見出し画像

永遠ではないからかけがえのないもの

 久々にnoteを書く。前回の投稿からいろいろなことがあった。私自身というより世界中で。
 コロナが流行し、私は割と早い時点で「年内は覚悟かな」と思っていたが、そんなのはまだまだ甘すぎる見通しだった。あっという間にそれまで日常と思っていたことが激変した。手指の消毒、マスクの着用は当たり前、リモートワークに時差出勤。
 私自身の変化で言えば、うつが寛解状態になり、6月から復職した。8月に部署も異動し、忙しいし愚痴をブツブツ言ったり怒ったりしながらも、性に合った仕事ができており働けている。私は天変地異には強いタイプのようで、逆にギアが入った感じだ。
 でも奪われたものも沢山ある。行くはずだった海外旅行、行くはずだった沢山のライブ、思い出のライブハウス、実家への帰省、学生時代からの思い出が詰まっている定食屋、近所のテイクアウトもできる沖縄料理屋、挙げていくとキリがないぐらい沢山のものが失われた。命を失った人ももちろんいる。
 今まで日常と思っていたものが、こんなにももろく崩れてしまうのかと愕然とする。まだ、収束が見えないことにも。「コロナがなかったら…」と考えても仕方がないifを思ってしまう時がある。
 私が三年半ほど前から応援しているアップアップガールズ(仮)というアイドルグループがある。先日、現在のオリジナルメンバーである5人のうち4人が卒業することが発表された。どこかで覚悟もしていたが、実際に発表されて、私が推しているメンバーである新井愛瞳さんも卒業するということで、しばらく脳と感情がフリーズした。でも、私はとにかく彼女たちの将来が幸せなものであってほしいから、きっと悩んでそして覚悟をもってした決断を応援する、純粋にその気持ちが一番に来た。
 そんな中、今日は彼女たちの単独ライブがあった。昼夜と行き、両回とも途中から涙が止まらなくなった。それは、悲しいのではなく、あまりにも一曲一曲の時間がかけがえがなく愛おしいものすぎて。5人の創り出す空気感、さらに新しい試みでまた新しい進化を見せてくれた。全てがかけがえがなさすぎて、涙が止まらなくなった。

 この世に永遠なんてものがないことはわかっている。頭のどっかでは理解している。でも、自分の好きなものは願望も込めてずっと続いてくれるのではと思ってしまう。そして、永遠なんてものはないからこそ、その一瞬であったり一曲であったりがかけがえがなく愛おしいということも頭のどっかではやはり理解している。でも自分にとって「日常」と思える時間が長く続くと「頭のどっか」のそれは隅っこにどんどん追いやってしまって、かけがえのない時間を「当たり前の時間」に勘違いしてしまう。
 今日のライブを観ながら、私はこれから先にどれだけのかけがえのない愛おしい時間や機会を大事にしていけるか、そんな事を改めて教えてもらった。そして、その事に気づけたおかげで、少し心が強くなった気がした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?