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Stand up Classic'23 (ござさん&菊池亮太さんの感想文)

 おかしなことを書くようだが、音楽を聴いての第一印象を閉じ込めておきたい気分というのがある。長く色褪せないハーバリウムのように、或いは火山の灰に埋もれたポンペイのように、音楽を聴いて感動した気持ちを、なんとかそのまま閉じ込めておきたいという欲望。
 そんなわけで、この稿では、「Stand up classic'23」をリアタイして得たフレッシュな第一印象とともに、アーカイブを見ての感想を文章に留めておきたい。
 もっとも、いつも断るように、わたしは音楽関係者ではなく、文筆業でも音楽に詳しいわけでもない、一般人に過ぎない。したがって音楽的に誤りがあったり不適切な用語があったりするかもしれないので、その場合にはやさしくご指摘いただけると幸いである。そしていつも通りござござした文であることについてもご容赦いただきたい。
 なお、この文章は2023.8.29発表の、リアタイした演奏の第一印象を書いたver.に、アーカイブを聴きながら手直しして書き残したものである。

1 はじめに

 2023年8月27日。「Stand up Classic'23」 オンライン開催の2日目。

 もともとは横浜を舞台に野外で行われるはずだったこのイベントは、直前の8月2日になって、「オンライン」へ振替えられる措置をとったイベントだ。何せ今年2023年は、125万5千年ぶりの猛暑(数字が大きすぎて実はよくわからないが)とのことで、他の音楽イベントでもさまざまな問題が起きているところではあったから、致し方ない処置だったと思っている。コロナ禍が(一応)明けたとしても、こういうことが起こりうるという学びを得たイベントだった。
 しかし、現地で生で聴こうと計画してきた人やプラチナチケットを取っていた人にとっては、気持ちや計画を切り替えるのに苦労しただろうと想像する。わたし個人は炎天下長時間の鑑賞には耐えられないと判断して現地鑑賞は早々に諦めていたため、オンラインになって得をさせていただいたが、アーティスト様方、スタッフ様をはじめたくさんの人のたくさんのモヤモヤを受け止める難しいイベント運営になったのではないだろうか。結果としてどのアーティスト様も素晴らしい演奏を披露して、音楽ファンを沸かせたことになり大成功であったことは喜ばしい。
 わたしはピアニストござさんのファンなので、ござさんと菊池亮太さんのところだけ抜き書くわけだが、その前にこのイベントについて思ったことをいくつか書き留めておきたい。

 ①配信ということで、チャットでスタッフさんが音響関係に気配りしてくださっていたのはとてもありがたかった。それが簡単でないだろうことは十分にわかるので、視聴者への気配りがありがたかったし、チャットの有意味性が伺えた。ありがとうございました。

 ②反面、2台ピアノが置いてあるスタジオの照明については、かなり暗く、アーティスト様が弾きにくくなかったか心配で、演奏中にTweet(X)したくらいだった。特にござさんが弾いていた下手側セカンドピアノは大変暗かったように画面では見えた。
 スタジオが暗いこともだが、黒鍵が完全に筐体の陰になって暗がりになっており白鍵にしか照明が当たっていないように見えた。人間の目は優秀だから、カメラに映るよりも実際はよく見えたのかもしれないし、ノールックでも弾けるのだと理解はできるが、演奏者を座らせてのアタリ合わせはしたのだろうか…という老婆心がムクムクと。
 スタジオを特定されない工夫かもしれないという声もあったので、アーティストの防犯上・安全のことは了解した上で、個人の意見としては、演奏以外のところでピアニスト様の目や手に負担をかけるのは落ち着かない。視聴者だけではなくアーティストを大事にしているイベントこそがわたしにとっては満足度が高いイベントだからだ。

 2 ござさん&菊池亮太さんのターン

 17:50、オンタイムでござさんと菊池亮太さんが上下から分かれてふんわりと登場。2台ピアノはピアノの筐体を向かい合わせて組み合わせた配置。ステージ奥に、縦に細長い照明が間隔を空けて並んでいるものの全体的に暗い照明。

 2人ともごく普通の、飾らない服装。ござさんは襟の立ち上がりのない白いシャツに、麻混のチェックのノーカラーの軽めのジャケット、ベージュのチノパンツ。菊池さんは「菊池Tシャツ」に黒の細身のパンツ。配信時にもアーカイブでもはっきりは確認できなかったが、菊池さんは黒い長袖を腰に巻いていたようだった。深々と礼をしてござさんは下手のセカンドピアノ、菊池さんは上手のプリモピアノに座りMCなしでまずは1曲目。

石井琢磨さんのTwitter(X)画像より転載。
石井さん、いつもこまめにありがとうございます!

①2台ピアノ「乙女の祈り ブルースver.」

 ござさんと菊池さんの2台ピアノ「乙女の祈り」、初披露は勝浦だった。菊池さんが上でござさんが下なのは勝浦と同じ。めっちゃくちゃブルージーなござさんのベース、ほんと好み。ところが3周目くらいでござさんがすぐ演歌風にアウトしたので、画面の前で「コラーーーw」と声を出したくらい。演歌風の和音を入れた後、すぐさりげない長いブルースリックで、演歌風をブルースに引き戻していたのだが、続いて菊池さんがさらにガッツリとど演歌!風なアレンジにしたのがおかしかった。特定の演歌というのではなくて演歌の和音とコード進行で、「演歌風」。ブルースと演歌はその発生からして似ているところもあり表拍で親和性が高いのだろうから、ごく自然な進行になっていた。
 わたしは勝浦でも2台ピアノの「乙女の祈り」聴いたけど、その時ござさんはルビーの指輪みたいな歌謡曲にアウトしていた気がする。今回はド演歌だったから、2人のその大胆さに爆笑しつつも、なんというか、特に菊池さんの積極的にアウトしていく反骨精神に大いに共感しながら聴いていた。…世の中の常識とか決まり事とかを演歌風「乙女」で笑い飛ばしているような、そんな気がしたから。
 ござさんは暴れん坊なコード?をなだめるようにして力強いシャッフルベースでブルースに戻して「乙女の祈り」にしていたけれど、勝浦と同じで、乙女でも祈りでもない、強烈で清新(笑)なグルーヴ感だった(褒めてます!)。

 思えば「スタンドアップ クラシック」…クラシックを古典的・ドイツ的音楽観だけで捉えない文脈で読むと、ござさんや菊池さんが弾く昭和の歌謡曲や演歌も、クラシックではあろう。譜面だけによらず「即興で演奏する」というスタイルは、型破りかもしれないが「クラシックス」というものに対して正面から向かい合っていることに他ならない。そんなことを思う「乙女の祈り」だった。
 …と、こんなことをわざわざ書いたのはこの方の一連の記事がわたしが音楽史を捉えるにあたってインスパイアをくれているからだ。音楽史noteさん、いつもありがとうございます!

②MC…「即興」の凄み

 「いやーなんですかねー」「菊池亮太とござです」から始まったゆるい2人のトークだが、2人が互い違いに語るのは、まるでトークまで上下ピアノを入れ替えているような気のあいっぷりだった。
 しかもござさんの選曲が「幻想即興曲(超絶アレンジ)」と聞き、まずは盛大に部屋で拍手をした。練習めちゃくちゃしただろうことも想像できたし、上に書いたように、クラシックを古典的・ドイツ的音楽観だけで捉えない自由で新しいクラシックというテーゼを、ござさんから提示されていたと感じたからだ。
 一方菊池さんは「直前まで何弾くか何弾くか考えてて、まだ悩んでます」とのトーク。これもまた凄まじい。今回の菊池さんの選曲やアレンジからは、後で書くが、冒険的な漢気を感じたからだ。それは直前までヨーロッパの風(直前にUKで演奏会をしてきたばかり)を受けてきた菊池さんの、ユーラシア的なものの考え方があったかもしれない。
 またそれに対してござさんが「恐ろしい男です」と返したのも無理はない。菊池さんがご自分でこのトーク中おっしゃっていたように錚々たるメンバーの中にあって、あえて「即興を」というこの意図を、実はこのライブを見るまでわたしも掴みかねていた。しかしこのコンサートのこの2人のターンを通してみると今回の菊池さんの凄みに圧倒されることとなる。
 ともかくもまずはござさんのソロ。「いってきまーす」とピアノに向かうござさん。

③ござさんソロ「幻想即興曲超絶アレンジ」

 座って少しの指ならしの後、バーン!とあのイントロ。もういきなりかっこいい。 
 ござさんも菊池さんもソロを1曲ずつに何を弾くかについてはきっと相当考えたと思われるが、この「幻想即興曲 超絶アレンジ」を選んだところに、わたしはござさんの心入れをしみじみ感じた。暗闇メモ(このターンだけは部屋を暗くして集中して見ていたので家にいながら暗闇メモになる)にも「かっこよ」って3回くらい大きく書いている。
 爆速で弾くわけではなくて、Aメロのシャッフル(で合っているのか?)パートはどちらかというと少し余裕を持ってあのとんでもない両手を弾ける速さ(いや速いけど)。多分緊張しても細部のゴースト音まで聴かせつつ、曲のエモさである「グルーブ」を堪能できる速さを、なん度も何度も練習したんだろうと思わせられる。リズムだけを守って弾いても面白みは出ないし、興に乗ってガンガン弾いては初めて見る観客が置いていかれるかもしれない。その絶妙な世界観を生み出せるひとなのだ。
 中間部のボサノヴァパートはちょっとテンポを落として跳ねるリズムの面白さを聴かせてくれる。ボサノヴァは、ござさんをして「難しい」「頭を全部使っている感じ」と言わせる(2023.6.18配信より)ジャンルだ。即興とはまた脳の使い所が違うかもしれないが、原曲・譜面の持つ雰囲気に沿うジャンルを取り込んで作曲しているのはござさんだからだし、本当にすごいアーティストだなあと思う所以だ。リズムを切り替えると言うのは、ござさんは普通にやっているから当たり前のように聴いてしまうけど…
 さらに変わってサンバパート。かなり落ち着いて、スピード上げて素晴らしい曲の持つグルーヴをダイナミックに聴かせていた。
 右手と左手のリズムの違いは、「ござオルタネイト」にも似る難易度なのに、あまりにもすごいスピードと正確さで弾きこなしてしまうものだから、あれを初めて聴いた人は度肝を抜かれるんじゃないだろうか。いや、もしかしたら一度では何を弾いたのかわからないくらいの衝撃かもしれないな。そのくらい自然で何気ない感じで、凄いアレンジをほいっと投げてくるから、その凄さを聴き手が受けとめるのには時間がかかるのだ。そしてじっくり咀嚼した上で「ええっ?!すご!」と驚くことになるのがござさんだ。

 ところで、別のところでも何度か書いているけれど、ショパンはいくつかの曲のモチーフの断片を組み合わせて1曲に仕立てて作品番号を振っていたという。ござさん作曲の「Chopin syndrome」はショパンの曲を組み合わせて壮大な歴史まで感じさせる大曲だけど、ござさんはそのショパンの音楽的な作りをモチーフにして「Chopin syndrome」を作ったとわたしは考えている。

曲の多様性と驚くようなつなぎの面白さからさまざまに解釈されるであろう世界観を持つ楽曲を、若きピアニストが紡ぎ出しているところに、わたしは希望を覚える。それは最後のスケルツォの明るさでもある。
 そういえば、ショパンは別々の曲を繋ぎ数曲ずつまとめて作品番号を振っていたのではなかったか。それらショパンの曲のフレーズを組み替え、繋げ、新たなパッセージとして作品化した試みは、まさに「Chopin Syndrome」としか名づけ得ない遊び心じゃないのだろうか!こういうところに、わたしはござさんという人のクレバーさとお茶目さと、音楽への深い傾倒を感じるのである。

ゆうかげnote『ござさんソロコンサート「WinterSpecial」2023雑感(Twitterまとめ)』より

 そんなショパン症候群であるところの「幻想即興曲 超絶アレンジ」は、ショパン自身がまとめて作品番号を降った65曲外の、66番。
 その66番に超絶アレンジを施してござさん自身の幻想即興曲に仕立て上げたことは、ござさんのショパンへの心入れを感じずにはいられず、同時にござさんのピアニストとしての矜持を感じる1曲で大好きなアレンジ曲だ。

④菊池さんソロ「著作権ギリギリメドレー」

 ござさんソロの後は菊池亮太さんのソロ。
「アーカイブ残らないかと懸念して、せっかくなので『著作権ギリギリメドレー』を」とお茶目なことを言ってたけど、乙女の祈りであんなにアウトしたり、あえて「著作権ギリギリメドレー」を選んだ菊池さんの漢気(写真もやんちゃ仕様だった)を、今回のスタクラでわたしは勝手に感じている。

菊池亮太さんのTwitter(X)より転載。菊池さんのやんちゃさとお茶目さが際立つ一枚。
菊池さんもいつもこまめにありがとうございます!

 生ライブだったらできたことや弾けた曲があって、もっとはじけてできただろうこと…そんな一つの生ライブが「無かったこと」にされるのを、彼は嫌ったんじゃないだろうか。あるいは第二部という舞台で、ちんまりと収まることへのささやかな反抗。
 菊池さんという穏やかでニコニコの優しいピアニストの中に、激しく燃え盛る炎がやっぱりあって、大人の事情というものへの反骨精神をチラリと見せたのかもしれないな…と感じ、菊池さんの漢気に心から共感した。…と言いながらも、もちろんプロとしてきちんとアーカイブが残せるメドレーにしてくださった菊池さん。ありがとうございます!
 曲名、無知のためわからないところもあるが、わかるところだけふわっと書くと以下の通り(間違えていたらすみません)。

グリーグ「朝」「ピアノ協奏曲イ短調Op.16−1」、トレモロから繋いで、ファリャ「火祭りの踊り」、(不明)、ラヴェル「『左手のための』ピアノ協奏曲ニ短調」(多分)、フランク・チャーチル「いつか王子様が」、ラフマニノフ「鐘」、ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」、ラフマ「ピアノ協奏曲」第2番第3楽章、ガーシュイン「ラプソディーインブルー」

⑤2台ピアノ「ユーモレスク」

 菊池さん、直前のソロ演奏後「アーカイブ残せますかね?」とちょっと不安そうにカメラ(奥のスタッフさん?ござさん?)に話しかけ、その不安を打ち消すように上手のプリモピアノに向かって「ユーモレスク」や「ラプソディーインブルー」のリフ弾くものだから、上手のメインカメラのすぐ横からふわっとござさんが登場したの、面白かった。
 ござさんが菊池さんを横目で確認しながらフレームインすると、菊池さんもそれを認めて「ごめん始めてた」みたいに無言でやりとりする感じがあり、ござさんは「承知」みたいな感じでカメラをすううっと横切って、下手セカンドピアノへ…
 何も言わず、まるで「休憩でーす」と言われた後の私的な練習みたいに始まった演奏だけど、さすがと言うべきかキメをきっちり合わせる2人、天才なの?
 「ユーモレスク」。これは「ねぴふぁび」以来2回目の披露となる。
 ござさんのベース、最初音数を抑え気味に菊池さんのリフにそうっと寄り添うみたい…とにかく何気なく始まっているから、まずは世界観を作るための1周目なのだが、リズムキープしつつ雰囲気を作っていくござさんの下は本当に耳に心地いいし、菊池さんをアドリブで好きに遊ばせる器の広いベースだと思う。そしてそれが本当に楽しそうなのだ。
 菊池さんのBメロ、軽やかで可愛らしい。ブルースの定番フレーズを下がりながら弾くのを合図に、ござさんの上。
 ござさんは曲の流れとクレッシェンドを意識したジャジーでブルージーなアドリブタイム。ちょっとテンポを落とした後、再度Aメロへ。跳ねるように弾く背中が本当楽しそうで見ている側も幸せ。願わくばもう少しスタジオが明るくて手元が見えて、ござさんの表情ももっと映してくれたらな…
 菊池さんは、ござさんと顔を見合わせながらもうちょっと弾きたいなって雰囲気を出していたが、ござさんがテンポを落とし終止フレーズで終了。ここで、今回慌てて書き足した別のnote記事から引用する。

ござさんの「1、2、123!」の掛け声から、思わぬ軽やかな(でも曲名通りの)「ユーモレスク」がスタートする。スタートはござさんが上で、菊池さんがベースラインを担当。出だしは軽やかなスイング調。アドリブも明るくて、ござさんの弦楽奏とコラボした楽しさそのままが曲になったみたいで、ござさんとしては珍しく指が回りすぎてるのが逆に嬉しかったりするターンだ。
 攻守交代で、ござさんがベースになり、菊池さんのアドリブのターンになると、菊池さんはクラシカルなアレンジでグリッサンドも軽やか。ござさんのベースは通奏低音だったのか、Bメロで2人ぴったり息のあったバロック調になるところが本当にすごい見所の一つ。この後のトークで、菊池さんが
「バロック調になるなんて聞いてないですよー」
ご「こっちこそ聞いてないですよー」
とお互いの即興の妙について褒め合うトークがあったが、…とすると、このBメロの阿吽の呼吸ぶりは、やはりござさんのベースが通奏低音となり菊池さんのバロックを引き出したと言うことなのだろうか… 何か些細なフレーズやリックで、2人には通じ合うということなのだろう。いずれにしてもキメがビッタビタに合って心地いい「ユーモレスク」であった。

ゆうかげnote「ねぴふぁび完全版に寄せて〜ござござした感想文」より引用

⑥2台ピアノ「ボレロ」

 曲が終わってからござさん「いきなり始まりましたね!」笑 菊池さん曰く、「著作権ギリギリメドレー」を弾きながら、アーカイブ残せるのかどうか不安になったとのこと笑。ここら辺に菊池さんの素直な人の良さが滲んでいると思う。
 1周目、ござさんが上でスタート。菊池さんと入れ替わると、菊池さんは早々に不協和音の遊びまで入れる丁寧さ。ござさんと菊池さんは、単調に推移しないように工夫するためか、上下細やかに入れ替わりながら極力抑えてクレッシェンドに持ち込んでいくつもりらしい。
 ござさんははじめ右手だけだったのが徐々に内声とキラキラした長いアルペジオ(主旋律に楽器が増えるあたりの表現かと思われる)を入れ、リズムパートもろとも華やかに軽やかに弾いている。ペダルワークなのか、木管楽器のソロパートを聴いているようなキレのよいメロディが、菊池さんのピアノと共に徐々にクレッシェンドしていく。まるで建築物が造形されていくにつれその外観を表していくような、丁寧に計算されたボレロ。
 ござさんが1人でボレロを弾く時はいつも跳躍多めでスネアドラムを入れつつ、リハモやギミックを駆使して、華やかで明るいボレロになるのが大好きなのだが、菊池さんと一緒だと一層楽しい「ボレロ」であった。Twitter(X)でも何人かのかたが詳しく触れていらっしゃったし、詳しくはそちらをご参照あられたいと思うのだが、せっかくなのでござさんが過去に弾かれたボレロで、メンバーシップでない方でもすぐに聴ける動画を貼っておく。
 すぐ後の「幻想即興曲」の即興、そのすぐ後のファンを嬉し泣きさせるトークも合わせてどうぞ(泣)。


3 まとめ

 ござさんと菊池さんの名コンビは、素朴でほのぼのでありながら一旦ピアノに向かうと凄まじい集中力を見せるというその瞬発力にあると思う。音楽的な運動神経がいいのだろう、大舞台にあって即興で2台合わせて弾くという信じられない演奏のできる2人なのだ。
 ここでわたしは、すでに素晴らしい曲をいくつも世に発表していたガーシュインが、ラヴェルに教えを乞うた時に言われたという有名な言葉を思い出す。
「あなたはすでに一流のガーシュインなのだから、二流のラヴェルになることはない」…

 この「ガーシュイン」のところに、わたしはひらがな二字を入れることはよくあったけれど、菊池亮太という言葉もやはり入り得るな、と思う。練習好きで努力家の2人。知識も豊富な2人は、きっとラヴェルがいたら教えを請うに違いない。 
 しかし、乙女の祈りしかり、ユーモレスクやボレロしかり、これだけユニークな試みのできる2人を見たら、ラヴェルは同じことを言うのではないか。
「すでに一流のござ(菊池亮太)なのだから…」と。

かつてござさんのピアノへの熱量を青い炎に喩えた菊池さん。
そういう菊池さんも心の中に燃えたぎるものを持っているはず。
そんなイラストでフライヤーを作ったのでした。読んでいただきありがとうございました!

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