見出し画像

「マスク外しても良いですよ」という気遣いから考える、マスク観の溝

気になるテーマがあったので、最近思うことを書き連ねてみました。

「自分はマスクを積極的にしているんですよ」と、必要に応じてきちんと相手に伝えることをルールにしていきたいなと思います。

当たり前のマスク


マスク着用が日常となって久しい。

もともと僕は花粉症や風邪予防でコロナ前からマスクをよくしていたのだが、それはあくまで限られた期間であった。

毎日毎日必ず着けないといけなくなるなんて、誰でもそうだと思うが、予想すらできなかった。

日常になると同時に、マスクを巡っては割と活発な議論が世間で繰り広げられていた記憶がある。

事情があってマスクができない人はどのように対応すべきか、とか、そもそもマスクをしたところで意味があるのか、とか、ジョギング中もマスクをしないといけないのか、などなど。

特にジョギングについては、芸能人がラジオかなんかで

「ゼーハーゼーハーマスクしないで走るなよ!あり得ねえよ!」

と激しい口調で怒っていて、まさに当時、ジョギング中はマスクを外していた自分は、先生に怒られたかような気分を味わったのと同時に、やはり屋外でもノーマスクは嫌な人もいるのかと反省したのを覚えている。

このような議論を耳にする度、マスクという存在はこんなに人間を惑わせるものかと改めて驚いていた。「マスク観」の違いとでも言えば良いのだろうか、マスクをどう見るかでこんなに揉めるのか、という感じである。

私見だけど、こういった議論は、マスクをつけるべきである、とする多数派に対して異を唱える形で発生するものが多かったように思う。

ただ、いよいよ政府が屋内でのマスク着用を不要とする方針を出したことにより、状況は一変するだろう。

そこで心配なのが、「それでもマスクをつけていたい」という人に対する風当たりが悪化しないかどうかである。


私のマスク観

僕は、できれば感染予防のためマスクをしていたい人間だ。マスクの効果について科学的に説明できるほど詳しくないし、正直息苦しく感じることも多いが、やはりコロナにかかるリスクを少しでも減らせると思えば多少の不便は我慢できるタイプである。

逆にマスクを忘れて外に出てしまったら最後、例え屋外であってもそれなりに焦る。

そのような考えなので、今までのマスクをして当たり前とするような世間の風潮は特に問題なく受け入れられていた。むしろその風潮のおかげで自分の居心地の良さが守られていたとも言える。

しかし、そのような居心地の良さがついに終了すると思わせるような出来事があった。

面談の際、会社の上司から「マスク外しても良いですよ」と言われたのである。しかも腕を伸ばせばお互いに届くような近い距離で。

そのときは戸惑ってしまい、「あ、いや、大丈夫です!ありがとうございます」と言ってなんとか外さずに凌いだのだが、あとからよく考えると、意外と深い問題があるように思えた。

 

マスクはジャケットやネクタイと同じようなもの?


上司の言い方は軽く、まるで夏場に「暑ければジャケット脱いでいいですからね。なんならネクタイも取って良いですよ!」といったようなノリと同じだった。

うまい例えが思い浮かばないのだが、無理やり例えると離陸直前の飛行機で、となりの乗客から「シートベルト外してもいいですよ!」と言われたような感覚だろうか。

そう言われても「え、いやいや危ないので外しませんよ!ご心配なく!」とでも言いたくなるだろう。そもそもなぜ許可を出してくるのか?と疑問に思うのではないだろうか。僕の心情としてはまさにそのような感じであった。

難しいな、と思ったのが、上司はおそらく、僕がマスクをイヤイヤしていると心から信じ切っていることである。(普段からマスク着用が当たり前になった社会を憂いるような発言をしていることからも、そう読み取れた)

僕としてはしたくてしているので何の問題もないのだが、マスク=したくないもの、と捉えている人の認識は当然ながらコントロールできないので、僕と上司の間には大きな、そして埋めるのが果てしなく難しい溝があるように感じた。

ジャケットやネクタイなら、暑い夏なら熱中症予防という名目で脱いだり取ったりするよう促すのは自然かもしれない。

ただ、マスクはどうなんだろう。

自分のように、感染予防のために自分から積極的に着けている場合はどう立ち回ればよいのだろうか。

社会人のお作法的な話をすれば、相手の心遣いをありがたく受け入れて取るべきなんだろうが、やはり至近距離で話したりする以上どうしても気になるし、飛沫が飛んで感染しないか心配していると話に集中できなくなる。

まあ、おそらくここでの正解は

「ありがとうございます。特に苦しくありませんので、大丈夫です」

的なスマートな受け答えをすることなんだろう。でもスマートな答えが思いつかない‥。

いざ自分と相反する意見を目の当たりにすると、相手の意見を素直に受け入れることと同じくらい、もしくはそれ以上に、自分の意見を大切にすることが難しい。

気にし過ぎなんじゃないの?コロナは風邪だよ!とか言われたとしたら、自分のことだから自分はコロナを怖がり過ぎなんでは?と本気で考え込んでしまうに違いない。

きっとここからが正念場

政府が屋内でのマスクを不要とすることによって、本当の意味でのマスク論争が始まるような気がする。(論争って言うときな臭いのだが、表現が見つからないのでそう言わせてください)

というのも、今までは、本当はマスク不要派であっても、世間の風潮的にマスクをせざるを得なかった人もたくさんいたと思う。

それがこれからは「政府が推奨している」という大きな後ろ盾ができるので、マスク不要派が遠慮する必要がなくなる。

逆に言えば、マスクを着けたいと思っている場合でも、世間の風潮が味方してくれることはなくなる、ということになる。

マスクを着けないという選択肢が受け入れられるべきである一方で、自分から進んでマスクを着けるという自分の選択も、決して押し付けはしないものの、きちんと相手に言葉で伝えることが求められるようになってくると思う。

マスクに関して違う感覚を持っている人ともうまく関係を築けるよう、「きちんと言葉にする」ということを自分の中でルールにしていく必要があると感じている。

なんだがマスクに関する派閥を強調するような感じになってしまった気がするが、どのような立場にいたとしても、心地よくいられるような環境が広がって行けば良いな、と願うのであった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?