邪道2

【編集長のつぶやき vol.605】 コーヒー道ならぬコーヒー邪道の勧め(2) コーヒーの「言葉遊び」を音楽を通して楽しむ。

2019.04.07

こちらのマガジンは、メールマガジン、及びブログ「まちおこし編集長の取材ノート」で約10年に渡り、掲載し続けてきた「編集長のつぶやき」が600号を迎えたのを機に、noteに引っ越したものです。599号までのバックナンバーはコチラをご覧下さい。

前回は、「ハンドドリップは2煎目以降も美味しい?」と題し、コーヒーの2煎目という「邪道」をお勧めしてみました。

今回は、コーヒーそのものと言うより、コーヒーに関する「言葉遊び」のお話しです。

コーヒーに限らず、「味」を言葉で表現するには、「苦味」「酸味」「甘味」「コク」など、恐らくは多くの人がその経験を「共有」しているであろう「共通語」が使われますよね(もちろん、その「程度」や「幅」は、個々人によって大きく異なるとは思いますが)。

ただ、コーヒーに関して言えば、これに加え、必ずしも「共通語」とはなっていない「イメージ」で紡いだ言葉で表現されることが少なくありません。

例えば、「スッキリ」「さわやか」「上品な」といった、「味」や「香り」を表現するには、個々人の受け止め方が千差万別になってしまう言葉だけでなく、「カシスのような」とか、「チョコレートのような」とか、具体的な食材などに例えられることが多かったりします。

「本当の味」ではなく、「イメージの味」?

しかし実際には、よほど「尖がった」味のコーヒーでない限り、実際にカシスやチョコレートの味がするワケではありません。

もちろん、そもそもコーヒー豆は「果実」「穀物」ですから、何らかの果実や穀物に近い風味はあるでしょう。

とは言っても、それはごくごく微妙なもので、味の違いを表現するための「イメージ」に基づいたものに過ぎません。

ある意味、この「微妙な味の違い」を極限まで?楽しめるのがコーヒーだったりします。

故に、その味を表現する技法としての「言葉遊び」を、もっと自由に?楽しんでみては如何でしょうか?と提案してみたくなったのです。

好みの味は、「多層的」なロック風の「味」と「香り」?

話は音楽の話に脱線しますが、1985年から1986年にかけて放映されたテレビドラマ「ヤヌスの鏡」のテーマ音楽となった「今夜はANGEL」(椎名恵)という曲をご存知でしょうか?

この曲、アメリカ映画「Streets of Fire」で使用された「Tonight Is What It Means To Be Young」を、ドラマのストーリーに合わせ、日本語でカバーしたものです。

原曲・カバーとも、楽曲の構成というか展開はほぼ同じで、組曲のような、或いはメドレーのような流れとなっており、どこの部分がサビなのか分からないくらい?、何層にも折り重なった構造となっている点が特徴と言えるでしょう。

言い方を変えれば、「多層的」な造りで、それでいて6分近い「ひとつのよくまとまったロック調の歌」に仕上がっています。

実は、この「多層的」という部分が、コーヒーの味を「言葉」で表現する際にキーワードになるように思いました。

個人的に好みのコーヒーを言葉で表現するとしたら、「今夜はANGEL」のような、全体として調和の取れていて、時間が経つにしたがって苦さが甘さに変わっていく「多層的」なロック風の「味」と「香り」といったところでしょうか(笑)。

原曲とカバーの「差異」にも言葉遊びのヒントが。

実は、この「今夜はANGEL」にはもうひとつ、コーヒーの「味」を言葉で表現するうえで、重要な要素があります。

それは、このカバー曲の歌い手であり、日本語の歌詞の作詞者でもある「椎名恵」というアーティストのカラーをどのように「言葉」で表現するのか、という点です。

原曲とカバーを両方聞き比べればはっきりと分かりますが、原曲が荒々しくシャウトする力強い歌い方であるのに対し、カバー曲は丸くまとまった印象を受けるでしょう。

原曲から入った人は、このカバーに脱力?してしまう人も少なくなかったと思います。

ただ、個人的には、原曲とほぼ同時期のPat Benatarなどもよく聞いていたので、洋楽を日本語でカバーした曲は多くの場合、恐ろしくチープに聞こえることが多いことは理解できますが、このカバー曲については、全く異なる印象を持ちました。

原曲のように荒々しくシャウトしているワケでもないのに、どっしりと安定的に力強く、どちらかと言えばやや鼻声のようにも聞こえる声質なのに、澄んだ濁りの無い声に聞こえるのです。

まあ、全編英語の原曲と、サビらしき部分以外は日本語となっているカバー曲を直接比較して優劣をつけること自体、無理があるとは思いますが、この曲に限れば、カバーが原曲を「越えている」と思いました。

「耳障りの良い響き」に惑わされない。

澄んだ濁りの無い声。。。

「透明感のある声」などと評されることが多いアーティストだけに、普通に聞けば、この表現に違和感は無いかも知れません。

しかし、カバーが原曲を「越えている」と言う論拠にするには、やや矛盾した表現になります。

透明感がある、ということは「原曲が透けて見える」ということ。

カバーというフィルターが原曲を昇華させる、と言えなくもないですが、普通に考えたら、「透けて見えた先の原曲」を超えることはないでしょう。

むしろ、楽曲の構成や展開自体は殆ど同じでも、「椎名恵カラー」で塗りつくし、原曲の歌声が透けて見えない「透過性の無い声」だったからこそ、チープには聞こえなかったのではないでしょうか。

「透明感のある」という表現は、確かに耳障りの良い響きです。

ただ、比較対象や置かれた状況によっては、真逆の意味にもなりかねません。

コーヒーの「味」や「香り」を「言葉」で表現する場合も、「耳障りの良い響き」に惑わされず、様々な創意工夫で、「言葉遊び」を楽しんでみてはいかがでしょうか。

         まちおこし・観光・不動産ニュース遊都総研.com 編集長

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