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キーボードのおかげで文章を書くようになったのかもしれない

このnoteは記憶だけで書いてるので、思い出とおもって読んでほしい。

職場の方のSNS投稿でこちらの記事を知った。サムネイルもこの記事から拝借しました。

PC-98黄金期時代を作るきっかけとなった「NEC PC-9801VM2」 - AKIBA PC Hotline!
https://akiba-pc.watch.impress.co.jp/docs/column/retrohard/1218052.html

懐 か し い …

「大きいフロッピーディスクがあるんだよ!カションってなるんだよ!」と言っても友人知人誰にも共感してもらえず、名前もわからず調べようがなく、夢だったかとすら思ったPC!こいつだ…間違いない。PC-9800シリーズ。覚えておこう。
興奮冷めやらぬまま、これ使ってたよね?!と父にLINEすると、一言……「似てるかも!」。あんなに使い込んでたのに覚えてないんかい。

このPCには、右側にフロッピーディスクを入れる口が2段ある。ツマミが付いてて、縦に動くようになってたはず。ここを操作するとカションって鳴るのがとても好きで、父がディスクを出し入れする時やらせてもらった。音がよかったのか、触った感じがよかったのかわからないけどそこがおもしろくて、モニター画面よりも印象に残ってる。机に乗ったPCのこのツマミが、ちょうど自分の目の高さと同じくらいだった事もあって。小学校に上がる前だった。
(振り返ってみれば、同じ机に置いてあった白い国語辞典も分厚くてかっこよかった)

ローマ字はわからなかったから、日本語入力で文字を打つ遊びをした。キーボードをかたかた打つのが楽しくて、白くて長いキー(変換キー)がクッキーにチョコをかけたお菓子みたいな形で気に入っていたけど、漢字が使えないのでなかなか押す機会がなくて残念だった。
確か、本体に保存ができないから、フロッピーを入れて文書を保存するのだった。だから遊び終わったら、私がタイピングした文字は消えてしまった。
画面の背景は黒くて、文字が白で、なにかがグリーンとかイエローだった気がする。すごく単純な色しかなかった。父は教員だったので、あの画面でテストの問題とか会議の資料を作っていたのだと思う。

そのうち、母が文書を作る必要に迫られて、実家から和文タイプライターを持ってきた。要塞みたいな暗いマシンの中に、難しい漢字の小さな細長いハンコがびっちり並んでいたのが好きだった。大きくて重たい。父が使ってたPCよりもアナログで、固定した紙にうまくハンコが突けないと手で抜き出して直してあげないといけない。古い機械だったのでよくそれで作業が止まった。それもそれで親しみやすくて、見てるのが好きだった。

時代的に遅いのか早いのかわからないけど、もちろんタイプライターはワードプロセッサーに切り替わった。
使ってない時に使わせてもらって、ポケモンのお話を書いた。フロッピーが与えられて、自分で書いたものが保存できるようになった。操作が簡単で、小学生にも十分使えたけど、マシンのビジュアルはタイプライターのほうがかっこよかったし、フロッピーディスクを出し入れしても小気味いい音はしなかった。

学校のパソコンルームで大人気だったwindowsが家にきたのは、ちょうど自分が中学生になった時。文書を書けるソフトが入っていなかったのか使い方がわからなかったのか、文章を打つためにイラストの画面いっぱいにテキストボックスを引いて書いた。今度は、セーラームーンとおジャ魔女どれみが出てくるお話を書いた。「二次創作」を知らずとも、人は二次創作する生き物らしい。それがまだ、私がアイドルヲタク人生に足を踏み入れる前のことである。

その頃の夢は、自分のノートパソコンを持つことだった。大学生になってそれは叶うわけだが、愛機のDELLを手に入れて卒論以外に書くようになったのが、作品考察から派生したブログであり、取り留めもない小言であり、小説(SS)だった。

文字を打つこと

そんな私なので、PCのキーボード入力は任せてくれよという具合である。キーボードの好きなメーカーや使いづらいものなども自覚できるようになってきた。

ガラケーのボタン入力は物凄く早くて自信があったけど、スマホのフリック入力はできることなら使いたくない。苦手だし、手になじまない。iPadはPCと同じキーボードの配列だけどなんか物足りない。

やっぱり、物理的にキーを叩かないとダメなんだなと思う。

読書が好きだったわけでも作文が得意だったわけでもない私が、物書きを極めたいとおもい言葉を探求して本を読むようになったのは、ワードプロセッサー、パソコンがあったおかげかもしれない。

文明の利器としてパソコンが発展してインターネットが日常生活に当たり前の存在になってくれたから、私は今もこうして文章を書いているのだと思う。

もしもパソコンが90年代にちっとも流行らなくて生産が終了していたとしたら、私がキーボードを叩かずして文章を書いていたかちょっとわからない。大げさな話、書きたいのではなくてキーボードを叩きたいだけなのかもしれないと思うこともある。

滑稽な例えだけど、ピアニストがピアノに物理的に依存して演奏するように、私も物理的にキーボードに依存してあれやこれや書いていると思っている。多分、依存しても大丈夫な存在だと思う。キーボード、君は。

今の若者はフリック入力がめちゃめちゃ早くて慣れてるし、もはやフロッピーディスクは存在すら知らないらしいとも聞く(それでも文書の「保存」ボタンのデザインにその形が残っているけど!)。
思うのだけど、これからは人によって使う端末が異なることが当たり前な時代になるのかもしれない。LINEをキーボードで打ちたい人がいれば、卒業論文をフリック入力で書きたい人もいて、それが当たり前になるのでしょうね。


相変わらず取り留めもないnoteになってしまったけど、これが終わったらこないだのライブの感想ブログの続きを書いて、同人誌の原稿をやります。それが終わったら、サイトに載せる用の小説も書いちゃう。

文章を書く楽しさを教えてくれたキーボード、どこにいても編集・発信できるインターネットテクノロジーに深く感謝します。

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