見出し画像

今がアベレージ幸福指数最高

 私は実家が苦手だ。
 私の家族構成は両親と私とそして姉。気持ち的には家族と思っていない存在が姉。何故そんなに嫌悪しているかという詳細は省くが、齢十一の時からアレのことは人を模した何かだと思っている。いや、ある意味一番人間的ではあるのかもしれない。利己的であり、自分を演出するためには家族を騙し恩師を騙し、嘘を重ねることに何の抵抗もない。そのしわ寄せを受ける周りの人間のことは何も考えていない。そんな人間と長年離れられず、毎日気分を害される生活を送ることは俯瞰的に見ても十数歳のガキにとって大きな負担であると思う。
 自分の痛々しい部分であるとか、世間の人間と比べて劣っている・欠けている部分の責任の所在をアレに求めているわけではない。が、自分の人格形成においてどうしても影響があったことは確実である。
反面教師と言うのだろうか、ひたすらにアレと同じと思われたくなくて、そうならないように取り繕ってきた。そうして臆病で固めた部分を、最近人に褒められることが増えた。素直に賞賛として受け取れないところが、私の卑屈であり気持ち悪いところだ。というのも、自分が直そうと思って気を付けた箇所を褒められることは、因果的にはアレのお陰となってしまうではないか。何の施しも受けたくないし、何の関係性も持ちたくない。実家を出る時は二度と顔を見ない、そんな覚悟で家を出た。まぁ、そんなことを親が許すはずも無く、実家に舞い戻された時に遭遇してしまうのだが。
 姉とは十年以上口を聞いていない。存在が視界に入るだけで気分が悪くなる。話し声を聞くだけで耳をすぐに塞いでその場を離れたくなる。中学の頃はよく、寝てる自分に姉が包丁を向けて滅多刺しにする夢を見た。夢じゃなくても姉が視界に入ると「いつ刺されてもおかしくないな」と考えるようになった。もし急に刃物を向けてこっちに走ってきた時に自分は動けるだろうか。多分動けない。いつ殺されてもおかしくはない。実際はどうかは置いといて、そんな気持ちで日々を過ごしていた。
 何度も「こいつが消えたらなんて良いだろう」と思ったが、親が悲しむのでやめた。ゴミみたいな性格しているので、こいつが死んだ時に今まで親が費やしてきた養育費のとこ、習い事にかけた月謝の山々、それを自分の一存で無にすることは出来ないなと考えた。
 中三あたりで、ついに我慢ならなくなった親が姉を精神科に連れていった。私は嬉しかった。これで異常だときっちり結果が出れば精神病棟へ連行されるかもしれない。そしたら今までの苦しみが消えずともこの先の苦しみはとりあえず逃れられる。
 と、思っていたのだが結果は異常無し。
 信じられなかった。
 その時に「こいつは自覚的にキチガイ演じてるんだ」と思った。悲劇の主人公ぶるのに親や知人すら騙しているのだと。

 世間の障害持ちの方をひどく嫌っていた時期もあったが、今は逆である。何かしら抱えてる人達が日々頑張っているのに、異常ない奴が何でこんなに人に迷惑をかけられるのだろう。

 姉のことを考えている自分が嫌いだ。だが考えようと思わなくても頭に浮かんでくる。もう一生逃れられないのだと思う。諦めた。

 一人暮らしは最高である。何故なら一人だから。親は自分のことを気にかけてくれるし、本当に色んなことをしてくれる良い親なのであるが、姉のせいで苦手よりである。気にかけられることが辛い。姉がどうしようもない分、自分がそれなりに成功しなければ。そんな負わなくてもいい責任感からも少し開放される。
 だが、一人でいることは苦手だ。疎外感を感じることが苦手だ。だから、今でも仲良くしてくれている中高の友達には本当に感謝している。そしてインターネットの友人やフォロワーにも本当に助けられている。自分のくだらないツイートにいいねしてくれる人達の優しさに救われている。
 アベレージ的に今が1番幸せというのは、姉から離れたことにより常にマイナス値になるデバフをかけられていたのから抜け出したという意味である。それを抜きにしても、大学生活は今のところ楽しい。
 たまには内面を吐露したくなったので、不快感共有文でした。読んでくれた人ありがとう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?