【完全版】愛する者のいるすべての女性たちへ
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・黒名ユウを誹謗中傷しない
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2024/6/29「愛する者のいるすべての女性たちへ」(c)黒名ユウ
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著者:黒名ユウ
※【現題】書籍を愛するすべての女性たちへ
■はじめに
僕は官能小説家です。僕が書いているのは男性向けです。
ですが、初めて読んだ官能小説は倉田悠子(くらたゆうこ)先生の「くりぃむれもん」のノベライズ版でした。
倉田悠子先生は覆面作家で、実は別のペンネームでは詩人として知られる著名な方です。(検索してみてください)
僕は倉田先生をとても尊敬しています。そして感謝も。
女性でありながら男性向けのエロを書いていたから?
それもあるけど、違います。
日本が誇る文学者だから?
それもあるけど、違います。
実は倉田悠子先生は今、書店に沢山あるエロラノベ・・・エッチなライトノベルの開祖だからです。
倉田先生のノベライズ小説が、この分野に火をつけた。
現代の若者向けエッチ小説の市場を切り開いた。
そのおかげで僕らがいる。
先生が書いていたのはBLでもTLでもありませんが、でも、そのおかげで、後に続く者たちが・・・それこそ若い女性が読むようなジャンルも開拓していけたのです。
そういうわけで、そのことを知っている男性作家なら、女性を見下そうなんて考えを持ちません・・・持ち得ません。
自分たちを生んでくれた母親を蔑むことなんてできません。
そうでなくても、なんだかんだエラソーなことを普段言ってる男たちが最後に何かに縋るとき、大声で叫ぶ言葉は「お母ちゃん!」です。
まあ、こんなことは言われなくても、女ならそんなこととっくに承知で、だから普段のエラソーな態度は大目に見てやってるわけですよね。賢い女性は。
で、倉田悠子先生はいい意味で「火をつけた」。
男性にも女性にも新たなマーケッットを生み出した偉大な女性。
おそらく、日本に凄まじい経済効果をもたらした、知られざる功労者だと僕は捉えていますが、今度はその逆に、悪い意味で「火をつけた」人の話をします。
どうか最後まで聞いてください。
書籍を愛するすべての女性たち、やがて人の親になるかもしれない女性たち、もうすでにそうなっている女性たち・・・そんな女性たち、いや、そうでなくとも女友達がいる人すべてに聞いて欲しい物語です。
今年に入ってから立て続けに二件の書店脅迫事件が起きた。
どちらも書籍の発売を巡っての脅迫だった。
「ネトゲ戦記」暇空茜(ひまそらあかね)著
「トランスジェンダーになりたい少女たち」アビゲイル・シュライアー著
どちらの場合も、放火して書店へ訪れたお客を無差別に殺すというおぞましい内容で、しかも脅迫があったことを公にするなという指示まであったという。
もともと敵の多いことでも知られる暇空氏の「ネトゲ戦記」はさもありなんという感じだったが、シュライアー氏の「トランスジェンダーになりたい少女たち」にまで同様の脅迫があったことには違和感があった。
確かに、原著も出版後に物議をかもしたし、内容への抗議で色々な悶着もあったいわくつきだ。
しかし、欧米ほどのLGBTムーブメントがあるとはいえない日本で、このように執拗で強烈な攻撃がなされるものだろうか?
それは、ほんのちょっとした素朴な疑問だった
「執拗」というのは、日本での出版の経緯のことだ。
まず、カドカワから出版される予定だったこの本は「タイトルや宣伝文が当事者を傷つけた」とするキャンセルカルチャーによって出版中止に追い込まれた。
しかし、それで浮いた出版権を獲得した産経新聞出版が再度出版を告知すると、前述の通り無差別放火殺人予告という脅迫が行われるに至った。
それはまるで「今度こそ絶対に出版を止めさせる」という意志があるかのように感じられた。
本書は今でも書店によって非常にデリケートな取り扱いとなっているという。
そんなことをネットで見かけた人もいると思う。
それもなんか変な話だ。
なんというか、こういうのはほとぼりが冷めればアッサリ書棚に並ぶようになるものでは?
ネットの炎上だって、そのときだけ大騒ぎだけど、ひと月もすればみんな忘れてしまうじゃないか。
それなのに、なんだかこう・・・上手く言えないけれど漢字四文字で表すなら「周知徹底」みたいな。
そんなところにも執拗さを感じる。ただの違和感でしかないとはいえ、だ。
落ち着かない。何かが引っかかる。
事件が起きた当初は「ネトゲ戦記」から始まったこの一連の事件を繋げて考えていなかったが、両方の書籍を読んでみて、ある共通点に気づいた。
「ネトゲ戦記」の暇空茜氏は東京都の福祉事業の公金不正問題を住民訴訟で追及している人物だ。
そして「トランスジェンダーになりたい少女たち」はLGBTの問題を扱った本という印象とは裏腹に、実は「新しい福祉利権」についてのドキュメンタリーだった。
簡単に内容を紹介するとこうだ。
近年どうしてか、トランスジェンダーをカミングアウトする少女が急増している。男子の増加率はさほどでもないのに、だ。
著者のシュライアー氏の出発点はそんな素朴な疑問であり、それはどうしてかを探っていく。
結果、見えて来たのは次のような仕組みだったという。
・反LGBT差別やLGBT理解促進の法律
・保育時からのLGBT教育
・LGBT系インフルエンサーの大量なSNSコンテンツ
・教育現場が生徒のプライバシーを尊重し、この問題について親を介入させなくしている
↓
・患者の主張するままに性自認を肯定するセラピーが主流化
・思春期ブロッカーやホルモン投与など薬物の使用の安直化
・陰茎や乳房除去手術を安易に施術する医師たち
つまり、こういうことだ。
ふたつの段階を経て完成する利権システムがあるというとだ。
親と子供を引き離し、思春期の子供を孤立させる段階と、
孤立した子供が親の助言もないままに薬物や身体改造に陥っていく段階。
結果として、製薬会社や性自認を診断するセラピスト、そして性的な外科手術を施す医師たちなど関連産業にお金が落ちるようになっているが、政治的な利権となっている上に、疑義を呈した者は「トランスフォビア」と呼ばれ――つまりレイシスト扱いされて失職を余儀なくされるという。
もし、これが誰かの考案したしくみだとすれば実に巧妙だ。
だが、おそらく、それは自然発生的に産み出されたものだろう。
完成された姿だけで判断すると首謀者の存在や陰謀論めいた理屈をこじつけなければならなくなる。
著者であるシュライアーもそんなことは主張していない。
世の中の利権構造は、どなに精緻に見えても、たいていはいつの間にか出来上がっただけのものなのだ。
原著のタイトルは「Irreversible Damage」(イリーバシブル・ダメージ)。取り返しのつかないダメージという意味だ。
そして、この利権構造のサイクルでは、少女が主に搾取される。
そのことは男性よりも女性のほうが察しが早いのではないだろうか。
女の子の二次性徴期の不安定な心の内を思えば、それも無理からぬものと思えるが、このサイクルにはまると、最終的には性的器官の切除や機能喪失など、身体に取り返しのつかないダメージを受けることになる。
それは社会に対しても取り返しのつかないダメージなのではないか、と、そんな感想を持った。
「LGBT差別」を助長するというよりは、現代に新しく生まれた利権構造を解説している本のように感じられた。
幸いなことに、日本はまだこのような事態には陥っていないが、いずれそうなっていくのではなかと思うと、とても不安だ。
何故かというと、冒頭で述べた通り、今年に入って立て続けに起きた焚書事件は、ターゲットが「この利権にとって非常に都合が悪い存在」という共通点があるからだ。
本を燃やす者は、やがて人をも燃やす。
多様性の尊重を装った、おぞましいシステムが今、日本に引きこまれようとしているのではないか。そんな予感がしてならない。
異常なありさまの都知事選の情景を眺めていて、ふと、そんなことを想った。
脅迫を受けた「ネトゲ戦記」の著者、暇空茜(ひまそらあかね)氏は現在、都知事選に出馬し、戦っている。
対立者たちからさまざまな誹謗中傷を受け、陰謀論者のイメージにされてしまっている上、殺害予告まで受けており外出もままならない彼は、政見放送すら出ることができないまま必死に訴えかけている。
この状況がもう答え合わせじゃないのかと思い、僕も彼とともに戦っている。
御存じない方もいるかもしれないが、暇空茜(ひまそらあかね)氏は元ゲームクリエイターだ。
「元」というのは、ベンチャー立ち上げ時に出資者として役員待遇で彼を迎えた社長に裏切られ、会社を追放されたからだ。
任されたゲームを必死になって作り上げたあと、不意打ちで追放を言い渡された暇空氏はその後、裁判を7年闘い、6億円を勝ち取ったが、それは彼が当然受け取るべき報酬だったものにすぎない。
お金は取り戻せても、彼が奪われた7年。7年で作れたはずの作品、7年分の創作の喜び、7年間で触れ合うことができはずのファン、そしてクリエイターとしての未来は返ってこない。
「他の創作者たちが自分と同じようにならないため」「理不尽に創作の権利を奪われないようにするため」活動をしている彼は、今も必死で訴えかけている。
僕は今年でプロデビュー8年だが、それを奪われていたらと思うとゾッとする。だから、そんな彼の7年に免じて、話ぐらいは聞いてやってもいいかと思った。
今回の都知事選は安易な判断をすると取り返しのつかないダメージを日本にもたらすだろう。
特に、子を持つ親はくれぐれも慎重にするべきだろう。
何故なら、彼らは弱者を狙うから。
多様性の尊重を? 大変けっこう。異論はない。
保育問題の解決? それはいいことだ。
貧困女性の救済? それもいいことだ。
伴走型弱者支援? 素晴らしい。
だが、気を付けてほしい。
その助けられた者たちは弱者は弱者でも投票権を持ち、それらを束ね、支配した者は絶大な権力を握り得ることを。
福祉利権とはそういうものだ。
管轄する者を選ぶときは慎重にならねばならない。
何故なら、それは簡単に監督者と癒着するからだ。
「人助け」をしているという言葉だけに騙されないでほしい。
それが本当にそうなのか? 表面だけのものなのかはしっかりと見極める必要がある。監視されなくてはならない。
でなければ、僕らはやがて燃やされる。暇空茜(ひまそらあかね)氏のように。
LGBT法案だけでなく美名と共にやってくる「なんか良いことっぽい」提案には気を付けてほしい。
イメージだけに釣られて喜んでばかりだとナメられる。
見た目だけの頭カラッポな政治家を首長にしようなどとフザけたことを企まれる。
なんか変でも気づかない、なにか起きても気づかれない、たまに気付いて大騒ぎがあっても、ひと月もすれば忘れてしまう。
そんなことだからナメられるのだ。
それでは何も変わらない。
いや、むしろ相手をますますツケあがらせる。やりたい放題になっていく。
そのことは女性の方が実感をもって想像できるのではないだろうか。
忘れたのだろうか、尖閣での中国漁船衝突事件のとき、僕らに真実を届けてくれた人の覚悟を。
忘れたのだろうか、かつてルーピーと呼ばれた首相のことを。
喝采と共に彼をその座につけたのは他の誰でもない僕らだ。僕らの責任だ。
また同じことを繰り返し、そして忘れるのだろうか。
もう、そんなことは終わらせなければならない。
愚かさのループから抜け出そう。
もう沢山だと示さなければならない。
そのためにはどうすればいいのか考えてほしい。けっこう、いい機会だとも思う^^
官能小説家としての僕があるのは女性である倉田祐子先生のおかげだ。
だから、僕はこうしてお話をした。
女性に対する恩返しのつもりだが、果たしてそうなっているのかはわからない。
無用な混乱・不安をもたせてしまってしまっただけかもしれない。
何を信じていいかわからなくなっただけかもしれない。
僕は僕で、僕だけの胸にそっとしまっておいた方がいいのかもしれないと迷った。だから「こんな話聞かせやがって!」とお怒りの方には申し訳ない。謝罪します。
でも、「オレオレ詐欺」の手口をあらかじめ知っておけば、引っかかったり、知らずに加担させられたりする確率も下がるよね・・・ぐらいのことだよなとも思う。
何故、詐欺の話に例えるかというと、欧米では自然発生的に生まれた仕組みかもしれないが、このシステムはすでに完成してしまっている。美しいとすら感じるほどに。
つまり、新たに上陸先をもとめてやってくるときは周到な計画と共に忍び込むだろうと想像できるからだ。
だから女性たちが、いや、こればかりは男性も、そしてLGBTの方たちも含めて各自が「反差別」なのか「詐欺」なのかを判断できるよう心構えを持っておくべきなのだ。
何故なら「政治家やマスコミ、インフルエンサーの綺麗ごと・もっともらしい話にご注意を!」なんてポスターはどこにも貼ってないのだから。
そういう意味ではこの記事の内容だって軽々しく信用してはいけない。
よくよく考えた上で、自分の選択の責任をとる覚悟で臨む。結局はそういうことだ。
■おわりに
なお、僕は男女平等論者だし、トランスフォビアでもない。
バイト先でトランスジェンダーの子と一緒に働いた経験もある。「カミングアウトして良かった」と言った「彼」の晴れやかな笑顔は今でも憶えている。
そして、いい機会なので女性のみなさんに、ひとつお尋ねしたいことがあります。
けっこう長年の疑問なのです。
それは「キモい」という言葉についてです。この言葉を絶対に使うなとは言わないですが、それを人間に向けて言う時に考えてほしいことがあります。
僕はこの「キモイ」には「レイシスト」「ミソジニー」「差別主義者」「陰謀論者」「非国民」などの言葉と同じような機能があると思います。
そう呼んだ相手を「孤立」させてしまうという機能です。
だって、誰でも「差別主義者」と呼ばれている人に近づきたくなんかないじゃないですか。「陰謀論者」もそう。
要するに「ヤバイ奴」ってことですよね。
そして「キモイ」もそうです。女性ならよくわかると思います。
クラスで「キモイキモイ」と言われてる男の子となんか「すれ違っただけでもヤバイ」みたいな感覚はあるのではないでしょか? 変な噂になりたくない、と。
「キモイ」は人間を孤立させます。
そして孤立してしまった人間は、誰にも話を聞いてもらえないまま、ずっと過ごし続けることになるのです。
同じような言葉は沢山あります。
そういう言葉は誰かを孤立させ、口を封じるために使われる言葉です。
使う者にとっては反論させないための便利な言葉。
使われた者は、心が傷つくでしょう。
でも、それ以上に、誰からも話を聞いてもらえなくなることの方が辛いです。
誰とも話せない、近づいてすらもらえない。
だったら、いつまでたっても「キモイ」と言われっぱなしのままじゃないですか。
僕はそういうのはよくないと思います。
この「キモイ」という言葉を色々な言葉に置き換えてみれば、まだまだそういう言葉はいっぱいあると思います。
だから、僕は「キモイ」に類する言葉を安易に使う女性は信用しないことにしています。
女がそうであるように、男だって女性のことをちゃんと見抜いています。見抜けます。
これを読んでいる方。
もし、この文書をあたなに届けてくれた人がいるなら、その人はあなたのことを心から思って渡してくれたんだと思います。そんな人がいるあなたは、とても幸福だと思います。
そして、僕にも、僕の心から言葉を届けたい人がいる。
それは、僕の愛するすべての女性たちです。
だって、僕は官能小説家なのだから。
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