教える立場の人間の矜持とは

仕事をしていて、ふと思うことがある。

「教える立場の人間の矜持とは何だろうか?」

矜持とは

矜持< デジタル大辞泉(小学館)より引用 >
自分の能力を優れたものとして誇る気持ち。自負。プライド。
<矜持/矜恃(きょうじ)の意味 - goo国語辞書 URL: https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%9F%9C%E6%8C%81_%28%E3%81%8D%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%98%29/

上記の語句の意味で考えれば、自分の思考に1番近い「プライド」という言葉がここでは妥当だろう。

当初の質問に戻ろう。
当初の質問を言い換えれば「教える立場の人間のプライドとは何だろうか」ということになる。
それは、
自分自身への自信だろうか?
確実に自分の教えるべきことを教えられるという自負なのか?
知識を教える相手よりも知っているという優越感だろうか?
教える相手に対しての地位の上の優越感だろうか?
答えはこれら以上にまだまだあるかもしれない。

最近、仕事をしていて自分が思うことは、
教える立場の人間に1番必要なものは、

「自分の矜持を捨てる勇気」

なのかもしれないということ。

教える立場の人間にとって、「矜持」というものは、自己肯定感を高めるものなのかもしれないが、そこに居心地良く胡坐をかく要因を作り出すものだと私は思う。
如何に「自分を捨てて」でも教えを受ける立場の人間に向き合えるか、その立場に立ち戻ることができるか。
それが教える立場の人間に1番必要なことなのかもしれない。

思考が言葉にまとまらないので、ここら辺で。
伝えたいことを言語化する。教える立場の人間のタスク。
自分はまだまだ修行中。