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2024年6月17日(月)|きょうのひとこと

 昨日は葛尾村で開催された「あぜりあ市」を覗いてきました。
「あぜりあ市」は葛尾村復興交流館あぜりあで開催されているお祭りです。

 きのうは快晴なうえに気温も高く、終日夏日の天候ということもあり来場者も多く、各種催しや出し物も盛り上がっており、小規模ながら参加しがいのあるお祭りでした。

 催しの内容は、音楽系の催しが2つほどあり、1つ目はサックスの演奏会、2つ目はパンフルートとピアノの演奏会(ピアノ伴奏はナガミネさんのお母さん!)、少し間をおいて丸太切り大会という、のどかで素晴らしい、青空の下で行われるにはぴったりなラインナップでした(無事日焼けもしました)。

 野外音楽会は晴天の下に設置されたステージ前の椅子に腰掛け思い思いに演奏を楽しむスタイルで、そこには親子連れの姿や、おじいちゃんおばあちゃん、出店なさっているスタッフさん、葛尾婦人会のピンクのTシャツ姿まで、いろいろな姿がありました。
 その場にいらっしゃる皆さんが、サックスやパンフルート、ピアノの美しい音色に耳や心を傾け、その場を心から楽しんでらっしゃるように私の目には映りました。

 目の前に広がっている平和で和やかな風景を眺めていると、かつてこの村の住人全員が住まいとふるさとを追われ、5年3ヶ月もの長い間帰還を許されなかったあの震災と原発事故による出来事が、まるで嘘や幻のように感じました。

 けれどもその嘘であってほしいような悲惨な出来事は実際には現実で、目の前で笑顔を浮かべながら穏やかに過ごされているみなさんが、あの苦しみ、怒り、悲しみ、無力感、切なさといったあらゆる負の感情を飲み込み乗り越え、ときには激昂したり涙をこぼしたりしながら苦境や苦難を乗り切ってきた方々なのかと思うと、自分でもびっくりするほど感情が揺れ動いてしまいました。


 原発事故が及ぼした影響の計り知れなさ。
 原発事故によって失わされたものの、あまりの尊さ。

 人々の生活、とひとことで語られるものの内訳は、こうした些細なよろこびや嬉しさ、文字や活字、映像、メディア媒体には出てこない毎日の営みであったのだと感じます。


 震災直後は私も、一次避難という形で母の知人の会津にあるマンションに身を寄せていました。

 期間としては2〜3週間ほどのごくごく短い時間でしたが、当時住んでいた家に帰ることができるのか、日常を取り戻せるのか、仕事は再開できるのか、放射能の影響は「ただちに」は影響がないと繰り返されて放送されているが、「ただちに」を過ぎた頃には影響が出てしまうのか―――といったあらゆるレイヤーのものごとを、避難中はずっとマンションの一室でぐるぐると考え、不安に思っていた記憶があります。


 私の避難生活はたった2〜3週間、1ヶ月にも満たない短期間でしたが、あの先の見えない不安や恐れを5年以上抱え続けることの心理的な負担は、果たしていかほどであったのか。


 みんなにおいしいカレーをつくって振る舞っている婦人会のおばあちゃんも、お子さんの頭をなでながら演奏に耳を傾けているお父さんも、あのなんともいえない、とうてい消化しきれない体験を経て、辛酸を舐め、不安や諦観をなんとか乗り越えて、それでも恋しいふるさとである村へ戻る決意をなさったのかと思うと、原発事故はほんとうになんてことをしてくれたんだ、と、震災から十余年たった昨日でさえ、腹の底から湧き上がるような怒りと悲しみを覚えるほどでした。


 そんな私の感情の揺れについて、青空のもとで奏でられる音楽たちはどこ吹く風で。

 その音色、目の前の美しくおだやかな風景、素朴で心優しい人々、そして周囲の方々のやさしさに、とても救われた昨日でした。

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