感謝を表すということ


人から見るとここ最近のわたしは“変わった”と思われるかもしれない。

だけど それは他者からの評価でわたし自身はまるで変わっていない。


ただ 優先順位がハッキリしてきたようで、より自分のしたいようにしていて、自分らしくなってきてるに過ぎないのだ。


自分らしくというのは際限がないと思う。


どこまでも自分らしくいられる。。。

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相手の立場になって考えるということは、友達同士と知り合い程度では異なるもので、雇用主と従業員や店主と顧客といった利害関係の有無でも異なるもので、それは、礼儀に通じることでもあると思う。


そして、このような関係で相手の立場になって考えることは、冒頭にも書いた自分らしさが根底になるものです。


自分らしく生きているから、相手の立場になって考えることが出来るのだと思うし自分らしく生きてるから、相手の立場を理解出来るのだと思うのです。


相手の気持ちや立場を理解出来るということは、同時に自分がわかり、自分らしく生きることがどういうことかが理解出来ていること。

自分のことが理解出来ているから相手のことが理解出来るのですね。

昨日も少し書きましたが、主語や目的語がなく、脈略もない話や質問をされる人は、自分というものを理解出来ていないから、自分の言葉を相手がどんな気持ちで受け取るかが想像できないのだと思います。

想像することと理解することは、違うものですが、似通っている のだなあと感じます。

どんなことでも想像したり理解することで次に駒を進めるように感じます。


理解するというのは、理解しようという意欲があるから出来ることであり、そこには対象となる者への礼儀や感謝がないと出来ないことなのです。


このように、理解しようという意欲や想像しようとする意欲を示すことが感謝を表すことなのです。


意欲が見られないのは感謝がないと思われるかもしれないということです。

意欲は自己主張とは違うものなので。



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