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西日本ロードクラシック E2/E3 5位


さて、レースレポに入る前に昔の話を少しだけしよう


自分が高校2年生の時にまで遡る

当時、現ブレッツァに所属するヤストってやつとたまに平和公園で一緒に練習していた。その頃、Facebook内でひっそりと募集する練習会が平和公園であった。俺はFacebookをやってなかったし、当時は部活以外の練習会に参加することもなく1人で乗っていることが多かった。ヤストが言うには俺と勝負させたい人がいると。その人は究極のオールラウンダーでめちゃくちゃ強いらしい。とにかく一緒に走ってみてほしいと。

そこまで言うなら…と思って、その練習会に参加。その日のことは今でも鮮明に覚えている。当時はそれが自分の自転車人生を変える日になるなんて微塵も思っていなかった。

ヤストが一緒に走らせたかった人は「塩澤さん」。大変失礼な話だけど当時はその人のことを全く知らなかったし、そもそも高体連の選手以外に興味がなかった。

練習の内容は10本のスプリント勝負。今思えば恥ずかしい事だけど、当時の自分は尖っていて、スプリントになれば負ける気がしなかった。(その尖ってたエピソードは今でも塩澤さんにいじられる)

そんだけ自信があったスプリントで5本勝って5本負ける引き分けだった。相手が大人だとはいえ、けっこうショックだったし、次会ったら負かすって決めた。そこからその練習会に顔を出すようになって、塩澤さんと走る機会が増えた。


翌年、高3になったがパンデミックで高体連のレースがことごとく中止に追い込まれた。結局、自分の中で消化できない大きなモヤモヤを抱えながら、大学受験のために一旦は自転車を辞めることにした。その少し前に、塩澤さんから「愛知県で若手選手を育てるためのチームを作る計画がある」という話を聞いた。そのチームこそがORCAである。セレクションは夏頃に開催されるが、自分はその頃にはもう受験勉強に集中しているからセレクションに参加することはできない。

ただし、「水井くんが合格して大学生になってももなお自転車に乗るなら、チームへの加入を監督に打診する用意はある」と。

当時は話半分で聞いていた。


翌年2月、志望していた大学からの合格通知が届いた頃に塩澤さんからDMが届いた。

TEAM ORCA加入の話だった。高校を卒業したら、学連じゃなくて実業団を走る予定だったし、二つ返事で自分が加入する意思があることを伝えた。その後、監督の伊藤さんと面談をして、加入することとなった。

それが自分の18歳の誕生日の話、今でも覚えている。



TEAM ORCAとしてのデビュー戦は奇しくも西日本ロードクラシック。(その時は7月開催だったし、広島だった。)


結果は序盤に落車で分断された集団に追いつけず、レースのほとんどを千切れ組が集まる小集団で走ってギリギリ完走。完走者の中ではビリだった。

前日にみんなで登った小高い丘からの景色



初めてのレースで全然走れなかったし、かなり意気消沈した。

その後も舞洲TT、クリテに出たけど自分がレースをする感覚を思い出せなかった。結局最後にズブズブに埋もれて完走するだけ。


翌年はポイント昇格で運良くE2に上がれた。自分が望む上がり方じゃないけど、あとひとつでE1に手が届くところに来た。けれど2年間、かすることもなく全く手が届かなかった。周りがどんどんE1に上がっていくのを見て、自分の無力さ、才能のなさを恨むようになった。

9月の舞洲クリテだったと思う。いつも通り最後に沈んで昇格できず落ち込んでいる自分に塩澤さんが言った。「オレはいつか水井くんが日の目を見るときが来ると信じている」と。当時の自分を見かねて言ったのだと思うし、塩澤さんは覚えていないと思う。


また昇格できず1年が過ぎ、2023年の西日本ロードクラシック。ちょうど1年前の話。E2で90kmを超える雨の中のレースで、初めて自分がロードレースで戦う感覚を味わった。結果的に最後に力尽きて14位だったけど、それよりも戦える感覚が蘇ってきたことが嬉しかった。それと同時に届きそうだった目標に届かなかったことが悔しかった。

(ただし、夏に体調を崩して去年1年間は不調から立ち直れなかった)


今年、大学4年生になった自分はいよいよあとがない。今期初戦の大阪クリテリウムは15位。また今年も同じことをやるのか…と意気消沈したけど、そんなことは言ってられない。

西日本クラシックまで3週間。自分の持てるもの全てをそこに注ぎ込むことに決めた。伊藤さんに「絶対に西日本で上がりますから」なんて大口を叩いたりした。


ここまでで1800字。思い出を語りすぎた。


レースレポートに行こう。


前日


伊藤さんたちはDay1に参戦してそのまま名古屋にトンボ帰りする。自分と住吉はDay2のみの参加なので別行動。宇治にあるおばあちゃん家に泊まらせてもらう。

この家の家主だったひいおばあちゃんは1週間前に亡くなった。最後は会えずじまいだったけど、応援してくれてただろうしなんとか結果で応えたかった。


少し散歩して、ご飯食べて早めに就寝。前日に伊藤さんから激励のLINEをされ、心に昇格を誓いながら眠りにつく。


当日

会場までは1時間ちょい、8時出走なので5時半に出発。2時間前には食事をとっていたいので、腹は空いてないけど無理やり詰め込む。7時前に会場について急いで自転車を組み立てる。ローラーは一応持ってきたけど使う暇なく試走。受付は川上さんにお願いして、検車場前でゼッケン装着。


そのまま検車を受けて整列。いよいよ運命のレースが始まる。緊張感と高揚感でおかしくなりそうだった。

前日にチームメイトの中学生2人組が昇格していたこともあり、自分もそれに続かなくては…と焦りの気持ちと使命感を抱えていた。

機材

いつものやつ

54-40に11-30、オーソドックスかつ信頼できるパーツでトラブルを減らす。タイヤも安心と信頼のGP5000。


データ

NPもAPも去年より低い。去年は96kmくらいあったからそう考えるとかなりイージー。

作戦

E2(ゼッケン400番台)の選手が3人以上いる逃げは要チェック。E3の選手が逃げても追わない。

ゴール前の坂で勝負を決める、勝ちじゃなくて昇格を狙う走りを心がける。


レース


ほぼ最後尾からスタートする。群馬よりは道幅あるところ多いし、簡単に上がれるからね。

緊張はなく、適宜落ち着いて対応していこうと言い聞かせる。前半のうねうね区間を終えたところでアクチュアルスタート。

大きな動きはないし大してペースも上がってない。1周目の1分坂でウォーミングアップがてら踏み込んで位置を上げる。後ろの方は正直言ってレースを走る前に身につけることがあるだろって人が多くてリスクを考えると中盤くらいには居たかった。

案の定2周目に真後ろで落車発生。巻き込まれなくて良かったと思いつつ集中する。

前半のうねうね区間で1つや2つだけ番手を上げたところでなんのメリットがあるのか?レースはまだ序盤だし、その後に上がれるところなんか幾らでもある。犯す必要のないリスクを犯して、周りの選手を巻き込む危険性を孕みながら位置取りする意味がわからない。そういう選手に限って真っ直ぐ走れないし、キョロキョロしてフラつくのはなんなんだろう?


愚痴は置いといて、しょうもない動きをする選手が多くて嫌気がさす。イライラしてると1分坂で目の前の選手がふらついて落車。間一髪のところで足をついて事なきを得る。後ろから少々突っ込まれたけど機材にダメージもなさそう。10秒ほど離れた集団を追いかける。

思わずふざけんなよ…!と声が出る。坂の頂上で集団に追いついて使った足を休める。ずっとSST強度くらいで進むから少し嫌だけど、普段の練習の方がキツい。

そのうち回復してきてカメラマンの佐藤さんを見つけて振り向く余裕まで出てくる。1分坂もきつくないし、下りは得意。相性がいいコースなのかもしれない。


5周目の1分坂ででVendの選手とバルバの選手がアタック。勝ち逃げになるだろうな…と思いつつもE3の選手なので見送る。集団も追う素振りを見せずにタイム差が広がる。周りの様子を確認するが全員キツそうだし、脚がなさそうだった。


7周目の1分坂で2人が飛び出す。昨日のE2で上位にくい込んだ2人。追うか迷ったがここもステイ。ファイナルラップに突入してもずっと視界に捕える程度の差で進行する。


前で逃げているのは計4名。集団の頭さえ取れば確実に昇格はできるので、確実に狙う。自分の想定ではファイナルラップの位置取りは厳しくなると踏んでいたがそんなことはなく、楽に前方をキープ。下りを5番手でこなしてゴール前の1分坂に先頭で突っ込む。


坂の序盤で2名が自分の前に出るがすぐに垂れていった。後ろは振り向かずにとにかくペダルを踏みつける。ここで1分650Wを出力。

後ろは見ない、並ばれたらまた引きちぎるだけ。ここで踏み辞めたら絶対に後悔する。とにかく前だけを見て踏み続ける。坂の頂上で先行していた2名のうち1名を捕らえ、先頭でクリア。

残り300mで緩い下り坂に突入。ここではまだ先頭。ギアを上げて踏み続ける。

残り100mでバルバの選手に並ばれる。

そのまま捲られ5位でフィニッシュ

フィニッシュした瞬間、これでE1に昇格した…という安堵の気持ちが自分を包む。


本当にここまで長かった、苦しかった…

レースに出ては自分の実力を疑い、周りと自分を比べて自己嫌悪に陥っていた


今までの苦しかった思い出、辛かったこと、やっとチームに結果で返せたこと、一気に色んな感情が込み上げてきて涙が出た



最後に


世の中にはいとも簡単に勝って昇格してしまう選手と、そうでない選手がいる。自分は間違いなく後者で、才能もないただの凡人。

だけど諦めずに、いつか結果を出す日のことを夢見て練習してきた。泥臭くて、カッコ悪くて、遠回りして…周りにも笑われてきたけど諦めようなんて微塵も思わなかった。


表彰台に上がった瞬間、いままでの辛かったことは全て過去の話になって、何か大きな荷物が肩から降りた気がした。


今まで周りの人から受けた恩を少しだが結果で返すことができた。

ただしまだまだ志半ば。やっとE1のスタート地点に立てる。やるからには素晴らしいチームメイトと共に更に上を目指したい。


E1デビュー戦は大磯クリテリウムの予定。残念ながら単騎での参戦になるが全力で楽しみたい。


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