卒業〜目に見えない存在に気を配るシーズン
目に見えること重視の人間界においての『卒業』は、自分の目に見える見えないという括りで考えたら
自分の目に映るものが見えなくなるということだと思うのです。
見えるものが見えなくなる。
でも 実際にはなくならない。
つまり、どこかに移動しただけなのです。
宇宙的に見たら、移動なのです。
配置替え。席替え。
確かに、自分の目には映らないかもしれないけれど、宇宙的に見たら、自分の目の前から見えなくなっただけなのです。
この世界には、目に見えることしか信じない方々がいらっしゃいますが
彼らが信じようが信じまいが、彼らから見えない世界は存在するのです。
「見えない」ということは非常に幅広い意味を持つことが考えられないでしょうか?
転校してしまったお友達や異動になった友人。
結婚して地元を離れた友人や離婚した元夫。
天寿を全うして亡くなった祖父母。 事故でなくなった親など。
わたしたちは一生のうちにとても多くの人との別れを経験しています。
それが物で言ったらいくつになるかわからないくらいの別れです。
しかし 転校してしまった友達や異動してしまった友達とは電話、メール連絡出来て離れてしまったと言い難いです。
そう考えると 見える世界だけしか信じないとは滑稽です。
一生のうち、自分にはどれだけの人や物との別れがありましたか?
目に見えない、目の前にいないというだけで別れと決めつけてもよいのか疑問に感じます。
亡くなられた人であっても想いを寄せることは出来るはずです。
メールや手紙のように想いは伝えられるのです。
それを知らない人が少なくない。
そう考えると
この『卒業』という季節は、自分の今まで生きてきてお別れしてきた人に想いを寄せる、感謝を伝える季節でもあるのだなあと感じます。
感謝を伝える時期は御中元時期、御歳暮時期もありますね。
要は節目の時期だと言うことです。
この節目の時期には目に見える存在見えない存在に関わらず感謝を伝える時期でもあるのです。
そんな時期だからこそ、自分に気付きを与えてもらえる時期でもあり
体に不調を訴えたり、心がモヤモヤしたりするのです。
見える存在見えない存在に感謝することを促されていると言えるのではないでしょうか?
あなたは今、どこを見て歩んでいますか?
何を見て立ち止まっていますか?
今、目に見えるものや人ばかりに目を凝らしていないでください。
あなたが考えるより世界は広い。
フォーカスすることも大切ですが、目に見えないことにも気を配ってみてください。
卒業はそんなシーズンです。