コロナ下の出産風景3

  日記より26-23「コロナ下の出産風景3」        H夕闇
   二月十日(金曜日)曇り後に大雪(積雪:18時8㌢、21時15㌢)続き
 先日(コロナ感染前)年賀に訪れた娘の夫婦と妻と四人でベビー用品店へ出掛(でか)けた時、三人は既に胎児の性別を承知だったらしい。だが、(今にして顧(かえり)みると、)僕との約束が有ったので、女児用の品物を買えなかったようだ。それで、きょう家内は大手を振って女の子向けの商品を買うべく、二度(ふたたび)NM屋へ出向いた。
 但し、天気予報に依(よ)ると、昼から降り始めて、大雪になるらしい。一方、間も無く卵を使い切りそうなので、その前に入手したい。そこで、妻は十時に開店するNM屋へ徒歩で向かい、僕が既に営業中のドラッグ・ストアTの卵を買いに自転車で走り、それからNM屋で落ち合おう、と取り決めた。
 ピンク色のと苺柄(いちごがら)のと二着の長袖(ながそで)カバー・オール(繋(つな)ぎ服)、薄桃色(うすももいろ)と白の肌着二枚組みを二組み、ひよこ柄の淡い黄色のタオルケット、その他を家内はドシドシ買い物籠(かご)へ入れた。皆いかにも女の子用と著(しる)き可憐(かれん)な品々である。思う存分に産着(うぶぎ)を買って(鬱憤(うっぷん)が解消か、)家内は晴れ晴れとした表情だ。
 会計カウンターに並ぶと、どこかの若い母親が曰(い)わく、「○○ちゃん、これジージが買って呉(く)れるって。」と。いずこもジージが仕払うのである。老人の顔をコッソリ覗(のぞ)くと、これ又ニンマリして満足気である。

 夕方むすこのmから電話が入った。僕が立ち会い分娩を最初に体験した子である。ここには既に僕の孫たちが有る。僕の腕時計にビーズの飾りを作って呉(く)れたのは、その初孫である。もう長女Kから出産の知らせが行ったらしく、僕へも祝いの便り。僕は今更(いまさら)のように「お前の所は、皆(みんな)無事に安産で、良かったなあ。」
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  二月十一日(土曜日)雪晴れ(積雪:0時21㌢)
 昨夕、隣家のTちゃんが裏の道路を我が家の方まで除雪してくれたようだ。後から僕も雪掻(か)きしたが、それからも更にドンドン降り積もった。そして、未明に已(や)んだらしい。
 けさは未だ暗い内から(自動車が通って踏み固められる前に)除雪作業を開始。準備体操をしたから、肩や腰の筋肉痛は予防できる筈(はず)だが、冷めたい大気の中でも汗ばむ程に重い雪だ。
 自宅の裏(春には鈴蘭(すずらん)の咲く当たりに)窓まで届く雪の山が出来た。一時間余り雪を掻(か)く内、青空に散らばった雲が、皆ホンノリと茜(あかね)色(いろ)に染まった。真っ赤でもなく、オレンジ色でもなく、(そういう刺激的な色彩とは異質な)紅(くれない)に乳白色を溶かし込んだような優しい色合いである。
 昨今は重労働を自(みずか)ら買って出る。僕が骨を折る分、娘の出産が軽くて済む、などと迷信じみた願(がん)を掛(か)ける訳ではないが、産婦と困難を共にしたい。父が難儀することで子と孫が楽になるよう、、、多少そんな風(ふう)に念じないでもなかった。除雪スコップを振るい乍(なが)ら、その気分をフと自覚し、自嘲した。
 きょう深雪の中を長靴(ながぐつ)で一キロ半ばかりスーパーBへ買い物に出たのも、苦手な確定申告のPCに単身で立ち向かったのも、(省(かえり)みれば、)同様の気分だった。合理主義を以(も)って自(みずか)ら任ずる僕としては、そんな世迷(よま)い言(ごと)を(意地でも)口外する訳には行(い)かないけれども。
 孫の誕生を後追いするように見舞(みま)った異例の大雪。明けて本日はスッキリ晴れ、濃い紺碧(こんぺき)の空が拡がる。娘の病室は西向き、窓際のベッドだそうだ。新生児の視力は弱いと聞くが、高層階の見晴らしは一体(いったい)どんなだろうか。日毎(ごと)に幾(いく)枚も送信されて来る写真を見ると、二重の大きな目は黒目がちで、両隅(すみ)に残った白目の部分が神秘的な青味を帯びている。その澄んだ瞳(ひとみ)に、今後どんな世界が映るのだろう。
 足元を時々新幹線が走るそうだ。かなたにはⅮ山。山上に三本テレビ塔が立つ。夜になると、それがフラッシュ点滅したり、翌日の天気予報を示して色変わりにライト・アップしたり。きょうの窓外は一面の白銀だろう。広々と豊かに展開する青空の下、丘陵の銀世界は眩(まぶ)しく輝いて、定めし一幅の絵になる筈(はず)だ。
 丘の麓(ふもと)に学校が有り、その二校に(合わせて二十星霜)僕は勤めた。震災の時にはN小学校の体育館が避難所になって、(父が入院中のO病院で働いた後、)改めてボランティア休暇を取り、そこへも入った。
北麓をH川が流れ、M橋の袂(たもと)には今年も白鳥が渡って来た。先月末の寒波、一時は川面(かわも)が全面結氷した、とのニュースを聞いた。嘗(かつ)て仕事が旨(うま)く行かずにクサクサした時、その川原へ出たら、鮭(さけ)が元気に遡上(そじょう)するのを目にした秋が有る。蛍(ほたる)を呼び戻すべく、支流のK堀で幼虫を育てる人も居た。
 地元N地区の人々はⅮ山とH川を日々に望み、僕も二十年余その景色を共有した。今そこで生を享(う)けた青い目の子にも、それは古里の風景となることだろう。
 遠く思いを転じれば、約一年前にロシヤが侵攻を開始した当初、ウクライナの産院も砲撃を受け、泣き崩(くず)れる妊婦の姿がテレビ画面に放映された。今月六日のトルコ南部では、地震で崩壊した建て物の瓦礫(がれき)の下から、いたいけな幼女や臍帯(さいたい)の付いた侭(まま)の赤子が、七十二時間を越えても奇跡的に救い出された。又「アラブの春」と云(い)われた民主化運動から十二年、シリヤの内戦は未(いま)だに続く。震源と国境を挟(はさ)んだ北西部は反政府勢力の支配地域で、政権側は(救助隊や支援物資を送る所(ところ)か、)更に攻撃を加えたと言う。
 そんな悲劇が繰(く)り返される同じ星の上、妻は小さな肌着を水通しして、ベランダに干した。風も無く、産着(うぶぎ)は(雪晴れの澄んだ青空を背景として)のん気に暖かな日を浴びている。その写真を送ると、娘から「#世界一幸せな洗濯だね」と返信が来た。平和の象徴とも云(い)える。娘と娘の娘が里帰りするのを心待ちする光景である。
 物干(ものほ)し竿(ざお)の向こう、広々と遥かに空は晴れ、雪が眩(まぶ)しい。
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  二月十二日(日曜日)晴れ
 洗濯。階下の座敷きへ広く日が入るようになったので、久しぶりにノートPC(パソ・コン)を運んで、日記を推敲(すいこう)。
 今月二十一日(火曜日)のHMのピアノ・コンサートを妻は楽しみにしていたのだが、月末の予定だった孫の出産が早まり、その日もう里帰りして来ているかも知(し)れない。(予定が狂ったのは、僕の確定申告ばかりではなかった。)もし未だ来ていなくて、手が空いていたとしても、演奏会場の人込みでコロナ感染し、それを新生児へ移す危険性も有る。チケットは誰かに譲ろう、と泣く泣く決心したようだ。
 そこで僕の旧同僚I先生が音楽好きだったことを思い出し、連絡を取れと言う。打診すると、(残念ながら、)腰痛で、お断り。もう一人、家内とバッハ談議で意気が投合したS先生は、メール・アドレス変更で不通。
 昼下がり、雪融(ゆきど)けの泥道(どろみち)を久しぶりにN公園へ。裏の川に(意外や)白鳥が八羽。孤独な姿を気の毒に感じていたが、ここでこんなに群れたのは初めて見た。             (日記より、続く)

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