インターネッツ疑似恋愛。

Twitterでは、死にたい気持ちに容量が足りなくておしまいなので、ノートにちょっとだけダラダラと長い文を書こうと思い立ちました。
長い文章をかくのが高校生の部活サボった小説を書いて以来書いてないので、自分自身かなり不安ですが、暇な人は脳死しながらよんでください。

私は自分が人生でいちばん嫌いです。でもって人生で一番好きです。この世の終わりみたいな顔をぶら下げて、陽キャの真似をして社会生活を営んでいる自分が可哀想で愛おしいです。早く死んでくれないかな、と思うんですけど、自分は自分のようでそう簡単に死ねません。
人間として恵まれている環境にいると思います。貧困に喘いだことは無いし、親は生きてるし、マトモだし、大学まで行かして貰ってるし、友達は別にいるし、でも僕の人生はそんなもんです。マズローの5階層でいえば一番下、もしくは2つ目、生理的ニード、安全・安心のニードしか満たされてないんです。(専門用語でイキリました、学力マウントです)
この世から恋愛という定義を生み出したやつをひねり潰して、恋愛漫画、恋愛ソング、結婚という掟を蹴飛ばして、燃やしたとしましょう、そうすれば僕はこの世である意味ほぼパーフェクトなヒューマンになれると思うんです。
つまり僕は恋愛依存体質の恋愛不適合者なわけです。この世は生きにくいです。幼少期から植え付けられた恋人のイメージと幸せの形が首を四六時中閉めてきます。好きな人と付き合えたことがない私は、自分の女としての価値を模索しつつフラフラと漂っています。
構ってくれる男、いいなと思う男に心理的に死ぬほど依存しつつ、嫌われるのが怖く、幸せな期間でさえも不安を抱えています。関係に名前を付けることが、おままごとを現実に引き上げるようで恥ずかしくて、嫌われるのではないかと悩み、何もできません。そして何にもならないまま相手が先に湯船からあがり、私は残り湯に名前をつけて蓋をします。
それが私のルーティンと言えます。最高だと思います。漫才のネタになるレベルで面白いです。正月の特番にでもしてくれ、頼むから。もうどうしようもないです。私はこんなもんです。手首すら切れずお薬もキメれず、中途半端に可哀想な自分に酔っている癖に辛くて仕方ないので、おしまいです。
つまり何が言いたいかってことですよね。愛されたいってことです。好きな人に、愛されたいです。それってこんなに苦労しなきゃいけないことなんでしょうか?というか好きってなんなのでしょうか。恋愛に依存しすぎていて、もう何が恋愛なのか恋愛ごっこなのか分かりません。意味不明な界隈に居すぎたのかも知れません。
安売りしすぎた好きがふわふわそこら中に漂って本当の好きに気がつけません。
だから今私は、もうおしまいなんです。このクソみたいな文章もおしまいです。
お疲れ様でした