捉え方

※この記事は2023年2月に、私の教室の会員の皆様向けに書いたコラムです。内容はあくまでも私個人の意見や考えによるものです。


寒い日が続き、とても冬らしい冬なのですが、稽古をした後は身体が暖まっていて、冷たい空気も心地良く感じられます。お風呂や暖房などで外から温めることも必要ですが、やっぱり身体を動かして中から温めるのは気持ちいいなぁ、なんて感じております。そんな2月になりました。少しずつ春を感じ始める時期でもありますね。花粉症の方、いかがでしょうか?寒いのが苦手な人には、もうすぐ春だ、とワクワクする季節ですが、花粉症の人には本当にウンザリする季節ですよね。私にも経験があります。

そんな風に、同じ季節、同じ気候でも、人によって感じ方って違いますよね。今日はそんなお話をしてみようと思います。


きっかけは、私が毎日聴いているVoicy(ボイシー)という音声メディアで、毎日発信しているとある若手プロデューサーの言葉でした。話が少し脇道に逸れますが、このVoicyのパーソナリティは本当にすごい人が多いです。フォローしている中の10名ぐらいのパーソナリティ(この若手プロデューサーも含みます)は、本当に毎日休まず10分以上の音声配信をしています。それが出来るだけの、毎日のインプット量・行動量・思考量などは、素晴らしいなと思っております。こちらは聴いているだけですが、色々と情報だけでなく刺激を受けています。おすすめです。

で、その若手(25歳)プロデューサーの言葉ですが、リスナーからの「なぜ○○さんは、いつもポジティブでいられるんですか?」という質問への答えでした。「あぁ、出来事にポジティブなものとネガティブなものがあると思っていないからかなぁ」と。皆さんはいかがですか?


日々を生きていれば、そりゃあ良いことも悪いことも起こるよね。そう言われれば、「まあそうだね」と言う人がほとんどだと思います。ところがこのプロデューサーが言ったことは、「僕は出来事に、ポジティブなこととネガティブなことという2種類があるとは思ってないです。天から降ってくる出来事は1つ。ただ”捉え方”によって、ポジティブな面もネガティブな面もある、ということと考えている。」。。。この人25歳、この若さですごくないですか?

そしてこの考え方、私はまさしく真実であり、「正しい」と思っています。


いつもポジティブだね、そんな風に言われる人は、世間一般的にはマイナスだと思われるような出来事が起きても、その中から、時には無理矢理にでもプラスな側面を見出し、ポジティブな捉え方をする人です。そして、それが出来ることは、何より本人の心が楽ですし、周りの人にも明るく楽しく見えて、余計な心配をさせません。そして、何かに取り組む時にポジティブであると、それはその事を推進するエネルギーとなり、成功することにつながりやすくなります。

では、そんな風に「捉え方」を自在に出来るためには、どんなことが必要なのでしょうか?


●捉える範囲を広くする

一つ目は、少しテクニック寄りな考え方かもしれません。出来事を捉える時に、範囲が狭くなればなるほど一面的な捉え方しか出来なくなる、という、まあ考えたら当たり前なことですね。私の仕事で例えれば、ある日の稽古の指導がうまくいかず、生徒さんの反応がイマイチだったとします。その日だけで捉えれば、生徒さんを楽しませられなかった、という事実があるだけなので、マイナスにしか捉えられないかもしれません。ですが、この失敗を機に、更に学んでもっともっと楽しく分かりやすくお伝えする方法を身につけることが出来、そして後日それによって生徒さん達に喜んでいただけたとしたら、この失敗は必要なことであった、と言えるようになりますよね。また、失敗したと思っているのは自分の感情ですが、生徒さんの中には、よりレベルの高い人がいて、私の失敗の原因分析をして、自分の仕事において同じ失敗をしないようにしよう、と反面教師的に活かしてくれるかもしれません。


短期的に捉えるより長期的に捉える。自分だけ、という短視眼的な捉え方よりは、他の人の目線も含めた俯瞰的な要素も取り入れる。そんな風に、捉える時の範囲が広くなればなるほど、一つの出来事から見える側面も多くなっていきます。そうなると、ポジティブな面が見えてくる、というわけです。

このように、広い範囲を見ることができる、感じ取ることができる感覚というのが、「氣が出ている」時の実感です。この広い視野での物の見方を身につけることも、心身統一合氣道を学ぶ意味の一つである、と言えるでしょう。


●見ようとしたことが見える

二つ目は、潜在意識の問題であり、意識の持ち方のトレーニングとも言えます。私がよく口にしていることですが、「人は見たいと思ったものを、見たいと思うように見ている」ということです。例えば、急に目の前を有名な女優さんが歩いて通り過ぎていきました、なんていう時、何が見えると思いますか?私なら、肌がキレイだなあ、とか、スタイルがいいなあ、とか、やっぱり美人だなあ、なんてところではないでしょうか。しかしこれが別の視点を持つ人になると、○○のブランドの洋服だった、鞄だった、靴だった、とか、〇〇の香水の香りがした、とか、こんな姿勢だったね、こんな歩き方だったね、とか。。。人によって、全く同じものを見ていても、その捉え方は千差万別。その違いは、普段から何を意識していて、何に興味を持っているかによるものです。

新聞を読んでいても、興味のない記事には目がいかないどころか、存在すら認識していません。興味があることは、ベタ記事でもしっかり読んでいます。


出来事の捉え方も同じではないでしょうか。これからこの国は、自分の人生は、ろくなことが起こらない。。。そんな風に普段から考えていれば、その通りのことにばかり目に入ります。反対に、これからどんな楽しいことが起こるんだろう、どんな素晴らしい人生が待っているんだろう、なんて考えていると、そういうことばかりが目に入ってくるわけです。「心が身体を動かす」ですね。どんなものが見えているか、それにより普段から自分が何を意識しているのかが分かります。

「潜在意識を変える方法」については、過去のコラムや藤平信一会長の著書「心を静める」を読むか、教室で私にお尋ねください。。。


●天地を信じる

最後に根本的な考え方、哲学のようなものと私は理解していることです。それは、全ての出来事は、天地(大自然、大宇宙)より我々に与えられたこと、つまり天地の運行なのだ、という考え方です。私たち人間もこの世の全ての事物も、天地自然の中で生み出され、育まれてきたものであることは、間違いがありません。そうでないものは何一つない、と言っても間違いではないでしょう。


誦句集の「一、座右の銘」には、 ”万有を愛護し、万物を育成する天地の心” というフレーズがあります。この大宇宙には秩序・法則があり、それにより大自然は運営されている。その意味で、天地には広義の「心」がある、という考え方です。全ての事物はこの天地の心により動かされているわけで、どんな出来事にも、この天地の心が関わっている、と言えるわけです。この「天地」は、我々人間を滅ぼすためにこの地球上に降り立たせたのか…?それにしては、全ての環境や与えられた能力など、恵まれすぎているとは思いませんか?どう考えても、私たちが繁栄存続するように、全てを与えてくれている、とも思えるわけです。

そのように考えると、そんな天地が私の前に起こした全ての出来事には、私が更に進化発展していくために必要な、何かしら前向きな理由があるのだ、と捉えることは間違いではないと言えます。つまり、ポジティブな側面は、必ずそこにある、というわけです。


天地自然そのものをどう捉えるか、そのことによって、起こる出来事の意味がガラリと変わってしまいます。現れた出来事には、必ず何かの意味があり、それは必ず前へと進んでいくための「何か」であるはずである。そんな風に考えると、必ずポジティブな捉え方を探すことが出来るのではないでしょうか。


今回は、出来事の捉え方について考えてみました。ポジティブな捉え方、を前に出してきましたが、ネガティブが悪いこと、というわけではありません。問題点、反省点、障害となり得る予測を立てる時など、ネガティブな発想が必要なことも、もちろんあります。大切なのは、その捉え方が自在であること、つまりは心が自在に使える、ということでしょう。そういう心の使い方が出来るのが、「氣が出ている時」でもあります。そして、ネガティブなことを想定して問題提起が出来ることと、物事に取り組む姿勢そのものがポジティブであることは、矛盾しない、というのが私の考えです。この辺りを突き詰めると、更に長くなってしまいそうですね。

「捉え方」を自在にするためのいくつかの視点をご紹介してみました。参考にしていただければ嬉しいです。

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