妄想に囚われずに心を決める

※この記事は2023年9月に、私の教室の会員の皆さんに向けて書いたコラムです。内容はあくまでも私個人の意見です。

「妄想に囚われずに心を決める」

9月になりました。夏の疲れが出るせいなのか、体調を崩される方が増えている感じがあります。というと、暑さによるダメージを想像しますが、私はクーラーによる「冷え」のダメージの方が大きいのではないか?なんて、ぼんやり感じています。私の身体の実感と、何となくの直感なので、医学的にどうとかは知りません。心が動いた方は、ちょっとだけ意識してみてください。風呂に長めにつかるとか、布団にくるまれて寝るとか。あ、もちろん、熱中症には注意して稽古しますからね。

さて、最近面白い本を読み、教室の皆さんにはLINEグループで紹介させていただきました。
『新装版 ヤオイズム あなたは本当に生きているか』矢追純一(明窓出版)
著者の矢追純一さんは、私の中ではテレビ番組で「UFOや超能力は存在するのだ」という立場で、それを否定する科学者と公開討論して、ボコボコにされているオッさん、というイメージの人でした。皆さんはご存知でしたか?そんな矢追純一さん、この本を読んでみてからは、「宇宙の真理を体現しているすごい人」というイメージに一新されてしまいました。本を読んだ会員の皆様からは、同じような驚きと感動に満ちた感想をいただいております。まだ読まれていない方は、ご一読されることをお薦めいたします。「生き方」とか「人生観」「社会観」といったものが一変され、特に子育て中の親御さんにとっては、お子さんへの向き合い方が大きく変わるのではないかと思っています。

この矢追純一さん、とても厳しい過酷な環境の中から、信じられないような力を発揮して何度も這い上がって、奇跡とも言えるような成果を上げてきています。そうした行動の原動力となっている重要なキーワードは、「妄想に囚われない」ということでした。妄想とは、恐怖、不安、打算、などの心です。

私たちは通常、困難や障害に出会った時に何を考えるでしょうか?以前の私の中でのあるあるは、不安に苛まれて様々な悪いシナリオを頭に思い描き、こうなったらどうしよう、ああなったら大変だ、と頭の中で無限のループが始まっていました。悪い状況を想定して、そうならないように備えをしておく、それ自体は一見正しいように思えます。まあ実際これが間違いだとは言えませんよね。しかしその「頭で考える」ことが、本当にプラスの結果に繋がっているのでしょうか?自分の中にある知識と経験をフル稼働して、懸命に考えた結果であれば、そこには後悔がないと言い切れるでしょうか?

私も50歳にもなっておりますので、これまで生きてきた中で、大きな決断をしてきたことがいくつかはあります。それを振り返ってみて思うのは、不安や恐怖に苛まれながら考えてみてもそこに答えはなく、決断できた時というのは、そうした不安や恐怖や打算が消えていた、ということです。高校や大学の受験、就職、結婚、そして独立開業。それぞれに、その時その時の自分への問いかけがあり、「本当にこの道が正しいのか?」という自問自答は何度もしてきています。しかしそこに、不安や恐怖という「まだ起こっていないこと」「予想のつかないこと」に対する「妄想」がある時は、決断が出来ません。それに囚われたままで行った決断というのは、ただの消去法による妥協であったと思います。そして妥協の産物で行った先では、これといって自分に残ったものがなかったように思います。みんながしているからと周囲に流されてとか、ちっぽけな自分の頭の中での計算に基づいてとか、さほど心は動いていないけどやった方が良いと思ってとか。

大きな決断ができて、そこに後悔がなく良い結果につながったことは、頭の中で懸命に考えて産み出されたというよりは、直感的に「これだ!」という答えが先にあった時でした。後から考えてみると、理論的には他の選択肢の方が良かった、ということはいくつもあります。ですが、自分の中にある根源的な欲求に従って行動したことには、何の後悔もなくて結果として良かったことばかりである、というのが私の実感です。皆さんは自分を振り返ってみて、そのように感じることはありませんか?後悔がある時というのは、決断して行動した時ではなく、考えた結果行動できなかった時ではないか、と私は感じています。

矢追さんの、妄想に囚われずに行動することが正しい結果に結びつく、という考え。これは「氣の原理」と直結しているように思います。氣の原理では、「氣が出ている時、心が自在に使える」というのがあります。そして、「心が身体を動かす」です。
妄想に囚われている時というのは、頭の中の世界に自分だけで籠っており、天地(大自然)と自分の心が隔離されてしまっています。「天地と一体」になれていない、ということです。湖面の波が静まって鏡のようになっていると、山や空や月がありのままの姿で湖面に映るのと同じように、心の波が静まっている時には、「何が正しいか」が明らかに映ってくる。そして、その湧き出る感覚に身を委ねたときに、あらゆることが上手くいく。矢追さんの生き方は、正にこれを体現しているのではないでしょうか。

「こうする」と心を決めて、覚悟を持って行ったことは、大概その通りにいきます。どうだろうか?と疑問や不安を持ったままの行動は、イマイチな結果になりがちです。(これは、教室で「折れない腕」の稽古をして、実感することが出来ます)妄想に囚われることなく、湧き出す直感に身を委ねて、全身全霊を懸けて行動する。そんな時は、自分自身の能力が最高に発揮することが出来て、自分にとって最善の結果につながっていきます。妄想(不安、恐怖、打算)が、本来の能力を奪ってしまうということです。では、どうしたら妄想に囚われずに発想し、行動していくことが出来るのでしょうか?

それが「氣が出ている」ということなのだ、というのが私の中での答えです。もう既に、私も含めて多くの皆さんが、この正解を導ける状態を体感してきているはずです。「氣が出ている」のは、本来は当たり前のことだからです。しかし、上手くいかない時には、このことを忘れて出来なくなってしまっている。だから、我々は日々の稽古の中で「氣が出ている」状態を実践し続けることで、この当たり前の状態でいつでもいられるようにしている。普段の仕事や日常生活の中で、どうしても潜在意識に入り込んでくる妄想、それに囚われない「氣が出ている」状態を、潜在意識のさらに奥底深く植え付けていくように、繰り返し稽古していくのだ、と。

ただやっているだけでも楽しい合氣道の稽古、その根底には、我々が持っているもの凄い能力を最大限に発揮できるようになるという、素晴らしいオマケがついている、なんていう考え方はいかがでしょうか?共感していただける方がいたら、とても嬉しいなぁ。

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