僕の北極星

どうも。
ゆうくんです。

九州大学の大学院を今年修了する後輩と飲みに行ってきました。
彼と会うのは大学2年生の9月以来なので5年半ぶり。
5年半で大きく変わったこともあれば、普遍的に変わらないもの、変わっちゃいけないものもある。
翌日私が仕事と言うことや3/21(日)まで福岡県で時短要請が出されていることもあって、サシ飲みだったのにも関わらず、とても盛り上がった。でも、まだ話し足りないと思いつつ終わってしまった。

彼には、社会人1年目のリアルを伝えつつ、自分自身の1年目が終わり、2年目に突入した今、改めて今の仕事に就いた理由、動いちゃいけないものを整理しようと思い、noteを書いている。

1.高校2年生。列車を増結させるために要望活動

高校2年生にこの出来事が無ければ、僕は今の仕事ではなく、違う仕事をしていたと思う。

高校2年生までは飛行機に関わる仕事をしたいと憧れていたし、大学も同じ工学部でも機械学科に進学したいと思っていた。

ところが、高校2年生の夏、とある出会いが僕の人生を変えることとなった。

夕方、積み残しが平日であれば毎日数人発生する大混雑のする列車があった。
もし、積み残しに遭ってしまったら次の普通列車は1時間10分後という状況で、通勤・通学客は大変困っていた。

その問題が生じたのは平成16年(2004年)。
前年までは、定員着席制の快速列車(ホームライナー)が運行されていたが、利用が好調なのでという理由で特急に昇格してしまった。
ライナー券300円→特急券920円になってしまった結果、ライナーの15分前を走る普通列車を利用するお客さんが増加し、宮崎なのに東京の通勤列車と揶揄される状況になってしまいました。
その当時に社会人の方が署名活動をして増結して欲しいというお願いをしましたが、さすがに社会人でお金稼いでいるので、嫌なら特急列車使ってください。という話で終わってしまい、8年以上このままの状況であった。

平成24年(2012年)の夏のこと、翌年春のダイヤ改正に列車を増結させる調査を始めていることを調査している方から教えて頂くこととなった。
そこで、高校側から、列車を増結させてくださいとお願いをするために動いた訳である。

もちろん、初めてのことであったので学校内の調整や仕事のスケジュールの段取りに失敗してしまうなどやらかしは沢山あった。だけど、要望書を提出した結果、夕方の混雑が激しい列車は増結され、利用する人も前年比4.5%増を記録するなど大きな効果が出たということは紛れもない事実である。
(列車が増結したのは国会議員の力もあると言われていますが。。。)

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肌感覚で増えたことは分かった。でも、一般論で利便性が向上すれば利用者は増えるし、不便になれば減る。これを理論的、定量的に説明するにはどうした良いのだろうと思ったのが高校3年生。

進路を調べていく中で土木学科に都市計画という分野や交通計画という分野があり、そこであれば学べるんじゃないかと考え大学に進学しました。

ちなみに、私が宮崎を離れる平成30年(2018年)春には、私が言い続けてきたことが殆ど目に見える形で実現してしまいました。
相手に伝えるということは大切なのではないかと思った次第です。

2.大学1年生。交通まちづくりの重要性を実感

ということで、大学に進学。
大学に合格したわけですが、大学受験をするため大学に出向いてビックリ( ゚Д゚)
あまりにも公共交通で宮崎大学に行くのが大変すぎて、大学入試の時点で萎えてしまった。。。

「あーもう落ちてしまってもいいや」って思いながら2次試験を受けたことを覚えています。

私が大学生の頃、宮崎大学と宮崎市街地を結ぶ公共交通の状況は
鉄道:JR日南線の木花駅が最寄り駅で、大学から東に2.5km、運賃280円
   本数:1~2両の車両が1~2時間に1本程度
   終電:市街地→木花22:30発、木花→市街地22:50発
バス:大学内まで乗り入れ、運賃630~660円
   本数:3系統が毎時1本ずつ、20分に1本程度
   終バス:市街地→大学 22:30(金・土は23:30)、大学→市街地21:07(土日祝は20:35)

そのため、大学で遊ぼうにも遊べないし(そもそも大学の周りに飲み屋が数件、カラオケは皆無)、市街地に行くにしても最終列車が早すぎて飲みを楽しんでいる状況で帰らざるおえないなど結構大変だったので、宮崎大学の同級生とは研究室に配属される4年生までは行くことがありませんでした。
むしろ、高校の同級生や市街地にある宮崎公立大学の友人と飲みに行く機会の方がよっぽど多く、卒業してから付き合いがあるのは、公立大学や高専編入の友人くらいで、研究室の友人との付き合いは今では全くない状態です。

この社会情勢を通じて人と人が顔を会わせて話すという大切さを実感されている方は多くいらっしゃると思いますが、それは、気持ちだけでなく環境の整備も大切だということを大学時代の経験を通じて学びました。

3.大学2年生。大学院の指導教官と出会う

大学2年生のときに図書館で宇都宮浄人先生の著本である「地域再生の戦略~「交通まちづくり」というアプローチ」という本に出会いました。
後に、宇都宮浄人先生とも出会って、宮崎に来て講演をしていただくことになるわけですが。。。

この本に九州で人材を育成する場として紹介されており、その勉強会に大学2年生ながら参加しました。
その勉強会がたまたま熊本大学で開催され、その時に大学院の指導教官となる先生と出会うこととなります。

その先生の話を聞いたときに、直感的にこの先生の下で勉強がしたいと思い、大学院は、熊本大学に行きたいと思うようになりました。

そして、その2年半後、熊本で交通まちづくりを勉強するため、大学院に行くことになります。。。


4.大学3年生。踏切事故→ヨーロッパの先進都市へ

大学3年生の10月1日のこと。
アルバイトを終えた後、一旦家に帰り、夏休みにインターンシップでお世話になった方とご飯を食べるため、電車に乗ったところ踏切に信号待ちをするダンプトラックが。。。

電車とダンプトラックが衝突し、電車は大破。割れたガラスの破片が客室にいた私のところまで飛んできて、口の下と左手を切る怪我を負いました。(ただ、幸いだったのは、目にガラスが飛んでこなかったこと)

投稿後に気付きましたが、台湾で同じような事故が4/2に発生しました。ホントに今こうやって生きていること、友人や家族と会えることは強運なんだなと改めて実感するところです。
この事故で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

この日は、花火大会もあり、踏切の先に国道があるということもあって、道路も大渋滞。

この日の全国(NHK)ニュースでも報道されるほどでした。

もちろん、怪我したので、私も行先が飲み会から病院に変更となり、その日はクタクタになってしまいました。

その後、外傷だけでなくむち打ちにもなっているということで、ダンプトラックを保有している会社の保険会社と慰謝料、治療費に関するやり取りを行うことになりました。
その交渉の結果、金銭的にも余裕ができたため、ヨーロッパの交通まちづくりが進んでいる都市に行くことになりました。

ということで知人が主催するドイツエコツアーに参加するため、翌年(平成29年(2017年))3・4月に弟と2人でヨーロッパの先進都市があるフランスとドイツに行ってきました。

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1枚目:環境首都ともいわれるドイツ・フライブルク
2枚目:ユーロトラムで有名なフランス・ストラスブール

実際に現地を訪れて分かったことは、ストラスブールが日本では評価されがちだけど、実はフライブルクの方が優れていることを知りました。
それは、ストラスブールは交通という側面だけで見れば優れているのですが、交通だけでなく、まちづくりという視点も含めて考えると、フライブルクの方が「まち」としてとても魅力があるということを知りました。

その他にドイツのシュトゥットガルト(ダイムラー・ベンツの本社所在地)や熊本市の姉妹都市であるハイデルベルク、フランスのディジョン(マスタードとワインで有名)、パリに行ってきました。

この時、私にとっては初めての海外だったので、今まで知らない世界を知り、視野が広まったという感覚があります。
4年経った現在、ドイツ、フランスに加えて中国、台湾と足を延ばしています。

まあ、帰国後にもまたまた落とされる話があるのですが、それはまた次の機会に…。

5.仕事を通じて社会的な視点でやりたいこと

1.自動車に頼らず公共交通機関や自転車(=グリーンモビリティ)があれば生活できる宮崎のまちをつくりたい。

これは、ヨーロッパの先進都市を見て思ったことですが、公共交通が確りしているとまちに活気があるし、お金のない若者にとっては、自動車を保有することは結構負担になります。
宮崎の平均初任給は17万円と言われてますが、手取りにすると13万円程度。これで自動車を保有すると、月に2万円程度は交通費に取られてしまい、生活はカツカツになってしまいます。
それも、その2万円が宮崎に流れるかというとそういうわけでもなく、そのお金の大半は自動車の製造工場がある都市や原油の算出国に流れてしまうわけで、13万円のうち10~20%が域外に流れてしまうということは地元にとって大きな損害になるかと思います。

そのような視点から、グリーンモビリティにいかに投資するかが大事なのではないかと思っています。

半世紀前、宮崎市役所前の交差点とデパート前(山形屋やナナイロ宮崎)のある交差点には県木であるフェニックスが植えられたロータリーがありました。

22世紀を見るであろう私たちの子供や孫にその景観を復活させたい思いがあります。

そして、宮崎市は、九州で流域面積が2番目に大きい大淀川が街を2分しています。
昨日(4/3)も大淀川を横断する橋である小戸之橋が開通しました。
宮崎は、大淀川を横断する新たな橋が開通することで徐々に発展してきたまちです。

今までは、人口増加、経済成長で新たな橋を建設していけばよかったわけですが、今後の社会情勢を踏まえれば、橋の数を減らしつつもいかに東西南北の行き来をどう確保していくかが重要になってくるかと思います。

そうなった時に、それだけの人流・物流を確保できるのりものとして何が適しているのだろう?となると自ずとどういうモビリティが必要になってくるかと分かってくると思います。

上記のように新たな交通インフラを作って行くということは、私が今いる会社は得意とする分野ですので、会社の業務を通じて学びたいと考えています。

2.目の前にある移動の問題を解決していきたい。

このことは、この分野に興味を持ったきっかけであり、僕の原点であると考えています。

大学院時代は、高齢者に公共交通を使ってもらうにはどのような情報提供が重要か?ということを数学を用いて証明していく研究をしていました。
結局は、公共交通にアクセスすることが便利で将来免許返納を考えている若年高齢者に働きかけることが効果があるという当たり前の結果が出たわけですが。。。

こっち側は会社としてはどうなんだろう?
今は会社の業務としてやっていくことが無理でも、実力付けていって、挑戦できるのであれば、挑戦してみたいと思うことです。

またまた長文になりましたが、ここまで読んで頂きありがとうございます。

次回の投稿をお楽しみに!

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