止めたぜアピールうれしい

𝕏(twitter)で、終局後の当たり牌止めたぜアピールウザいという発信を定期的に散見する。

そもそもベタオリであったり、見合った雀力を持ち合わせてないのに、さも当たり牌だけ的確に止めたかのようにドヤる様がウザいという心理も理解できる。
または実際に当たり牌だけを的確に止められたのだとしても、それはそれで癪でウザいという心理も同じく理解できる。

しかし、私は全くウザいと思わない。
むしろうれしいとさえ思っているのだ。
これは決してアンガーマネジメントの話でもなければ、対戦相手を賞賛すべきという話ではもない。

私がうれしいと思う理由は、今後も私のリーチに対してオリてほしいからだ。
祝儀比率が高ければ高いほど、相手が押してくれるよりも相手がオリてくれる方が望ましいことが多い。
仮にゼンツァーにとって待ちや打点的に損な押しだったとしても、それは自分にとっても損だったりする。(過去記事:「アイソレート」参照)
ゼンツァーは本人のエクイティもこちらのエクイティも下げてくる(脇二人のエクイティが上がる)。
ゼンツァーが打ってくれる利得よりも、ゼンツァーに打たれたことによって収入が見込みよりも安くなってしまったり(所謂打たれ負け)ゼンツァーにアガり切られてしまったりゼンツァーの押しによって脇のアガリが生まれてしまうなどの損失の方が大きい。
当たり牌だけ的確に止めるプレイヤーがいたとしたら相当ウザいが、実際にはそんなことは不可能だ。
仮に当該局が的確なビタ止めだったとしても、以降も高い精度で止められるプレイヤーの方が少ない。
当たり牌止めたぜアピールしてる人もいくつか止めた危険牌の中に当たり牌があったケースや、たまたま最初に止めた牌が当たり牌だったとしても他の牌でもオリてたというケースが多いだろう。
今後も当たり牌より多いであろう当たり牌じゃない危険牌でオリてほしい。
なので私は当たり牌止めたアピールをされたときは「うわー止められちゃったかー打ってよー😭」と悔しがってみせる。
人は褒められた行動を反復する(褒めるのは他人からでも本人の中ででもどちらでも構わないのだ!)。
また、こうした受け答えをする方が社交場のコミュニケーションとしても望ましい形だと考えている。

話のついでにここで私の酷い点を告白しよう。
「さっきの局って 8m 通った?」と聞かれたとき、実際には当たり牌でなくても「当たり!なんで止めちゃうのよ😭」と答えている。今後もオリてほしくて(なんて嘘つきなやつだ!)
あとはコミュニケーションとしてなるべく相手の話す内容を肯定したい、否定文を使いたくないというのもある。
自分に見えない範囲も想定して物理的に当たり得ない可能性がある場合は「通ったけどあの状況で 8m はちょっと切りづらいですよねえ」などと共感を示し、以降もオリる選択をしやすいように誘導する。
(雀力の向上に熱心な若者だったり競技志向の強い方からの質問の場合には全て正直に答える)
競技としてみんなで強くなろうというコミュニティなら話は別だが、ゲームで勝つということは相手になるべく多く不正解を選んでもらうという側面もあるだろう。

他にも当たり牌止めたぜアピールされてうれしいケースがある。

例えば、場に1枚切れのカン8sリーチを打って流局した際に、「オレ暗刻だったよ!ほら!」と手牌の 8s 3枚を見せてくるケース。
これもウザいと思う方も多いようだが、これも私はうれしいと感じてしまう。
純カラでアガリ目のない手牌だったのに無失点で局を終えられ、その上ノーテン罰符までもらえるなんて純カラテンパイの局としては最高の終わり方ではなかろうか?
「やっぱりこんな待ちでリーチするもんじゃないな…」とボヤき他家に不用意なリーチはかけない価値観を植え付けるのも忘れてはならない。
リーチした当人にとっては不用意なリーチでも、受け手側からしたら基本的に他家のリーチはこちらのエクイティを奪うものだ。
また不用意なリーチをランダムに打たれるよりも、妥当なリーチだけ打ってもらえた方がこちらの押し引きの精度も増す。

という訳で、ウザいとかウザくないとか、アンガーマネジメントだとか心の持ちようだとかポジティブシンキングだとか関係なく、私は理屈としてウザくないどころかうれしい!

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