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父が亡くなった時のこと…

2018年の10月…

そろそろ厳しい状態になってきている

と聞いていたものの ずっと青森に帰ってなかった私は 受け入れる事ができず

いやいや うちのパパに もしもの事があるはずがない✋

と 現実逃避の時間稼ぎ…💦

しかし 帰らないわけにはいかず 本当に渋々 帰省することにしました

急に決めたもんだから 新幹線が取れず 初めての高速バスで🚌

車中二泊 ホテル一泊 の予定になりました

大丈夫💨また元気になるだろうし 顔を見て安心してこよう❗️

と ここでも現実逃避気味😅

息子と2人 初めての高速バスは快適で 青森に8時半頃に着き そのまま工藤ラーメンさんへGO🍜
そこで 息子はあっとゆー間に工藤ラーメンさんの虜になってしまった次第です❗️

そして アスパムに寄りつつ 警察署近くのレンタカー屋さんへ🚗

母に電話して実家に向かいました

免許を取ってから初めての青森での運転です
しっかりカーナビをセットして…
めっちゃ緊張しましたね~💧💧💧
息子はこの日から カーナビセッティング大臣に任命されました(笑)

実家で久しぶりの母との対面💡
母が小さくなっていました
ショックというか やっぱりというか 何ともいえない感情です

面会は午後からということで ひとしきり話をして 叔父にも連絡をして 叔父と母と息子とまずはランチをしてから行くことに決定~

病院の近くの焼肉に行きましたが 母が食欲旺盛なのでひと安心🎵

ランチも終わり病院に行く時に 叔父が行かないと…
叔父は衰弱してきている父を見るのがツラくて仕方ないと言いました
元気な義兄さんしか自分の中にはいないんだ
と…
それを聞いて 私は一気に現実に引き戻されました❗️
そんなに悪いんだと…😢

母と息子と病室へ…

点滴を抜いてしまうので 縛られている父(ま これは父の性格上全然許容範囲)
目は見開いているけど 口の開閉も難しくなっている様子
会話は出来なくても 返事はしてくれて 私と息子を見て喜んでくれ 涙ぐんだ父でした

涙が出そうな私だったけど ぐっと堪え

車の免許取ってママを乗せてきたんだ~
パパも退院したら 乗せるはんでお風呂でも行くべさ~

と 微妙になってしまった津軽弁で話しかける

うんうんと答える父…

おねえちゃん(私のこと) 運転上手だよ~

と 母…

嬉しそうな父…

後悔の念に押し潰されそうになりました😭

父の足は もうほぼ血が通っていない 関節が動かない…など
病院で仕事をしていた私は 死期が迫っているのがわかりました

それでも 奇跡は起こる 大丈夫❗️と自分に言い聞かせる私は いろんなことを父に話しかけました
主に 食べ物の話でしたが…(笑)
元気になったら 嶽きみ 送ってくれ 大谷のそば送ってくれ ラーメン食べに行こう…など…

ドラマや映画なら

今までありがとう✨

と 感動的な場面なのですが 食べ物のことばかり…😜

そんこんなで デカい声で盛り上がり笑ってたら看護師さんが来て
やば 叱られる‼️
と 言われる前に謝ったら
大丈夫ですよー 娘さんたち来て賑やかで良かったね~🎵 早く元気にならないとだね‼️ここで寝てる場合じゃないね❗️
と言ってくれて その場しのぎなことはわかってるけど すごく嬉しかったし 私が元気づけられました

そして 別の看護師さんに呼ばれ 状態の話をされ

いつ そうなってもおかしくない状態だから 妹さんにも早めに来てもらって欲しいと…

私は次の日には帰るけど 来週早々に妹と来るので それまでお願いします

と伝えました

それでも 心の中では80%くらい 父の回復を信じていたと思います

その間 母は 看護師さんを捕まえては

痰が苦しそう… でも吸引してる時も痛そう… もし 誰もいない間 痰のせいで息が出来なくなったら…

と 心配なことを言っていました

何度も何人もの人にやってるので 看護師さんたちに
すみません😢⤵️⤵️
と言ったところ

えっ❗️ 構いませんよ❗️心配な気持ちはわかるし 心配だからこそ何度でも聞くんですよ 何度でも答えるのも私たちの仕事ですから 大丈夫ですよ☺️

と… 天使だ‼️ 天使たちがここにいる~💕 と 感動です(笑) 声には出しませんでしたがね

そして 次の日も お見舞いに行き 父には

母がトイレに行っている間に

もしこのまま入院長くなっても ママのことは私たちが何とかするから 心配しないでちゃんと治してよ❗️

と 伝えました これだけは言っておこうと決めていたのですが さすがに退院出来なくても とかは言えなかった
この時は笑って話そうと思ったのに 涙が溢れて 父も涙ぐんでうんうんと頷いていて 息子は窓の外見て背を向けるしで 地獄の時間でしたね😅

そして 来週は妹と来るからね‼️

と約束して 実家に戻り お刺身とかで 久々に母とご飯を食べました

帰り際 母が 何の足しにもならないけど…

と 車に乗り込む私に5000円を握らせました

実家は決して裕福ではなく ギリギリなはず… 断る私に無理矢理握らせる母…
車を走らせてから 泣いてしまいました

その5000円は まだそのままお財布に折りたたんでしまっています…
いや… 忘れてたんですけどね(笑)

そんなこんなで 帰りも高速バス🚌~

妹に 来週いつにする❔などLINEしてて 疲れているはずなのに眠りにもつけずにいたら 病院からの電話💦
何度かかかってくるけど 走行中で出られず
何かあったんだろう ひょっとして…
とは思って覚悟はしたけど それでも希望は持ってました💧

盛岡辺りだったかな… 深夜2時近くの休憩で外に出たので 病院に電話してみたら

1時過ぎに亡くなられました…

と…

実感は無かったけど 悲しさなのか悔しさなのか

ありがとうございました

と言うとともに声をあげて泣いてしまいました😢

が それも一瞬のことで

すみません 大変な時に… それでですね 葬儀屋さんとかどうしますか❓️

と… ですよね~ 母じゃ話にならないだろうし ここは私だよな❗️と覚醒しました
実は昔は葬儀屋でも仕事をしていたので 流れは全てわかります

病院に詰めてる葬儀屋さんはありますか❓️
病院での紹介などはありますか❓️

などなど 聞いて

朝8時過ぎには 新宿に着くのでそしたら 市の担当の人やケアマネさんにも相談してすぐに電話します❗️

と伝えたところ

お父さんは 霊安室に移さず お母さんがいつでも顔を見られるように病室にいてもらいますね
お母さんがショックで 立ってられなかったので 病室の近くの部屋で朝まで休ませるので心配しないでください

と… 再び 天使降臨💕

その時 私も死ぬときはここに入院したい❗️とマジで思いました

バスに戻り 息子に報告

え…

と短く言い 後はずっとうつむいていて 眠れないようでした

私は妹にLINE… 寝てるだろうから既読にはならず

次の 休憩の時にタイミングよく電話がかかってきて

間に合わなかったか… でもさ おねーちゃんを待ってたんじゃね❔ 何年も会ってなくて 会いたかっただろうし 顔を見てホッとしたんじゃん

と… つまり 私がトドメを刺したという結論になりました😱死神かよ(笑)

そして 新宿のバスタ新宿という 高速バスターミナルに着き まずは妹に電話してから 次の日の新幹線とバスの空きを調べ 青森の市の担当の人に電話して 市のおすすめの葬儀屋さんを紹介してもらい 病院へのお迎えなど手筈を整え とにかく私が青森に行くまで 預かって欲しいと頼みました💧
それはもう快く何もかも承諾してくれて助かりました~💡

そして驚いたのが 市の担当の人もケアマネさんも 父が亡くなったことにとても驚き いろいろとここ数年の話してくれたことです
私が親不孝している間に きちんと見てくれて力になってくれて 人間関係を築いてくれていたのだと 感謝しかありませんでした✨

何だかんだで 家には昼頃に着き また帰省の支度をして 夜は仕事に出ました

そのうちバスのキャンセルが出て席を確保 ホテルも三泊予定で二泊のみ確保
後は青森で❗️
妹は飛行機のキャンセルが出たけど 片道五万になっていて それでも…と思ってたところに新幹線が取れてラッキー✋

妹と打ち合わせのために葬儀屋さんに向かい 冷たくなった父と対面して 一気に後悔しました
妹ともっと早く一緒に来れば良かった…
夏に一緒に帰ってきていたら 皆で会話が出来たのに…
バカな私 アホな私

と しんみりしたのもつかの間 打ち合わせしなきゃで…

葬儀屋さんもやりにくかったでしょうね
手続きは全て私がやれるから やります❗️って言ったけど そこは代行料として 葬儀屋さんも取りたいところなのはわかってるけど 節約(笑)
お通夜は このまま葬儀屋さんで❗️実家を片付ける時間もないし…
告別式は家族葬なので 火葬場で❗️
父の友だちは 先に天国に行っちゃってるので来てもらえないし 来ても困るし(笑)

私 妹 私の息子 妹の娘 母方の叔父 父の弟夫婦 私の従姉妹3人 というメンバーでのお別れでした

火葬場で母は貧血なのか倒れて横になり 看護師の従姉妹が面倒を見てくれて助かりました

お骨あげの時 関東では一人一回お骨を拾うと 後は職員の方がサラッと説明しながら ガシガシ入れていきます

そのつもりでいたら 二巡目が…
えっ と思ったけど 人数が少ないからだと思ったら 三巡目が😱
結局全部 身内でやると…
途中 離脱しました
飽きちゃって(笑)
骨になった父を見るのがツラかった ということにしておきましょう(笑)

いまだに 信じられなく 骨になってしまうと別物に思えてしまい 余計に信じられません

悲しみは 時間の経過とともに襲ってきます
父に似ている人を見た時
父の夢を見た時
何かの折りに 悲しくなります

母のことは 少しでも後悔が少なくなるように マメに会いたいと思ったら このコロナ禍で 帰省もままならなく ストレス溜まりまくってる今日この頃…💦

何か こうやって文字にすると 父が亡くなったことで 人の優しさに気づいた事が多く 父からの最後のプレゼントなのかな❓️と…✨

私が接した青森の人はみんな優しかったし たくさんの人に救われました

よく 役所の人が対応悪いとか 病院の人が冷たい とか聞いたりもしますが 市役所の人はどの課の人も 親切で母のことも心配してくれましたし 協立病院はしっかり連携してくれて 母もその後も通院させてもらってます✋
包括センターの人も 定期的に電話もくれて 私たちは安心してお任せできるし 入居している施設は言わずもがな…✨

なので 帰省する度に市役所に行き 担当の人に挨拶するのが私と妹の恒例となっています
父の担当だった人は課が変わってしまったけど 現担当の人に聞いて 挨拶しに行くという ほぼストーカー(笑)
本当は どこもお菓子とか渡したいけど 受け取れない と言われたので言葉だけなのがもどかしい😅

あー 青森に帰りたいな~❇️❇️❇️❇️



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