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第8話 キスと想い

 突然入る『異性へのスイッチ』
 それまで、何の気なしに接することができていたことでも、突然、意識してしまっていつもと同じような行動をとることができなくなってしまう……
「どうしたんですか?あやの。」
「へっ?な、何でもないよ。」
 白百合荘での朝食からあやのの頭の中は、『あの事』で頭がいっぱいだった……
『どうして平然としてるの?いずみねぇ。キスした相手が目の前にいるんだよ?どうして、そんなに平然としてられるのさ。』
 先日のプール掃除の更衣室で目撃してしまったいずみとあさひのキス。とても濃厚で、長くキスをしているように感じたあやのは、そのことが脳裏に焼き付いてしまっていた。
『私だって、あんなキス……してみたい……』
 白百合荘での朝食の後も、学園に行ってからもあやのの頭の中から抜けるどころか、さらに増幅され頭の中を巡りにめぐっていた。
 そして、この日は屋内プールでの水泳部のヘルプに呼ばれていたあやの。ここぞとばかりに、泳いで頭を冷やそうと専念した。
『……何なの。頭の中から全然離れない……』
 一心不乱に泳ぐ姿は、ほかの生徒たちの刺激になったらしく、あやのの姿を見て部活の生徒がいつも以上に頑張っていた。
「あやの先輩。飛ばしますね~何かあったんですか?」
「べ、別に。何もないけど。」
「そうですか、おかげで他の生徒の起爆剤になったみたいですよ。」
「それはよかったわ。」
 そんな休憩の間も、更衣室でのいずみとあさひのキスが浮かんでは消えていった。
『あたし……何考えてるんだろう……これまで意識したことなかったのに、どうしてこんな気持ちになるの?』
 それまでのあやのと言えば、お姉さまと呼ばれていたことから、同性同士にしか興味を示さなかった時期もあった。
 そんなこともあり、好きという感情がいまいちつかめないでいることで、告白などを受けても、ほとんど断っていた。
「好きって……どんな感じなの?もやもやする……」
 『好き』という気持ちすらピンとこないあやのは、いずみとあさひのあの瞬間を見るまでは、『キス』という行為自体には、遊びのような位置づけだった。
 しかし、近親者でもある姉のいずみのキスを見てしまったことで言いしれない感情が渦巻いていた。
『あさひちゃんが、男の子っていうのが関係あるの?わたしもあさひちゃんとしたら、何か変わるのかな……』
 そんなあやのが休憩がてら、平泳ぎの状態で室内の天井を眺めていると、プールサイドに見覚えのある顔があやのを眺めていた。
「わっぷ!」
「あやのさん!?」
 ちょうどあさひの事を考えていた矢先に本人が来るという展開に、思わずバランスを崩しおぼれかけてしまうあやの。
「ど、どうしたの?あさひちゃん」
「生徒会の手伝いで。」
「手伝い?」
「はい。いずみ会長に言われて、屋内プールのメンテのチェックに行ってきてと。」
「いずみねぇから?」
「はい。」
「それに、帰るのが一緒なのだから、一緒に帰ってきてと。」
「そうなのね。」
「それでは、僕は仕事しちゃいます。」
「う、うん。わかったわ。」
 生徒会役員には、いろいろな役回りがある。学校設備の点検から、校外行事への書類のチェックや現地の調査なども兼ねていたりする。
 あさひも会長の秘書としての生徒会業務を担っていた。
「もうひと泳ぎしよっと。」
 あさひのチェックは、屋内プールの蛍光灯の様子などを目視で確認していた。
 あさひの存在が気になりつつも、一心不乱に泳いでいると、次第に部の生徒は、あやのに挨拶し帰宅を始めるが、一心不乱すぎたあやのはその生徒の言葉にすら、気が付かなかった。
 そして、あやのがようやく気が付いた時には、屋内プールにはあやのとあさひしか残っていなかった。
「あれ?私だけ?あっ、寝てる……」
 プールサイドで壁によりかかる感じで眠っているあさひは、夢見心地でうとうとしていた。
「ん~。ふふっ。ほんとに、かわいい寝顔……」
 女子用の制服を着ているからか、それとも男子でありながら想像以上に男子離れしているのか、あさひは女の子にしか見えなかった。
 下校時間も近づいていたことから、手際よく着替えたあやのはプールサイドの壁に寄りかかって眠るあさひに近づく。
『本当によく眠ってる……』
 軽くあさひの頭をなでると、指通りのいい髪はかわいらしく小さな顔を引き立てていた。
「んん~」

トクン……

 軽く触れあっているだけでも、そこまで感じることすらなかった胸の高鳴りが、いつにも増してあやのが分るほどに高鳴っていた……
『あれっ。あの時は平気だったのに……なんで?』
 それは、あさひが白百合荘に越してきた翌日、いたずらのつもりであさひのベッドへ潜り込んだ日、その寝顔は、男の子じゃなく女の子にしか見えなかった。
 しかし、あの時は何も感じなかったあやのだったが、いずみとあさひのキスを見たからなのか、あやのの心の中には今までとは違った感情が渦巻いていた。
『これって、キスしたら治るのかな……』
 あやのの些細な興味は、次第にそれでいて確実に、あやのの心を動かしていた。そして、アサヒが無防備なこともあり、余計にいたずら心がうずき始める。
「そんなに無防備だと、くちびる奪っちゃうぞ……」
 静寂に包まれた屋内のプールサイドで、互いの顔が次第に近づいていく……あと数センチと近づいていく。
 互いの息が感じられるほどに、顔が近づいてもあさひは起きるそぶりすら見せなかった。そのことが、よりあやのの好奇心に火をつける。
『し、しちゃう?しちゃおっかな。』
 そう考えた矢先。あやのの脳裏には、いずみの相談に乗ったことを思い出し、明らかにいずみの好きな人があさひであることに気が付いた。そのことに気が付いたあやのはグッと、くちびるを噛んで堪えたあやのは、あさひとの距離をとる。
『やっぱり、だめよね。ねぇさんの好きな人を横取りするなんて……』
 ギリギリの状態で、かろうじて堪えたあやのは気持ちを抑えるために、駆け足で屋内プールから校舎の廊下へと出て帰宅する。しばらくして、あさひが目を覚ます。
『……あやのさん!キ、キスしようとしてた?なんで?』
 唇を人差し指で抑えつつ、それまで何の素振りも見せなかったあやのの突然の行動に、同様しつつもゆっくりと立ち上がったあさひは、あやのの背中を追いかけて帰宅の途につく。その背中をふたりの見知った人が息を殺して見送っていた。
『えっ!どういうこと?あやのもあさひさんのこと……好きなの?』

……数分前……

 たまたま、おそいあさひの事を迎えに来ていたいずみは、屋内プールに入り声を出そうとした瞬間。慌てて隠れてしまった。
『あれ、どうして私、隠れるの?というか、あれってどういうこと?』
『あれ。寝てるのあさひさんよね?それで、キスしようとしてるのって、あやの???』
 困惑しつつ覗いていると、ふたりの顔は次第に近づいていき、いずみの位置からは完全にキスをしているように見えた。
『キ、キスしてる!?』
 そんなふたりの姿を見ているうちに、あやのが立ち上がったことで、慌てて壁際へと隠れるいずみ。
 横を通りすぎるあやのは、唇を抑えた状態で駆け出して行った。その姿を見たいずみは、あのときあやのがあさひとキスをしていたんだと確信したのだった。
『どういうこと!?あやのも……あさひさんの事が……』
 その後あさひも慌てた様子でいずみの横を通り過ぎて行ったのだった。それからのいずみは、白百合荘へと帰る道中にずっとそのことが頭から離れなかった。
『えっ?あやのもあさひさんの事が好きなの?』
 いずみにとってみれば、思い当たる節がいっぱいあった。入寮早々にあさひのベッドに忍び込んだり、積極的にあさひとスキンシップをとったりと、あさひに対して好意を持っていることを前提に考えたら、すべてがしっくり来るものばかりだった。
 悶々と考え込んでしまういずみ。その答えが出ないまま、時間だけが流れていくのだった。

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