200305_自然での遊びと学びをどう教室に持ち込むか

【問い】自然での遊びと学びをどう教室に持ち込むか

どんぐりが、私の発想回路に、どうやら深く根差しているようなのだ。

最近、「はい、いまから5歳児になって、この家で遊びましょう!」と言われたことがある。出会ってまだ4日くらいのアラフォー男子たちが、すごく特殊で素晴らしくステキな(Extra-Ordinaryな)プロセスを経て、本当に5歳児になったテンションで臨んだ。その家はアメリカ西海岸の豪邸で、やや人工的だが広い庭があり、みんなで手を繋いで家の周りを一周してから自由に遊ぶ、という流れだったのだが、始まった直後に「じゃあ、何する?」というみんなの問いかけを無視して私は全力で松ぼっくりを拾いに行った(どんぐりじゃないけどね)。日本の一般的な松ぼっくりの4倍くらい、安納芋くらいのデカイやつが落ちているのを見かけていて、それで頭がいっぱいだったからだ。

まず、拾う。投げてキャッチして、もう一個見つけて、集めて、抱えて、家の隅に置いた。レンガが目に留まったので、掴んで叩き割ってみた。割れずに手が痛んだ。もっと強いやつ、いないか。庭の縁石を剥がして持ち上げて落としてぶっ潰したら真っ二つになった。その断面が見たことない何とも言えない感じだった。そこで初めて、みんなのところに行って「見て見て!これすごくない?」って言った。みんなが面白がってくれてうれしかった。断面の匂いを嗅いだ子がいて、「うわーー!そんな楽しみ方があったんだ、考えもしなかった、うわーー!」って思った。最高にテンションあがった。

自然は素晴らしく、多様な楽しみ方ができる。小さい頃の遊びは?と聞かれたら「レゴ」と答えていたが、きっとレゴ以上に自然で遊んでいたことを、その体験を通じて思い出した。

思えば、娘が2歳くらいの時にも、素敵などんぐり体験があった。
近所の公園で一緒にどんぐりを拾っていたら、娘が「ころころころ~!」と言いながら坂の上からリアル・どんぐりコロコロを始めた。それをみて、「あー!それ俺知ってる!」と思った。自分もやったことある、それ。

娘が生まれる前に、妻と、「どんぐりひとつとっても、爪楊枝を指して独楽にしたり、おはじきしたり、ぶつけあったり、色々な遊びができるから、そういう楽しみ方ができる子になったらいいね」という例え話をしてたな、ということも思い出した。

こちらの発想次第で、多様な反応をしてくれる、自然。
自然から引き出される、こちらの発想。

そういう体験を、都会の大学のキャンパスで、一階のガラス張りで日差しが差し込む教室で、再現するにはどうしたらいいか。

いま私がかまってもらっている学生たちは、なんというか、マジメだ。
もうすこしはっちゃけたりバカげたりしても、いいと思う。
こちらに気を使っていて地を出さない、というのもあるのかもしれないが、
少しそうでもないなとも思う。

彼らの多くは地方出身で、自然の中で遊んで育った子たちも多い。
東京に出てきて、大学院まで来て、だいぶオトナ化してきている。
大人とかいて、大人しいという意味になるのも、なんとも皮肉めいている。

閃きをもっと降らすには、5歳児のように貪欲で本能的な好奇心で世界を見るのがすごく有効な気がする。
あの1時間くらいの5歳児体験で、私は4つの自然作品を作っていた。
閃きが自然発生して連鎖し、他の人に見せながら、混ざりながら変化するのを楽しんでいた。

例えばああいう体験が、自然そのものでも違う形でも、再現できるような学びと遊びの場とは、どんなものなのか。
これから、考えていきたい。