結局自分は何が欲しかったのか②

前回のブログの続き。

これまで、色々なことを頑張って来て、
その過程で沢山悩んだり、苦しかったり、
本当に色んな感情があった。

だけど、いざこうして落ち着いて過去を振り返ると、
これまで自分は色々な事を頑張って来たけど、何のために自分は頑張って来たんだろうって思う。

とは言っても答えは自分でわかってて、
「成長したかった」から、色々な事を頑張った。
2021年の10月からは、「自分の価値を高めるため」に、色々な事を頑張って来た。

でも、「成長」や「価値」を追い求めた先に、自分は何が欲しかったんだろうって思うと、分かってたはずなのに、今は全くわからない。

所々で、「欲しかったもの」は確かにある。

でも、もしその時それが「手に入っていた」としたら、今の自分ってどうなっていたのかなって思う。

当時憧れていた状況が、今は少し形が違えど手に入った経験があって、
でも、それを手に入れた時、「ああ、こんなものか」と思った事がある。

まだ自分の手に入っていないものの価値がとても高く見えるんだけど、
いざ手にしてみると、そうでもないばかりか、その状況を手に入れる事で自分の価値が下がることもあるんだと知った。

例えば、分かりやすい自分の例として、
自分が高校生の時に、部活動の関係で大学生の先輩と関わらせて頂いた経験があって、
その先輩が、複数の女性と同時に関係を持っているというのを聞き、当時は「なんかカッコいいな」と思った思い出がある。

でも、いざ自分が大学生になって、同じような状況を経験した時、
「ああ、あの時自分が少しでもカッコいいと思った状況って、こんなものだったのか」
と思った。
「簡単に手に入る」と言うのは、その状況に相手がいる限り失礼になってしまうけど、
手に入ったものや状況の価値としては限りなく低かったと感じてる。

むしろ、そんな事をしていては自分の価値が下がるし、
本当にカッコ良かったのは、そうやって適当な関係を沢山持つことではなく、
目の前の1人に対して、誠実かつ丁寧に関係を作っていく事だと知った。
文章にすると綺麗事みたいに映るけど、本当にそう思ってる。



当時、少しでも欲しいと感じたものや状況が、いざ手に入るとそうでもなく感じる。

ということは、

今現在の自分が欲しいと思うものも同じで、何年後かの自分には無価値になっているのかなと思うと、
今、欲しいものの価値が分からなくなる。


色々と迷ってるけど、少しずつ思考が固まって来てる感覚は確かにあるから、
あとは覚悟を決めるだけだなと思う。

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