私もする」、「あんたもしなさいよ」、という心理が働いているわけです。
この時、ここに「正しい」という視点はあったでしょうか?漠然と、「みんなやっているんだから正しいんでしょ、きっと」となっているだけで、本当の真実は見えていません。せいぜい、マスメディアから漏れ聞こえてきた断片的な情報が元になっているに過ぎません。あるいは、政府広報や省庁が発表しているから正しい、というところでしょうか。もちろん、様々な情報を元に考えて、自分の意見や行動指針を決めるわけですから、これらが根拠となることもあるでしょう。しかし、情報源となっているものの、意図や背景も含めて客観的にその情報を見る、ということがどれだけ出来ているでしょうか。「勉強する」ということが、ただこれらの「情報」を集めてくることだけとなっていないでしょうか?

学ぶ、ということは、こうした物事の本質を見抜くために「考える」力を身につけること、であるべきだと思います。断片的な情報や小手先のノウハウではなく、「これは本当か?」と疑って、真実を追求するために、様々な角度から物事を見られるようになる力、目先の情報だけでなくその源流を辿ってどのような意図があるのかを見抜く力、などを身につけることこそ、社会を生き抜いていくために必要となる「学び」なのではないでしょうか。
私は心身統一合氣道の本質は、こうした判断の源泉となる「何が正しいかがわかる心」である「霊性心」を磨くことにあると考えています。心を静め、天地自然と一体であることで、大自然から与えられた本来の能力を最高に発揮できる状態。それが「心身統一」です。世間の目や、周りの言動に流されるのではなく、しっかりと自分の頭で考えて判断し、主体的に言動を決めることの出来る人間であること。そうありたい、と考え、そういう人を育てることの出来る「場」を作りたい、と考えています。
皆さんにも共感していただけるところがあれば、嬉しいです。

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