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黒名ユウの反省会3 人狼ゲーム

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黒名ユウの反省会3 人狼ゲーム

反省会と銘打ちつつ、反省っぽい言説がなかなか出てこないこのシリーズだが、もしかすると今回もまたそうなってしまうかもしれない。

今回は、僕がどうして暇空茜に興味を持つようになったかの説明から入ろうと思う。

僕は人狼ゲームが好きだ。

村に紛れ込んだ人狼を駆逐するため、村人たちは毎日一人、自分たちの中から怪しい人物を処刑することで平和を取り戻そうとする。

誰が怪しいのか、誰が嘘をついているのか――処刑者を決めるための討論がメインとなるこのゲームが日本に上陸したのは、およそ20年前の2006年頃だったかと思う。

当時、その独特なゲーム性に魅了されつつも、時間だとか遊び相手がいないという理由でなかなかプレイする機会に恵まれなかった僕は、やがて「人狼掲示板」に辿り着いた。

それは掲示板やチャットを利用してオンラインで人狼ゲームが遊べるというものだった。

それでもやはり忙しくて、実際に遊ぶまでには至らなかったものの、それらの掲示板は人気があり、みるみるうちに進化していった。

中でもチャットログが残るタイプのものを僕は夢中になって読み漁るようになった。

村人たちの推理であったり、そんな彼らを欺くための人狼側の作戦会議であったり、ただのゲームの会話ログなのに、それはドラマと意外性に満ち溢れていた。

以来、数年程、一番の趣味は「人狼ゲーム」のログを読み漁ることだった。

やがて、ソシャゲの発達とスマホや4Gの通信規格の普及に伴い、人狼ゲームのシーンはアプリでのプレイや、その実況配信に移る。

僕は夢中でYouTubeを見るようになった。

ニコ生などでも人狼は盛り上がりを見せており、高田健志さんなど、知名度の高いプレイヤーも存在するようになっていた中「人狼ジャッジメント」や「人狼殺」など、カジュアルに対戦が成立するソシャゲ、そこから更に有名配信者、有名プレイヤーが生み出されていく環境は、僕にとって天国だった。

プテラ高橋さん、羊飼いKさん、独身貴族リンネさん、丸焦げさん、ぷるあきさん、江戸川さん・・・名前を挙げたすとキリがないが、ひと癖もふた癖あるプレイスタイルの人たちの活躍する実況動画を来る日も来る日も再生し、僕のYouTubeアカウントには人狼ゲームの動画しかサジェストされない有様だった。

そんな中で迎えた2018年。

編集部から「Vtuberをヒロインにしたエロラノベ」の企画を依頼され、そこで初めて、僕はYouTubeで人狼以外の動画もチェックをするようになった。

Vtuberの小説を書いたことで、僕は「動画配信」という文化について興味を持つようになった。

Vtuberだけでなく、人気のYouTube・・・それこそ、ヒカキンさんやヒカルさん、カジサックさん、オリラジ中田さんなど、当時、脚光を浴びていた配信者、動画クリエイターと呼ばれる人たちを分析するようになっていった。

同時に、その頃にはもう随分と激化していたツイフェミによる「創作物炎上騒動」で、官能小説家という自分の職業の将来性を危ぶんでいた僕は、小説家から動画クリエイターへの転身(ないし二足の草鞋)を模索するようになった。

そう。

生きる場所が奪われることに憤慨しているだけでは、ただのアホだ。

そこが潰されたときに逃げ込める次の居場所を見つける努力もするべき――それが僕の考え方だ。

動画の制作なんてまったくしたことがなく、知識ゼロの状態だったが、自分の小説のPVを作ってみたりして練習しつつ、クラウドワークスなどのソーシャルアウトソーシングサービスで仕事を探してチャレンジするなど、コツコツと経験を積む。

そうした活動の中で、同じようなことをしている同業者(小説家)たちがけっこういることに気づいた。

主として2010年代半ばから始まった「なろう小説ブーム」「書籍化ブーム」でデビューした新進のラノベ作家たちだ。

彼らもまた、様々な事情からラノベ業界に見切りをつけ、動画クリエイター、或いは動画のシナリオライターへの転身を図っていたのだ。

単価5000円ほどで書く「イヤな上司に仕返ししてスカッとする話」「棚からボタモチで女の子にモテモテの話」などというクライアントの指示通りの動画シナリオ。

「クソみてーな話ばっか書かされてやってらんねえ!」などとボヤく者もいたが、それはしかし、けっこうな稼ぎとなっていた。どんなに安い仕事でも、雑誌の読み切り小説の仕事よりは遥かにギャラがいいのだ。なにより依頼の件数が多い。レスポンスも速い。仕事の回転率が良いので生計が立つ。

新刊を出せばバンバン重版がかかるような作家でなければ、そりゃ、こっちを収入のメインに据えようとするってもんだろう。

小説の仕事は好きなものが書けるし、それが書籍となって流通する。それは計り知れないほど魅力的だしスペシャルだが、かといってそれだけで食っていけるかというと、そんな作家は一握りなのだ。

あそこのチャンネルは指示がしっかりしている、どこそこの運営は羽振りが良い。いっぱい仕事を振ってくれる――そんな情報を仲間内で共有しつつ、僕らはYouTubeの世界での視聴者の現実逃避のお手伝いに邁進していった。

人気チャンネルで視聴されている動画の中には、そんな僕らがシナリオを手掛けたものも少なくない。

そして、そういった請負仕事よりも、自分でチャンネルを立ち上げた方がガッポリ稼げると考える者たちも現れる。

僕もその一人であり、色々なチャンネルを試してみたが――まあ、濡れ手に粟みたいなチャンネルはなかなか難しい^^; 試行錯誤はまだ継続中だ。儲かればなんでもいいってもんでもないしね。性に合う合わないというのも意外と大事だったりする。お金目当てでやりたくないことをやっても上手くはいかないものなのだ。

小説家、ライター、シナリオライターという、物書きたちが、今、そんな風に動画業界に雪崩を打って参入しており、僕と同じように試行錯誤を繰り返しているのは間違いない。人気のインフルエンサーが、さも自分の言葉であるかのように僕たちの書いた原稿に書かれた内容を語り掛けている。

そんな風に聞くと、あのチャンネルもこのチャンネルも、もしかしてシナリオがあるのか、ヤラセなのか、けしからん! なんて思う人もいるかもしれないが・・・

そういうもんだよ。テレビも同じじゃん。作家はつけるでしょ^^;

別に騙そうとしているわけじゃなくて、一定のクオリティを出そうと思ったら、それなりのスキルを持つ人たちが裏で働かないと成果は出ないものなのよ。エンタメとは思っている以上に計算されて作られるもので、それを気取らせないのもプロの技なのだ。

インフルエンサーだって単なる読み上げマシンになってるわけじゃなくて、自分のポリシーに沿っていない脚本は使わないし。そこは安心していいと思う。自分が推してるYouTuberさんのことは、そのまま好きでいてほしい。

・・・というわけで、僕は小説の仕事も続けながら、ここ数年、真剣にYouTubeや動画作成、動画用のシナリオライティングに取り組み続けて来たわけだが、そこにも炎上が発生しはじめる。

最も印象的だったのはメンタリストDaigoさんの「ホームレス差別発言炎上騒動」だった。

辛口人生相談という企画の中での、ホームレスに対する人権軽視発言を切り取られ、大炎上したDaigo氏は「人権意識の欠如」をヒステリックに叩かれて謝罪と謹慎に追い込まれた。

しかし、削除される前の元配信を全部視聴してチェックした僕個人の捉え方としては、この問題は「人権意識の欠如」というより「毒舌芸だったら何を言っても許されるのか?」という問題のように思えた。

Daigo氏に人権意識が欠如していたわけがなく、あのような発言になったのは、問題の配信のひとつ前の企画である「甘口人生相談(視聴者のお悩みを全肯定)」に対して、真逆の「辛口人生相談(読者のお悩みを全否定)」というコンセプトがあったからだ。

つまり、そもそもが「意識して毒を吐く」というキワドイ企画であり、本心であるわけがないのだ。

ただし、酒が入っていたことと、問題の発言よりも前のパートで投げかけられた「猫の殺処分」の話題のせいで、「知り合いでもないホームレスより、僕にとっては猫の方が大事(何故なら猫は家族だから)」というようなライン越えの発言が飛び出してしまったのだろう。

これは「度を越えた表現」の問題であり、Daigoさんの人権意識を糾弾するのは本質を外していると僕は感じた。責められるべき過ちではあるにしても、もっと的を射た追及をするべきだ、と。

「それは差別だ!」で終わらすのではなく「他人より家族を一番に考えるものじゃん、人間って」と表現するのに「ホームレス」を引き合いに出す必要あんのかという批判でなければ、また同じ過ちが繰り返されるということだ。

この炎上騒動はもちろん、様々なインフルエンサーにも取り上げられた。

中でも堀江貴文氏は「Daigoは何者かにハメられた」という意見を独自に発言していた。(TV局との不仲という背景を前提にした文脈だったと記憶している)

堀江さんの発言は面白いし、独特なものの見方であっても知識や教養に裏打ちされたものが多くて参考になるが、鵜呑みにするよりは疑ってかかった方がより考えが深まり、実になることが多いと思っている。

「本当にそうかな?」と考えた僕は更にDaigoさんの状況を調べてみた。

結果、わかったのはDaigoさんが、ひろゆきさんの「切り抜き業者マッチングサービス」を利用し始めたところだったということだった。

Daigoさんは誰かにハメられたというより、このサービスを通して契約していた切り抜き業者が、再生数稼ぎを狙って刺激的なシーンを切り抜きし、それが炎上の火種となってしまったのではないか。

つまり、Daigoさんはハメられたというより自爆した。脇が甘かったということなのではないか。そんな可能性もありそうだ。

自分の中ではそう結論づけて、この件に関しての興味は薄れていった――はずだったのだが・・・

後日、メンタリストDaigoさんに対して、ある福祉団体から人づてに「人権意識に関する研修を受させてもいい」という申し出がされたというニュースが報じられた。

その団体は「抱樸」といい、ホームレスの人たちへの伴走型支援をしているという。

Daigo氏が結局、その研修を受けたのかどうかは定かではない。(僕は知らないし興味もない)

だが、そのとき「抱樸」側から提示されたという条件「研修内容を口外しないこと」というのが僕の意識に引っかかりを残した。

「ホームレスの支援というデリケートな事業であるから、プライバシー的にそういう配慮も必要なんだろうなあ」という納得と共に「口止め」的な部分に感じる「ちょっと怖いな」という感覚。

それぐらいの、ほんのわずかな引っかかりでしかなく、放っておけばそのうち忘れてしまうようなものだっただろう。

配信者に対する人権系の炎上は、それからも続き、Vtuber戸定梨香さんや、プロゲーマーのたぬかなさんなど、次々と燃えていった。

そういうご時世なのかもしれないと思いつつも、なんだか不自然なものを感じる。違和感を感じる。

なにより、そういう炎上で「官能小説」という自分の居場所を奪われそうになったと感じ、動画や配信の世界への移住を考えた僕としては、またしても安住の地を奪われるような感覚もあり、もうマジ勘弁してくれよとゲンナリした気分にもなろうというものだ。

どうしろってんだ。僕に死ねってか?

そんなときに飛び込んで来たのが「リーガルハラスメント提訴記者会見」だった。

僕はこのとき初めて暇空茜を知った。

彼もまた人権系の炎上騒ぎが不自然であるという違和感を抱いたという。そして、それをきっかけに調査活動を始めたということだった。

僕は「メンタリストDaigo」炎上がきっかけだったが、彼の場合は「温泉娘」炎上が違和感の出発点だったようだ。そしてcolaboという若年女性支援団体を調べ始めたのだという。

colaboの会計を調べていくと「抱樸」にお金が流れていく仕組みになっているように見える――暇空茜は配信の中でそう述べていた。

それを耳にした瞬間、僕の抱いていた違和感は、暇空茜の疑念と合流した。

もちろん、真偽は定かではないし「意図的に炎上を発生させていた」なんてことはまず立証不可能だろう。僕もそれを断定する気は毛頭ない。

それは暇空茜もわかっているようで、どうやら「不正会計」「不適切な公金受給」の問題として追及し、司法決着を図るという戦略のようである。

なるほど。

ならばウォッチを続けてみるか――それが、暇空茜を追い掛け出した始まりだ。

やがて、暇空茜の追及は東京都の行政に対する監査、住民訴訟、国賠請求という大事にまで発展していき、その中で頑なに報道を拒む旧メディアの不自然な態度も顕在化していった。

アンチ暇空的な活動も激化していき、とにかく「暇空茜はデマを流している」という形で処理したいという意志が僕には透けて見えた。

「陰謀論者」「差別主義者」「アテンション・エコノミー」・・・様々な理由をつけて彼の人格や信用、言動を毀損し、結論として「だから暇空の言っていることは出鱈目だ。信用するな」ということにしたいらしい。

暇空を信用するなら、お前も「陰謀論者」だ。「差別主義者」だ。「アテンション・エコノミー」の加担者だ・・・そんな風に脅して周囲の人々を暇空茜から遠ざける。そんな工作を熱心にやっているように見える。

すでに疑惑は司法の場に持ち込まれているのに、そんなことをして一体何になるのか? とも思うし、それが却って暇空茜の訴えの真実性を増してしまっているようにも思えてしまう。

それでもやるということは、他に手の打ちようがないのだろう。そうも考えることだってできる。

おそらく、裁判で牛歩をしながら時間を稼ぎつつ、できるだけ悪いイメージを暇空茜につけた上で刑事告訴を通し「名誉毀損」や「侮辱罪」で犯罪者に貶め、そのまま社会的に葬り去るという方針なのだろうとは推察しているが、果たして実際はどんな思惑があるのだろうか、そして、どうなることだろうか。

それにも増して背筋が震えるのは、それに旧メディアが全力で加担しているようにしか見えないことだ・・・少なくとも僕の目にはそう映っている。

逆らえば誰でもこうされる――そういう見せしめ行為にも感じられ、本当に恐ろしい。社会の木鐸だと信じていたマスメディアは、市民の処刑具となり果てていたのか。いつの間に?

それでも、これらはまだある程度、合法的な範囲での対暇空戦略と言える。

暇空氏の人格に対する誹謗中傷は、いささかその範囲を逸脱しているとは思うが、意見論評であると強弁することもできるだろう。暇空氏自身の批判の舌鋒もなかなか激しいので、おあいこだとする向きもあろう。

だが、今年に入って起きた暇空茜氏の著書「ネトゲ戦記」発売を巡る「アニメイト放火殺人脅迫事件」「暇空書類送検パトカー写真報道事件」

書店に対する無差別殺人予告と、脅迫の口止めと示し合わせたかのような偏向報道。これは完全に一線を越えた出来事だと思った。

前者は明確に犯罪だし、後者は犯罪的・・・マスコミによる一市民への名誉の毀損、悪質な人権侵害ではないのか。少なくとも報道倫理を問われた時、申し開きができるものとは思えなかった。

そこまでするか――

ここに至って、ついに僕は、公の場所で「暇空茜」の名前を口にするかどうかの決断を迫られることになる。

2024年。今年の二月の出来事だった。

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