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僕が暇空茜(ひまそらあかね)の味方になると決めた理由

暇空茜(ひまそらあかね)氏の味方をする――そう決めたきっかけは、今年に入って起きた書店脅迫事件だ。

暇空茜(ひまそらあかね)氏の著作「ネトゲ戦記」の出版を巡り、書店および出版社に書店を訪れた客に対する無差別放火殺人予告が届いたのだ。

しかも、脅迫を公にするなと言う指示付きで。

著者である暇空氏の独断でこのことは明るみにされたが、マスコミ各社はほぼ全てが報道をせず、暇空氏への取材もないままとなった。

結果、本来なら大騒ぎになるはずの作家クラスタの間でも、この話題はタブー化し、今になるまでまともな議論がされたことはない。

僕にはこれが信じられなかったのだが、確かにこれを口外しているのは暇空氏だけであり、暇空氏は公金不正を追及している相手から「デマを言っている」などと主張されている人物。おいそれと乗っかるわけにはいかないのだろうというのは理解できた。

作家の中では室井佑月氏だけが、堂々とこの問題を口にしていた印象しかない。

暇空氏は元ゲームクリエイターだ。

「元」というのは彼の勤め先のゲーム制作会社から裏切られ、追い出されたからだ。

出資者の一人として役員待遇で迎えられていた彼の持ち株は、株式希釈によって不当に価値を下げられた。そんな理不尽な目にあった彼は借金2千万を背負って7年の裁判を戦い抜き、6億円を勝ち取った。

6億といっても、それは本来、彼が正当に受け取るべきものを取り返したにすぎず、奪われた彼のクリエイターとしての人生は返ってこない。

7年間で彼が作れたはずのゲーム。7年分の創作の喜び、7年で得られたファンとの交流。

僕は今デビュー8年目の作家だが、彼の心中を想うと胸が苦しくなる。

もし僕がそれらを根こそぎ奪われたら、どれほど辛いことだろう。どれほどの絶望だろう。

しかし、暇空茜(ひまそらあかね)は「ネトゲ戦記」の中で恨み言はひとつも書いていない。それどころか、あとがきで訴訟の相手である彼を裏切った社長に対してすら「ありがとう」と記している。

皮肉ではなく、自分を成長させてくれたことへの感謝の言葉として、だ。

僕はその高潔な魂に心を打たれた。「ありがとう」の文字に涙を流した。

自分から7年の人生を奪った相手にすら「ありがとう」と言える人間、それが暇空茜だ。

クリエイターとしての未来を断たれた上、7年にも渡り、嘘やごまかし、卑劣な策略を連ねた相手側の訴状を読まされ続けるのはどんな気持ちだろう。

その上で「ありがとう」と言うことはどれほどの想いなのだろう。

だったら、その7年に免じて、無条件の信用を差し出してやってもいいじゃないか。感動へのお礼として、僕は彼の味方をすることに決めた。

暇空茜(ひまそらあかね)は敵が多い。しかも、その相手は権力と結びついている。僕なんかおよびもつかないぐらい頭の良い連中ばかりだ。金もあるし強大だ。
暇空茜(ひまそらあかね)の味方をすれば、僕だってタダでは済まないだろう。

でも、それがなんだろう。

たとえ惨めな末路でも、コイツの味方をしたことを誇りに死ねるなら、それで充分、僕の人生は価値あるものとなる。

そう思っている。

他のクリエイターたち。作家、ゲーム制作者、ミュージシャン、アイドル、Vtuber、お笑い芸人、自己表現をせずにはいられないすべての人々。

「そんな人たちが自分のように理不尽にその権利を奪われないように」という活動から見つかった東京都の公金不正問題。

暇空茜が都知事選に出馬して戦っている。必死で訴えている。
殺害予告まで受けているため政見放送も街頭演説もできず、トレンドまで操作され、マスコミからも封殺されながら、命を懸けて声を上げている。

彼のことを知らなかった人、なんかヤバイ人、陰謀論者というイメージを持つ人もいるだろう。

だが、彼の不当に奪われたクリエイターとしての7年に免じて、たった数分だけでも、暇空茜の言葉に耳を傾けるを見ることはできないだろうか。

最後に、利権側と結託して公正な報道を放棄しているマスコミばかりではないことをつけ加えておく。

デイリー新潮の記事「暇空茜」インタビュー 2024年04月12日

前編

後編


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