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大学時代のことその①~哲学という学問の曖昧さ~

どうもyuudaikemenです。すごく久しぶりの投稿です。早くiPadのアプリとしてnoteが使えるようにならないかなー(笑)

今回は題名の通り、前回の自己紹介のの際に話をした学生時代について書いてみようかなと思います。カルピスの原液を極限まで薄めたものなので気を付けてください。

大学は京都の金閣寺の近くにある立命館大学でした。その中の文学部哲学専攻に在籍していました。なぜ哲学?となると思うのですが、高校に指定校推薦があったという理由ですね(笑)。まあ、倫理学を勉強してみたかったというちゃんとした理由もあります。

高校2年生の時父親が病気で倒れまして、所謂脳死状態となりました。脳死状態とは、脳幹を含む、脳全体の機能が失われた状態です。つまり目を覚ますことはほぼない状態です。自発呼吸が出来ている間はいいのですが、一旦自発呼吸が出来なくなった場合に、人工呼吸器を装着するかしないかの決断をしなくてはいけなくなります。この人工呼吸器やっかいでして、一度装着すると取り外すことができません。外してその人が死亡した場合、殺人罪に問われてしまいます。
脳死になった際に説明を受けたのがこれでした。いつその時が来るかわからない。だから常に考えていてほしい。担当医からはこう言われました。
家族とはいえ他人。本人がどうして欲しいなんてわからない。生きている自分からいうと呼吸器を着けてまで生きたくないと当時は思いました。
最終的には呼吸器は着けないという判断に至りましたが、その言葉を発した母の心情は分かるなど言ってはおこがましいものだと思います。

父が亡くなり、高校3年生になり、受験勉強をしていると公民で倫理を見つけました。私の学校は自称進学校と呼ばれる類のものであったので、現代社会を勉強しており知りませんでした。気になったので調べてみると生命倫理という学問があるらしい。これはもしかして自分の気になる学問ではないかとなり、先生と話すと、指定校推薦のある立命館大学には哲学専攻の枠があり、そこでは倫理学の勉強ができるということでした。当時の自分の中ではこれは運命的な出会いに感じていましたね(笑)
母子家庭になった我が家で母親を何とか説得し、無事校内試験をパスして2010年4月立命館大学に入学しました。

大学入学後も倫理に関する本はたくさん読みました。その中でもQOL(クオリティ・オブ・ライフー生命の質)関するものを読み漁りましたね。自分の人生だけど自分一人のものではない、それは分かったうえで自分ができるうる最高の選択をすることが大事だと。「悪法もまた法也」と言って毒を飲んだといわれるソクラテスなどはまさにそれにあたりますよね。
QOLについて話すと、免許証の裏などにある臓器提供の意思表示などがそうですが、世間で注目を集めているのは「安楽死」ですかね。
父の状況を目の当たりにし、学んだりした自分としては一つの選択肢として用意されるべきではないかなと思います。(ここは一つのテーマとして取り上げます)

こんだけQOLについて学んだのに、3回生のゼミでは生命倫理のゼミに入り「中絶」をテーマに卒論を書きました(笑)。実際就活や、話のネタとして話すと男の人が書くんだと驚かれます。中絶をテーマにしたのは、本来やりたかったテーマでは論文を書くのに新しい本が見つからなかったのと、参考文献に某宗教団体出版のものがあり先生に相当怒られて心折れました(笑)。というのもありますが、この時代に男だから女だからがナンセンスであるのは分かっていましたが、男は見ていることしかできないことである中絶だからこそ、しっかりと目を向けることが大切だと感じたので選択しました。

中絶においても中絶はいいか悪いかという論争ではなく、「子ども、親双方における将来の価値説」というテーマで書いた。簡単に説明すると、「15歳で親になることは、高校・大学の7年間、その後の将来を捨ててまで行うことなのか?、障害があると分かっている子を産むのは、その子の将来的にはどうなのか?不倫の末にできた子は幸せになれるのか?」ということである。実際アメリカでは、障害を持って生まれた子供が親を訴えるロングフルライフ訴訟が起きている。

中絶についても書きましたが、これは結婚もしていない自分だから言えるということでもあります。自分の子供に障害が発見されたから即中絶とできるかはわかりません。こればかりは親になったときに分かる気持ちだと思います。

noteを書いていて感じたこととして、倫理は人の感情とすごくかけ離れたものであるということです。中絶なんて頭ではしたほうがいいのは分かっている。だけどその子のことを考えると動けない。けど、障害を持って生まれた子がこの社会で差別なく生きれるのか。この葛藤を無くすための学問だと思っていたけど、実際は余計複雑にする学問だったのですね。

実際未だになんですが、哲学って何?となります。考えることが哲学なのか、本質にたどり着くのが哲学なのか。よく○○の哲学という言葉を聞きますが実際のところ誰も哲学なんてわかっていないと4年間で思いました。僕は卒業式後の専攻の謝恩会で「哲学という学問が無駄ということが分かった4年間であった」と言いました。しかし、これは考えた結果であり、「哲学なんて何の意味があるの?」とただ聞いてくる人とは意味合いが違うと勝手に思っている。

無駄と書いているが大学時代に「虚学」と言われる学問に向き合えたのは人生で大きな意味になっているし、哲学書や、本、そして芸術を深く知りたいと思える人間になれたのですごく人としてプラスになった思っている。

今日はここまで~。暖かくして寝ろよ~。

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