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母との関係性が変わった話 20191224

 10月13日〜23日まで、実家の北九州に帰省していた。
10日間も帰省するのは18歳で実家を出てから最長記録だった。
母とは故意的に距離をとってきた。父は既に他界している。兄は独立し既に自分の家族を持っている。家族の中では母に一番苦手意識があるが、私が帰省する実家は母の元だ。うちの母親はとにかく口が悪く、人の容姿について酷いことを言う。私も散々「女の子なのに一重で色黒で不幸」と言われ続けてきた。色黒は母と祖母の特製ドクダミ茶を飲み続けていたら、中学生ぐらいで色白になってきたが、一重まぶたについては整形を勧められたりで、子供心に傷つかないわけがない。それ以外にもいろんなことが積み重なり、ある程度の距離を保つようになった。そんな母がそれなりに大きな心臓手術をすることになった。
 当初は兄夫婦がいるから帰って来なくて良いと言われており、帰るつもりはなかった。自分の心身の不調で有給休暇も使い果たしているし、欠勤になると給与の控除が痛い。
だが、結果的に9月下旬から心身の不調がいよいよ酷く、再び休職に入った。
それでも、こちらも不調だし帰らなくてよいかと思っていた。そう思っていた矢先に、5年ほど前に母が東京に来た時に、一緒に行ったスカイツリーで買った模型をうっかり落として先端が折れてしまった。
急に心配になってきて、全身麻酔だし心臓だし、とても低い可能性だが目が覚めなくなるという可能性もある…とか考え始め、気がつくと飛行機の予約をしていた。

 地元に心臓専門の病院ができており、そこへ紹介され入院、入院翌日には手術となった。
私は入院前日に帰省し、入院に付き添った。
手術の説明を執刀医から説明され、やっと具体的な手術内容がわかった。
 その前に母に電話で聞いたときは「なんか多分横から切って手術するらしい」とか切る場所についての話しか出てこず、結局何のためのどういう手術なのかわからなかったのだ。
手術は「僧帽弁形成術」というもので、普通心臓の弁は開いたり閉じたりだが、母の僧帽弁は片側がパカっと開いて閉じなくなっており、血が逆流しているとのことだった。
そこの弁を使えそうなら、補強するし、使い物にならなそうなら、人工弁(牛の心膜)に交換。
心臓エコーを見せてもらったが、確かにパカっと開いているのがわかる。既に不整脈や心筋梗塞を起こしていたら、手術の難易度も上がるそうだが、幸いまだ起こしておらず、体力も充分にあるので、このタイミングでする方が良いと言われ、母親は渋っていたが、心臓エコーの画像を見て観念していた。
 うちの母は世話好きで何でも自分でやるタイプ、掃除・洗濯・料理と何でもこなし、家はいつもキレイで、一人暮らしで暇なのでマンションの掃除の仕事までしていた。私が帰った日は入院する準備もキャリーケースに既に出来ており、当日運ぶだけだった。そんな母が気弱になっている姿を見るのは、いろんな事情があって私が実家を出る時以来だったかもしれない。
 当たり前の話だが、心臓の手術中は心臓を止めて人工の機械に心臓の代わりをさせる。また、全身麻酔のため、当然高齢の身体には僅かながらリスクもある。心臓が再蘇生しない場合もあるなど、今は全てのリスク説明をした上で同意書にサインをするため、いきなりリスク説明をざっとされて不安になったのだろう。「やっぱり手術しなくでもいい」とか言い出したが、そこは医師ときっぱり説得した。わざわざ普段通院している病院から紹介状を出されて手術となったのだから、それは今した方が良いということだろうとプロの判断を信じるしかない。母も納得し、同意書にサインをしたが、その日の夕方帰る時の母はやはり心細そうだった。

 手術当日、母の病室に兄夫婦と集合し、三人で手術室の入り口前まで見送った。低い可能性だけど、生きている母を見るのはこれが最後かもしれないということも頭をよぎった。
手術は約5時間の予定で正午から始まった。院内にいれば終了を知らせてくれる、フードコートの装置みたいなのを渡され、兄たちと三人で食堂でご飯を食べたりしていたが、やはりなんとなく落ち着かず、結局ほとんどの時間を待合で過ごした。16時ぐらいになって、それまで雑談をしていた私たちもそろそろかなと、なんとなく無口になった。17時になった。まだ、装置がなる気配がない。18時になり不安のピークに達してきた。お互い口には出さなかったけど、三人とも同じ気持ちなのは通じ合っていた。
18時15分頃、ブザーがなった。それでも、安心はできなかった。予定より1時間以上かかったというのは何かあったのではないかとか、とにかく不安な気持ちでICUに入っていった。

 結論から言うと、手術は無事終わっていた。時間が予定よりかかったのは、心臓を開いてみると、元々予定していた場所の弁より逆の心房の弁の傷みが酷く急遽そちらも手術したとのこと。片方の弁は補強し、もう一つの弁が人工弁への交換になったということで、出血も酷くないし術後も問題ないですと執刀医の先生の説明はあっさり立ち話で終了し、ICUを出て三人で拍子抜けとホッとした気持ちで「あっさりしとったね」と笑った。

 翌日からICU通いが始まった。ICUはバイタルチェックが細かいため、面会時間が昼夜決まった時間に30分ずつと決まっている。私は今回、母の付き添いのために帰って来ているし、東京に戻れば兄夫婦たちにいろいろ任せることになるわけだから、私がいる間は私が行くからということで毎日通った。昼に行き、喫茶店で時間を潰して夜の時間に行って帰るというサイクル。最初の2日間ぐらいは記憶も曖昧で終始眠そうにぼんやりしている母を見て、正直とても不安になった。ずっとこのままではないかとか考えてしまうし、自分自身がこんなに母のことを心配し不安になることにも正直驚いた。執刀医の先生が来て『術後の経過は…ICUの中で一番順調です』と言われ、少しホッとする。でも、まだ時間軸が曖昧だったり昼に会いに来た記憶がないことも心配だった。
 3日目の昼、顔つきで「あっ、これは大丈夫だな」とわかった。時間軸も取り戻しており、「早く一般病棟に戻りたい」「ここの食事はあらゆる病院の中で一番まずい」「隣のばあさんが今朝、一般病棟に戻って先を越された」(その人がいつからICUにいたのかはわからない…)などと聞いた時に回復を感じて笑ってしまった。
夜に行っても、記憶もしっかりしており、一般病棟に戻れる日も決まった。

 一般病棟に戻ってからは、自分で病院の細かい書類を確認し、私が届けた郵便の整理もテキパキこなし、驚異の回復力に驚いた。そして、一番驚いたのは自分の母に対するわだかまりみたいなものがなくなっていたことだ。今までは子どもの頃に酷いことを言われた時の記憶が鮮明にあり、あの家のあの部屋とかはっきりと光景を憶えていたのに、今はどんなに思い出そうとしても、言われた事実は憶えていても光景が全く思い出せなくなったのだ。東京に戻ってクリニックの先生に話したところ「お母さんに酷いことを言われたあなたのインナーチャイルドは過去ものとして、もうお母さんはあなたを傷つける存在じゃないという新しい関係性に脱皮できたんですね」と言われ、なるほどと思った。多分、母は私が義務的にや遠征の時に帰ったりするものの、苦手意識を持っていることはわかっていたと思う。だから、こんなに毎日来るとは思わなかったのかもしれない。
 私の方も通帳やら書類やら、大事なものは全て入院前に母から預けられて、自分が母にこんなに信用されているとは思っていなかった。どこか親子の関係が逆転したというか、自分は母にとって独立した一人の大人としてしっかり認識されているのだなあと感じた。その瞬間に、子ども時のこと過去のことにやっとできたのかもしれない。後は、初めて75歳の母との残りの時間はそんなに多くはない、ということを実感したのも正直ある。
 とは言うものの、やはり東京と北九州という物理的な距離があるのは重要だし、仲良し親子みたいな感じにはならない。ただ、今の私は母に信頼されていると感じるし、母のことをちょっと笑いながら相手できるようになった。母からの電話に居留守を使わず出れるようにもなった。

 母は10月末に無事退院しメキメキと回復。先月は電話がかかってきたと思ったら「明日から紅葉を見に旅行に行くけえ、2日ほど家おらんよ」という東京にいる私にはどうでも良い報告で笑ってしまった。母が退院し、リハビリも順調に経過しているということで報告の電話があった時に、何となく「実はちょっと心身不調で9月末から休職している」ということを伝えた。今までは騒がれて嫌な気持ちになる予感しかしなかったから、絶対言わないと思っていたが、なんとなく今は大丈夫な気がしたからだ。
 母は「そうね。大変な時にこっち来てくれて悪かったね。会社にちゃんと戻れるならよかったね。のんびり休み。」と言われて終わった。
多分、電話を切った私の表情はやわらかいものになっていたと思う。

 先日、パスポートの再発行をするために、戸籍抄本を取り寄せようとしたら、本籍地の細かい住所がわからず、母にLINEを送った。しばらくして、電話があり母も覚えておらず、ちょうど役所のそばにいるため、母が送ってくれることになった。「最近は役所のやつらも信用ならんから、ちゃんとパスポートに使えるか念押ししたよ」と相変わらずの口の悪さに、ますます回復を感じて笑ってしまった。
 その戸籍抄本が今日届いたのだが、中に封筒が一通入っており、表に「本でも買ったいいよ」と書いていて3000円入っていた。「ら」がないよとおもいつつ、お礼のラインを送ったら「少しだけで気がひけたけどショートケーキでも買って」と本からケーキに話が変わっていた。昨日、自分へのクリスマスプレゼントにムーの傘と刺繍キーホルダーを注文したので、お釣りでわりと豪華なショートケーキが買えそうだ。

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