人生が止まった…?絶望の淵に突き落とされた2年間とは?


この度は、
こちらのnoteに興味を持ってくださり
ありがとうございます✨


突然ですが、

あなたは私、ゆーかという人物に
どのような印象をお持ちでしょうか。。?


最近、多くの人から
・優しい
・穏やか
・癒される
などのありがたい言葉を頂くこともあり、

おそらくインスタライブやラジオなどで
私を見たことがある方は

・明るい
・穏やか
・深く悩まなそう☺️

など割とポジティブな印象をお持ちの方が多いと思います。


しかし過去の私は
今のような明るさとは全くかけ離れており、

・笑顔がない
・意気消沈としている
・死んだような顔をしている😱

などと言われたこともあるほど
まるで今とは正反対人間でした。💦


今回はそんな後天的に作られた  
"今の私になるまで"の理由と経緯をお話します。

※なおこちらは 
個人情報を含む恐れがありますので

どうかあなたの心の中だけに
留めておいていただけたら幸いです。😌


このテーマを書こうと思ったきっかけ



きっかけはある読書会でした。

いつものように読書会へ参加していた時のこと。

すでに読書会自体に慣れてきて、

初対面の人と話す際の緊張や怖さなどが
完全になくなっていた私。


近頃では、初参加の方が

「緊張してないかな?」
「たくさんの初対面の人を前にして
 怖気づいていないかな?」

など、

もはや運営者側の目線で
周りを見渡せるようになっていました。


そして、その日は参加者の中に
まるで皆と違った空気感を放つ
一人を見つけたのです。


「あれ?〇〇さんなんだか元気ないなぁ」
「どうしたかしたのかな。。」🥺

読書会よりも
すっかりその参加者の元気の無さに
目を奪われていました。


最初の自己紹介が終わり、
本紹介に入るためのグルーピングが
行われる中、

たまたま彼女と同じ部屋になり
話せる機会ができました。

しかし、
私には人と接する際に一つだけ
決めていることがあります。


それは、
「本人が話したがらないことは無理に詮索しない」
ということ。


そのため今回も、
元気がない理由はとても気になったし

お節介焼きの私は、 

「何か出来ることはないかな?」
とさえ思っていましたが、

相手が口を開かない時は
”とにかく見守る”と心に決めていたため、

ひとまずそっと見守っていました。


そしていよいよ、
順番が彼女に回って来ました。

本の魅力を自分なりの言葉で伝え、
3分紹介の終わりにさしかかった時、

「昨年母を亡くしたので…」
とうセリフが私の耳に届いてきたのです。


彼女としては、本紹介の流れでつい
口走ってしまったのかもしれませんが、

私はその衝撃の一言を見逃しませんでした。。

なぜなら、

私も同じく親族を亡くした経験があるから…


それからというもの、
その衝撃の事実に一人動揺を隠せず、

珍しくその回の読書会は、
どこ吹く風と言わんばかりに 

みんなの話が全くと言っていいほど
頭に入ってこなかったのを覚えています。


と同時に自分自身と重ねたとき、

私はショックで、少なくとも半年は
社会復帰できなかったため

今回この読書会を通し、
人々との交流に積極的に努めている彼女は、
なんて強いのだろう… 

と、感激したのです。


また、今回の参加に対して

どれほどの勇気を出し、参加を決めたのか。

そしてそれこそ笑う時は、 

どれほど必死に笑顔を”作っているか”。

その、本当は辛いけど笑顔でいなきゃという
決意や覚悟が、 

手に取るようにわかり胸が痛くなりました。


そして、
そんな彼女の抱える
”本当は打ち明けたいけどどうしようもない気持ち”に対して

同じ経験をした私になら、

ただの言葉だけの励ましよりも
本来の意味で寄り添う

「生きる希望」や「心の安らぎ」を与えられるの
かもしれないと

今回このタイトルで書くことにしたのです。


故人が教えてくれること


大切な人との永遠の別れは、
誰もが辛く悲しいものです。

しかし私は、
そんな心から辛い経験だからこそ

とても大事なことを
教えてくれるのでは?と思います。


まず一つ目は、
「生きられることは当たり前ではない」ということです。


私たちは日常を過ごしているとつい、
”生きて、明日を迎えることは当たり前”
と思ってしまいがちですが、

毎日、毎時間、毎秒というこの瞬間、

息をして生きられるということは
決して当たり前なんかではなく、

奇跡の連続なのだと気付かされます。

あなたが何気なく過ごしているこの時間の中でも、

必死に息をして命を繋いでいる人もいれば
ついさっき儚く生涯を終えた人もいます。

そんなかけがえのない時の流れの中で
私たちは生かされ、生きているのです。

これはあなたにこれからも生きる意味があり、
この先の命のバトンを神様が
与えて続けてくれているということです。


そして次に、

「人との出会いと別れには必ず意味がある」
ということです。

私が父を亡くした時、
ある人に言われた言葉があります。

それは、
「きっとお父さんは言葉で表せない何かを
残してくれたんだね」

言われた当時は
理解ができなかったのですが、

今ならなんとなくわかります。


私たちが生まれたのは、祖父母や
曽祖父母、またその先の祖先たちが、

共に出会い、子孫を残してきてくれたからに
他なりません。

これまでの祖先の誰一人が欠けても
”あなた”という人はこの世に誕生していないのです。

そう思うと、
人との出会いとは本当に運命的で必然的で、

私たちは皆、出会うべくして出会った縁なのだと
気付かされます。


また同時に、私たちはこれまでに
たくさんの別れを経験してきました。

入学、卒業という人生の節目と共に訪れる
クラスメイトとの別れもあれば、

恋愛関係を持った恋人との別れや
家族関係の別れなど、その形は様々でしょう。

その渦中にいる時は、
こんな出来事起きなければいいのにと
憎んでしまうようなことでも、

あとで振り返ると、

あの時の別れがあったから、
今の自分がいる。そして、この人と出会うことができた。

とその別れが連れてきてくれた
ご縁に気づくこともあります。


その出会いと別れが、
あなたの人生にどんな意味をもたらすのか。。

その答えはわかりません。


しかし、
そんな奇跡的な連続で出会った人々との
一つひとつの出会いが

必ずや、あなたの人生において
なくてはならない

パズルの一つのピースになってることは
間違いないでしょう。







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