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私の創作活動って理科の実験室

8月5日から広島入りして、昨日長崎に移動してきました!

10日までの滞在。

美しすぎる諫早の夕陽。

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音楽で人の心を震わせるような
何かを届けたいと日々思っているけど

じゃあ、その「何か」ってなんなのか。

曲として出力する時は
言いたいことを別のものに例えたり、
あえて言わないけど
匂わす言葉を並べて遠くからそれを見せたり。

でもその核になる部分みたいなのは
しっかり見えてないと
最終的には届かないよなって思ってて。

その核は細かく細かく、
より細分化されたものなほど、
核心をとらえていて鋭くもなり、
汎用性も増え大きくもなる。
というのが私の考え。

何言ってんだこいつ。
ってなったらごめんなさい。笑

ミュージシャンとして、
こういうこと書くこと自体恥ずかしいのか。
まあいいか。笑

そんなわけで、
昔から「つまり何なのか」
を突き詰めていくのが趣味。
フェチです。

例えて言うなら、
大きなものがあって
それはなにで出来てるのか分解して
さらに分解された部品はどう出来ていて、
今まで何でくっついていたのかを調べて...

みたいなことを繰り返し

最終的には顕微鏡の中でぐるぐると
「あるであろうそれ」みたいなものを
探し続けるような。

そんなイメージ。

外から来る物ごともそうだし、
自分の心の中の漠然としたモヤモヤもそう。

もしかしたらこれかもしれない。
っていう【核らしきもの】を見つけたら
曲に消化。

今までそんな風に自問自答しながら
心の顕微鏡で見つけ出した
【核らしきもの】
で曲を作ってきたんだけど。

「もしかしたら、
私の心にあるモヤモヤの答えは
こうなのかもしれない

世の中のこんなことって
もしかしたらこうなのかもしれない!」

パズルのピースを見つけた!
と思った瞬間に書き留め書き留め

そんな風に曲を書いて
YouTubeの再生回数もそれなりに上がって
ある程度シンガーソングライターとして形になった気がしてて。

でも、いつも拭えない違和感があった。

それはきまってライブする時。

違和感というか
「足りない何か」

それが何なのか。

を探す旅がまた始まった。



色んな人のライブを見るようになって
自分と何が違うのか考えるようになって
私が音楽で心動かされる時って
いつなのかを考えるようになって

なんとなく見えてきたのは
「その人の確信さ」

核心だけに。笑

理屈の理路整然さではなくて

不格好でも
多少音が外れていようとも
機材が最新じゃなかろうと

心が動く瞬間っていうのはそういう事じゃない。

歌う人がどれだけその気持ちを強く思っているか。

それが説得力や感動に繋がる。

そんな気がした。

音楽をやるまで夢とかなかったけど、
なんとなく将来進もうかなと思ってたのは研究職とか、

世の中の法則みたいなものを考えるのが好きだったから
仕組みやシステムを作るような仕事とか。

抽象画よりも幾何学模様の美しさにうっとりしてたし
小説よりもノンフィクションのエッセイが好きだったし
寸分違わず作られた物の精巧さに美学を感じたりしてた。

だけど、ミュージシャンになってしまった。

神様って珍道中させるよね。

曲作りはもしかしたら
数学的で論理的で精巧さの美学
みたいなものがあるかもしれないけど、

ライブはそれだけじゃとても作り上げられないみたいで。

感じたことを自問自答して
仮説を立てて心の顕微鏡をのぞいて
ようやく見つけた小さな核を
世に伝えようと曲を書いた。

その症状、こんなウイルスのせいだから
大丈夫だよ!きっとなおせるよ!

みたいなね。

だけどライブは、

だから薬作ってみたんだ。

そしたらちょっと違ったけど、
こんな風に改善したらちゃんと効果あった。

だからその症状は
やっぱりそのウイルスのせいで
だけど、やっぱり治せたよ。

くらいの説得力と経験と自負がないと届かない。

ここまでくると、
もう1人のチカラではどうにもできない。

音楽が全部そうではないと思うけど、
少なくとも私がやりたいことは
そういう事だってことを思い知った。

今まで色んなことがあって
世の30歳の人よりはちょっとだけ多めに
経験してきたと思ってたけど

それはなんだかんだ
心や気持ちの経験であって

外から来た現象に感じた数であって

そこから先、
自分から誰かと何かをしたり
実際に体験したり経験したり

要は、外から受けたことのカウンターとして
能動的に経験することが圧倒的に足りてない。

心身ともに完全なる引きこもりだし
傷つくの怖かったからしょーがないけど。

傷付いたら再起不能になって、
経験どころか年単位で色々ストップしちゃうし。

だから、極厚の鎧を着て
やんわりと生きてきたんだと思う。

でもそれは私のなりたいミュージシャンとしては失格。

仮説の中だけで生きてきた自分に気付いてしまった。

ショックだったなぁ。

でも音楽を続ける以上
そんなことは言ってられない。

いつものように「あるであろうそれ」を見つけた私は
じゃあ、本当にそうなのか確認したくなって。

去年の頭頃から
「とりあえず行ってみる」をやってみることにした。

顕微鏡をのぞいて
観察記録として曲を作っていた私は

実験室から一歩出てみることにしたんだなー。

~つづく~

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。 気まぐれ投稿ですが、また覗きに来てくださいね。 自分の心の内を、取り留めもなく書いたものを読んでいただけるのはとても嬉しいです。 サポートで頂いたものは、大切に、音楽活動のエネルギーにさせていただきます。