【編集長のつぶやき vol.600】 オイルショック以降バブル前の「踊り場的に幸福だった日本」を再考する。

2018.10.01

こちらのマガジンは、メールマガジン、及びブログ「まちおこし編集長の取材ノート」で約10年に渡り、掲載し続けてきた「編集長のつぶやき」が600号を迎えたのを機に、noteに引っ越したものです。599号までのバックナンバーはコチラをご覧下さい。

今や、「歴史的事実」として遠い過去?のものとなってしまった、日本のバブル期。

その「時期」の定義については諸説ありますが、その出発点は一般的に1985年のいわゆる「プラザ合意」とされています。

では「バブル以前」の日本を、「時期」的に定義するとすれば、どんな「呼び名」が適切でしょうか。

これまた一般論になりますが、1973年のオイルショックにより、日本の「高度成長期」は終止符を打ちました。

以降、バブル前夜までの、1970年代後半~1980年代前半のおおよそ10年間は、これまた一般論的には「低成長期」などと呼ばれています。

低成長。

なんだか、沈滞ムード?が漂う響きですが、この10年間は果たしてそんなに「停滞」していた時代だったのでしょうか。

確かに、オイルショック前のような、「青天井の未来」を前提とした「元気さ」は無かったと言えるでしょう。

しかし、多くの人が本当に「豊かさ」を実感できたのは、この10年間だったのではないでしょうか。

国外ではソニーのウォークマンが世界を席巻し、自動車の生産台数がアメリカを抜き、まさに「世界最強の工業国」として君臨していた時代です。

当時の欧米における日本のイメージは、恐らくこんなイメージだったのかも知れません。

【編集長のつぶやき vol.397】 1985年発表、イギリスのテクノ・ポップ・バンド「OMD」の「crush」PVに、「バブル前夜の幸福な日本」を見た。

一方、国内はどうだったでしょうか。

まだまだ高度成長期の夢から覚めていない時期だったこともあり、「景気が悪い」と言っていた人は多かったと思います。

しかし、少なくとも、現在よりかなり多くの人が「豊かな消費社会」を享受していました。

例えば、片田舎の小さなまちにも、ピアノ教室やバレエ教室が普通にあり、文化的にみても、恐らく世界に類を見ない?豊かさだったという人もいます。

ヤマハが世界最大の楽器メーカーになりえたのは、もちろん「世界で戦える」商品を造ってきたこともありますが、何よりも国内に「豊かな市場」があったからに他なりません。

まさに「1憶総中流」です。

オイルショック以降バブル前の日本をひとことで言えば「踊り場的に幸福だった日本」とも言えるでしょう。

もちろん、あの時代にだって、あの時代なりの社会問題はありました。

しかし、歪の大きかった高度成長期や、明らかに日本が狂いはじめたバブル期については、様々なカタチで語られ、分析されることは多くても、なぜか、その中間に位置する「踊り場的に幸福だった日本」についてはスルーされがちな気がします。

故に、まちおこし・観光・不動産の通信社 遊都総研の編集長としては、1年ほど前、こんな提案をしてみました。

【編集長のつぶやき vol.458】 注目の観光コンンテンツ「語り部」。今後はバブル以前の「踊り場的に幸福だった時期」に注目か。

このお話しについては、折を見て、続きをつぶやきたいと思います。

         まちおこし・観光・不動産ニュース遊都総研.com 編集長

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