自分の許容量がわからない

すっかり間が空いてしまった。
その間どうしていたか。

3月下旬から始まった大人の春休みは6月の上旬に終わらせた。自分でも大丈夫という感覚があり、そろそろ戻った方がいいかなと思った。
でも、結果としてはあともう少し休んだ方がよかったのかもしれないとも思う。
一番の理由は天候。とにかく梅雨やら気圧やら、メンタルにも体調にも堪える時期に復帰してしまったので、思いのほか翻弄され、丸々一週間有休使って動けなかったり、いろいろあった。
ただ、もちろん戻ってよかったこともある。会社も制度や人事がいろいろ変わる時期なので、あれ以上休んでいたらそういう面で不安だっただろう。
あとは金銭面。傷病手当が入り始め、それで生活は回せるようになったが、それまで貯金を切り崩していたし、やはり今月一月分フルの給与が入ったのを見て、心底ホッとした。
やはり生きていくためにはお金がかかる。

やっと梅雨も明け始め、薬の量の調整がうまくいき、気持ちも状態も好転してきたと思った矢先、心のどこかがボキッと折れた。
きっかけはとても些細なことで。
でも、その些細なことが溜まりたまったところに最後の爆破ボタンとなってしまった。

私は一つすっかり忘れていたことがある。
会社には復職したし、好きなアイドルを見たり、ライブに行ったりしているが、そもそもうつ病自体が治っているわけではないのだ。
元々、私は人の感情や勘が鋭いところがあって、驚かれることがたまにある。
もちろんはずれることもあるけど。
でも、鋭いというかとにかく過敏なことはすごく疲れるのである。鋭さを発揮するのはだいたい負の感情だから。
言葉じりや、文章一つ一つに感情を読み取ってしまう。こんなことやめてしまいたいが、もうそういう性質で生まれてきたし、ずっとそうやって過ごしてきたのだから仕方ない。
そして、過敏であるこは人に気をつかわせたり、嫌な思いをさせてしまうと思うので、わざと雑で大雑把で元気な姿を見せようとする。

いま、とにかくそれに疲れきってしまった。
人の感情や状態の好不調に影響を受けすぎでしまうし、それを気にしないようにしたり、気にしていない楽しそうな自分をやることに疲れきってしまったのである。
楽しそうな自分を見せなければと変なサービス精神を発揮してしまう。ただ、それも私が勝手に思い込みから取る行動で相手には鬱陶しいものであるのだろう。

私は好奇心旺盛だし、好きなものもたくさんあるし、好きなものを積極的に応援したりしてしまう。
ただ、私は自分の心身の許容量が未だにわからなくて、限界がきてボキッと折れた時にぶっ倒れる。好きなことのためには没頭したくなるし、力加減や配分ができない。
そして、今の私の許容量はまだそんなに大きくないということに今更ながら気づいた。
薬を3種類飲んでコントロールしているのである。

そうなった時、私がまずしなければいけないことは何だろう。
まずは仕事を無理せずこなしていけるようになること。
ご飯を食べて、ちゃんと寝ること。
散らかりきった部屋を片付けること。
優先順位は生活の立て直しだ。

その上で、余力の中で好きなアイドルやバンドを応援し楽しんだり、仲の良い友達と遊ぶ。
どうしてもそちらを優先したくなって、無理してしまうと、人の感情の波に勝手に影響されて、勝手に心が折れてしまうのである。
元々、一人の時間が好きなタイプで8割方の時間を一人きりでいられた休職中は本当に楽でありがたい時間だった。
一人きりで生きていくわけではないけど、私にとって一人きりで過ごす時間はかけがえがなく、他の人より多く必要なのかもしれない。

だから、なるべく人から影響を感じ取らないようにしながら、まずは私は病気を治して許容量を増やして行くしかない。

今日はアイドルのコンサートと好きなバンドの展示会があったけど、部屋でぶっ倒れて動けなくなった。
チケット代はもったいないし、展示会も最終日だけど、私がまずやるべきことは明日ちゃんと会社に行けるように備えることだ。

自分がするべきことは何なのか、その上で何を楽しんでいけるか、心身の許容量はどんな状態なのか、それを考えないといけない。
考えてできるものかはわからないが、考えないよりましだ。

人の負の感情を勝手に喰らってしまって、それを理論的に説明できるような性質いらないなあ。

うつになって、感情が鈍くなっていたように感じていたけど、もしかしたら、鈍いままの方がよかったのかもしれない。

でも、生きる方向では前に進んでいるのか。
もうよくわからない。

とにかく、オーバーヒートというか、疲れ切ってしまった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?