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【怪談・牡丹灯籠】後半

季節は夏。幽霊のお米が飯島家に行くとその晩は殿様はお泊まり番で留守、蒸し暑くて寝付けないお國がお米の気配を感じ取ったのでしょうか?お米はお嬢様のお露派ですからね。お嬢様の為に百両をなんとかしなきゃのですから力尽くです。でも百両は重いよなとか色々考えてしまいますが幽霊なのでそこはお咎め無しで。そして、殿様の手文庫の百両が無くなり、お國は驚きはしたのですが、そこは悪女、直ぐに孝助を落とし入れる悪巧みを思いつくのです。こういうのは才能ですかね。

殿様が帰ってきて、百両が盗まれた事を伝えて、外から賊の入った様子は無いからと身内の者からお國が取調べると、孝助のつづらから盗まれた百両が入っていた胴巻が見つかり、殿様にお手打ちになるというお國の筋書き通りのはずが、殿様の粗忽で百両はしまい場所を変えてあって盗まれていない事になります。孝助がその様な事をする事はないという殿様の機転。もしくは既にお國の悪事をさっとっていたのか。

そしていよいよ八月三日の釣りに行く前日に事件が起きます。孝助は殿様を守るには今晩しか無いと、源次郎とお國を殺害し、訳を話して殿様の目の前で切腹する覚悟を決めます。所が源次郎を刺したつもりが殿様を刺してしまいます。ところがこれは殿様がわざと孝助の仇として討たれて、源次郎を始末する企だてだったのです。しかし、深傷を負った平左衛門は源次郎に返り討ちに遭い果てます。それを見越して書状に孝助に仇討とお家再興の願いを託し相川家に走らせます。

この辺りの武士道的観念をどこかに仕込んでおかないとわかりづらいような気がします。現代では法の下で犯罪者が守られて身内を殺された遺族の方の無念を思うとこういうのがあっても良いのではと思ったりもします。

裁判所で裁判官が立ち合い人で、弁護士が助太刀で、遺族の方が無念を晴らせる制度。乱暴な考え方ですが時々思うので、この意趣が仇討モノを語る動機になると思います。

平左衛門を殺めた源次郎とお國は姿を消してお尋ね者になります。こちらも逃亡者的に追うと一つの物語になるでしょうがご想像くださいませ。もう引き返す事はできないのか?どうしてそこまでやってしまったのか?人間の欲望がそうさせたのでしょうか?二人が無事に逃げ切って幸せに暮らしているとはやはり想像出来ません。人間には欲が無くては生きられませし、この想像力があるのですから、なんとか理性を働かせてもらいたいものです。私に言われたくないでしょうがね。

さて、栗橋の宿に移りました伴蔵おみねの夫婦は、百両の金で荒物屋を始めてこの店が大変に繁盛致します。ここまでは良いのですが人間の欲は収まりませんね。伴蔵は栗橋の宿の料理屋の酌婦に一目惚れをして、金にものを言わせてその女と怪しい仲になります。伴蔵四十を超えてこの世の春を迎えますが、こんな事に気が付かないやきもち焼きのおみねではございません。伴蔵の幼馴染みの馬方の久蔵から女の事を色々聞き出しますが、ここの部分はおみねと久蔵の掛け合いが滑稽味のある所です。

私の場合はあまり探る事が無いのでおみねの探り方が下手かもしれません。どちらかというと探られる久蔵タイプです。ついつい余計な事を言ってしまうようで。

そして、確信したおみねは腑が煮えくりかえり、伴蔵を問い詰めます。
伴蔵もいつもの通りのらりくらりと謝ればどうにかると思えばそこには気がないですから女の方がわかるようで、ますます火に油を注いでしまいま別れ話まで持ち上がる。
とうとう伴蔵も切れて、手が出ます。手を出してはいけませんが出したら終わりですね。
するとおみねも切れて幽霊から百両もらった事から海音如来を盗んだことやら過去の悪事をばらしはじめます。
所がこれには伴蔵も堪忍したのか、急に態度を改めて謝り、もう一度やり直したいと頭を下げます。この態度におみねの怒りの臥城が崩れます。こんな事はいつもの事なのでしょうか?実際は夫婦二人の事ですからよくわかりませんが、
私はこの時点で伴蔵は天性の悪党になってると思うのです。演じながら不思議と前半とは少し違う伴蔵がおります。

明くる日、ご機嫌をとっておいて、幸手の土手でおみねを殺害します。おみねは伴蔵の悪党性は見抜けなかったのか?私も前半は落語に出てくるお馴染みの長屋の夫婦で好きでしたが、よく女房を刺せるなと思いますが、手を挙げた時が刃物ではなく手だっただけかもしれません。伴蔵は昔からの悪なのか?お金が人を変えたのか?伴蔵はそら涙でおみねの初七日の法事を終えて帰って来ると。女中が熱を出して寝込み、おまけに伴蔵の悪事を喋り始めます。
この辺りは怪談の第二弾になるでしょうかね、余程おみねの念が残っているのか、おみねは伴蔵の事を本当に好きだったからこそ、刺された事が悔しくて念が残ってしまったのか?怖いですね。

ここで伴蔵は医者を呼びますといつもの医者が留守という事で、現れたのがなんとあの山本志丈です。因果はめぐるですね。
江戸をしくじって、たまたま幸手に居たというのですが、このやり手の志丈がしくじるかな?とも思いましたが、やはり酒は気狂い水という事でしょうかね。幸手の宿で病人を治したというので評判になったくらいですし、これもたまた直って名医だと持ち上げられたんですから羨ましい限りで、こいうい人はいるよなとという感じです。
志丈の知恵で奉公人に暇を出すとうわ言を言わなくなる、ところが今度は他の奉公人に移り、どんどん暇を出したら志丈と伴蔵だけ残りました。なぜおみねの怨霊は伴蔵に取り憑かなかったのか?素朴に思ってしまいました。おみねの怨念はなんとか避けられましたが、ざんざん取り憑かれた奉公人に悪事をバラされたので、さすがに志丈が気がついてしまいました。おみねは志丈に無念を知ってもらいたかったのですね。

そして、志丈の問い詰めに観念したのか、おみねの執念でしょうか伴蔵は白状してしまいます。志丈も揺するのかと思えば善悪をともにしょうと言います。海音如来を潰して二百両の山分けをしょうという心積りですかね。元々お互いの素性を知ってるようですね。
ここは陰気だから場所を変えて飲もうと、そうなると馴染みの笹屋に行く訳ですね。するとそこにお國がいるから志丈は驚くし、お國も驚きます。
志丈は自分の素性を知っていますから、お國は伴蔵に相談があるから志丈は何処かへ泊めて伴蔵一人で泊まってと頼みその場を去りますが、志丈は耳が良いというか、よく鼻が効くとというか、お國の企みを読んで、伴蔵にお國の素性と何を企んでいるのか、恐らくゆすりをかけてくるとを教えてあげます。
すると阿吽の呼吸で、二人は笹屋からいなくなり、そこへ勇んで来た源次郎はす股をくらいます、ところが諦めずません、何しろ金になるかもしれないんですから明くる日に関口屋までやって来て、間男のかどで金を出せとゆすりますが伴蔵は驚かないんですね。
相手は源次郎と言っても侍ですからね、この度胸はなんでしょう?ここで啖呵を切りますと、源次郎はビビって二十五両だけもらって帰ります。細かく言うと最初に二両渡すので二十七両もらって帰ったんだから、お國も怒らないですかね?
源次郎もびびるくらいの迫力と凄みが無いといけませんよね。そこが難しい。
伴蔵は芝居の真似事と謙遜しますが、かなりの悪党なのでしょうか、それとも芝居の真似事なのか。
これから関口屋を売り払って、海王如来を掘り出す為に伴蔵と志丈は江戸へ出て来ましたのが八月三日です。八月四日の晩に根津の清水谷の畑へやってくるのです。誰かに掘り出されてないか心配でしたが目印があったのでしょう、無事に掘り出します。ところが、ふと思ったのか、それまで考えていたのか志丈をココで殺害してしまいます。一人殺したので二人も同じなのか慣れているのか?
がしかし、ここで岡っ引きに見つかり御用提灯に追われて逃げ出します。昔から犯罪者は現場に戻って来ると言いますが、この法則通りになりましたがいつの頃からこの法則はあるのですかね?

仇討の旅に出ました孝助は残念ながら仇に巡り会えず翌年の八月三日に江戸へ戻って参ります。ご案内の通り八月四日は殿様の一周忌ですから孝助は律儀な男で私とは随分違います。新幡随院に寄って良石和尚に御法事御供養をお願いしますと、何かとてもめでたい事があるから早くお家にかえりなさいさと言われて、帰って来ると自分の子供が生まれていたと言うのですから驚きです。
久しぶりの親子の対面、めでたくその日を過ごします。
明くる日に法事を済ませると、良石和尚から明日は直ぐに仇討の出発せず神田の旅籠町の人相見の白翁堂幽斎を訪ねよと言われます。
そして、この先の道のりは危ない身の上であるが『進むに利あり』と心得よと。そして帰りは剣難が見えているから気をつけよと。この良石和尚は只者ではないですね⁉︎この人だけの物語も出来そうです。
そして、孝助と相川新五兵衛は用事しながら歩いているといきなり孝助に斬りかかってくる黒い影⁉︎ここで平左衛門に仕込まれた剣術が生きて取り押さえます。
ここの場面は剣術の達人よろしく演じたいものです。
これが捕方に追われていた伴蔵というんですからまたまた驚きです。ここでとうとう伴蔵はお縄になり、お調べの後にお仕置きになります。
明くる日に孝助は良石和尚に言われた通りに神田の旅籠町の白翁堂を訪ねます。
そこで人相を見てもらうと、望みは叶うと言われますが、剣難がみえるから気をつけろ、しかし後へ下がるな『進むに利あり』とまたもや言われます。
本当に危ない身の上です。
そして、ここで初めて孝助が自分の為に四つの時に別れた母親に逢えるか訊ねます。
すると既に逢えていると言われてしまいました。なんだよ、逢えていないのに適当な事を言う人だと思ったでしょう。
すると後から白翁堂の所に訪ねて来たご婦人がなんと母親のおりえだったという訳です。
十九年ぶりの親子の対面ですから、感動的に演りたい訳ですけど、白翁堂のセリフでここで話し込まれても困るから他に行ってやってくれと言ってます通りに、私はあっさりです。

場所をおりえの泊まっている宿屋に変えて改めて親子の対面の場。そして孝助の仇が自分の義理の娘であることを知り、まして今、宇都宮のら自分の家でお國と源次郎を匿っている事を孝助に伝えます。
孝助にとっては母親に会えて、仇の居所がわかりこんな嬉しい事はありません。
急いでおりえと一緒に宇都宮へ行くまで女の足もあり九日もかかりますが、お國源次郎は他へ逃げずにまだ居るのです。

何でだろう?やっぱり実家、生まれ育ったのは越後だけど実家に安心したのですかね。

九つの鐘を合図におりえは仇討の手引きを約束します。
そして、おりえは江戸で孝助に会いお國と源次郎の全てを聞いた事をお國に話しますが、この二人に二十五両を渡して逃がします。おまけに見つかりにくい逃げ道も教えます。
ここでおりえは母親として、再縁した亡くなった旦那さんに義理が立たないと言うのです。
私は思わず『えー⁉︎』でした。
つまりお國は義理のある娘、孝助は縁の切れた息子だと言うのですよ。
そして、九つの鐘を合図に忍び入った孝助もそれを聞いて『えー⁉︎』です。
そして、おりえはその言い訳に喉を懐刀で突いて自害を図り、
またもや『えー⁉︎』です。
そして、死んで行く自分は幽霊も同じだから義理もありますまいと逃げた道を孝助に教えます。
私はまたもや『えー⁉︎』教えちゃうの??
です。また、その通りに逃げるお國源次郎ですが途中の雑木林で火縄銃を持った追い剥ぎに会います。
これが何とあの相助と亀蔵なんです。私はまたまた『えー⁉︎』です。こんな事なら前半にちゃんと演じなきゃです。相助は喋りますが亀蔵はほとんど喋らない設定にしてしまいました。
相助と亀蔵は孝助に遺恨がありますから、それをうまく使って源次郎が孝助を一緒にやっつけようと手を組みます。
相助た亀蔵に孝助を任せて、お國と源次郎は先へ逃げれば良いのにとも思いましたがね。
雑木林から孝助を火縄で狙い、手負いの孝助を隠れていた源次郎が斬るというシナリオですから、源次郎にしてはおあつらえ向きですよね。
ここで私は鉄砲か…と思ってしまいましが、だからやっつけようと思う訳ですし、緊張感もでるのですね。

そして孝助が現れた所で一発の銃声は相助ので、外れますが孝助の方をかすめます。
二発目はお國ので孝助の髷をかすめますのでお國にとっては惜しい!
暗がりから鉄砲玉が飛んでくるんですから孝助はたまりません。

ここで、この火縄銃は単筒で双筒ではないなと。だって鉄砲って高いだろ?相助と亀蔵に火縄銃が用意出来るの??原作ではこの部分はありません。芋のツルに火縄をつけて火縄銃に見せかけて追い剥ぎをしていたというのです。昔は暗いからハッキリわからないという説明です。

そして、前には鉄砲、下がれば源次郎で、進退極まり、ここで『進むに利あり』で間髪入れず雑木林に飛び込んでもう一つの火縄を亀蔵の腕ごと切り落とします。
さすが孝助腕の冴えになるのですが、原作は芋のツルですから誰でも切れるという訳です。
これに驚いて逃げる相助を切り捨て、
お國、源次郎を切りまだトドメを刺さずに引きずり出して、
お國、源次郎の首を落として見事に仇を討ちます。
原作では一人一人に憎しみを込めて顔をギザギザに斬り刻んだ後に首を落としておりますが、私はソフトにしております。
そして、原作では母おりえは息を引き取りますが私の場合は奇跡的に助かります。

江戸へ戻り、孝助が仇を討ったという事で、孝助の息子孝太郎をもちまして念願の飯島の家を再興いたします。そして
その翌日に伴蔵がお仕置きになります。

原作では伴蔵が新三郎を殺して、お露とお米の墓から骨を掘り出して来て、幽霊に呪い死にさせたように見せかけて、百両はどこからか調達したと言うのですが、どうも私は腑に落ちないので、お札をはがして殺してしまった事にしております。やはり幽霊は出たのです。
また、原作でのお終いは『孝助の主人の為、娘の為、萩原新三郎の為に、濡れ仏を建立したという、これ新幡随院の濡れ仏の縁起でございます。』で終わりますが、

私の場合は伴蔵がお仕置きにになる
『そのお調べによると、孝助の父である黒川孝蔵と伴蔵は本郷三丁目のある居酒屋で知り合い、そしてその居酒屋の酌婦がおみねだったという。その縁で伴蔵とおみねは夫婦になりまた、その居酒屋にも出入りをしていた山本志丈のはからいで、新三郎の長屋に住み着いたという因縁でございます。』

何とか因縁付けて

『欲の炎は灯籠を燈し、道を明るく致します、しかし、燃やし過ぎては全てを焼き尽くすという』

何とか灯籠と人間の欲望をひっかけて無理矢理

因果は巡る怪談・牡丹灯籠でございます。

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