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「死はいつかくるけど今日はこない」という無意識

しばらく動きが鈍かったので、動いていこうと思うと同時に自分がやっている会社のことやそこでの学びを対外的にアウトプットしていこうと思う。

その前に、しばらく動きが鈍っていた間にあった出来事とそこから感じたことを自分の整理のためにも書いておこうと思う。出来事そのものは少子高齢化社会の中で増えていきそうなことなので、同じような状況の人が読んで対策しておこうとか思ってもらえたら尚嬉しい。

2022年、僕は経営者らしいことをほぼしていない。仕事は最低限で、既存顧客の方々にサービスをきちんと提供するに留めており(そしてここも役員の方が本当に助けてくれた)、新しいことはほぼしていないし、攻めてもいない。
理由は、離婚してそれぞれ独居している地元の母と父が立て続けに体調を崩し、一人息子の自分はその対応でバタバタしていたからだ。そう書けば体は良いけど、実際には対応しても時間はあった。ただもう全然前向きになれなかった。
春から年末までに、母は12時間におよぶ大きな手術をし何とか生還してくれたけど、親父は心不全で結果として孤独死してしまい、体が腐敗してしまっていた。
父は65歳だった。
老いてきたとはいえ、一般的にはまだまだ元気な年齢で、今から1年前には、親父がまさか孤独死してしまうとは思いもしなかった。

春頃に親父が65歳とは思えないほど異様に老いてしまったことがはじまりだった。
もともとギタリストで、クリエイティブな部分とやり込む性格が災いしてか躁うつ病を長く患っていて、それが悪化したようだった。精密検査などでは特に内臓疾患だったり生活習慣病はなかった。ただただ生きることを徐々にやめるかのように劇的に衰えていた。
そこからは頻繁に帰省するようにして、腰が痛いと言えば一緒に病院行ったり、温泉に連れてったりしていた。

しかし、今度は母の頭に動脈瘤(脳卒中の原因となるもの)が見つかった。
形状的に脳卒中のリスクが高く、カテーテルなどではなく、開頭手術が必要だった。
母は覚悟を決めて入院したものの、直前の検査で血液に関して詳細検査をした方が良いとなり、なんと手術は延期になってしまった。
後日行った血液検査では問題はなく手術はOKとなったのだけど、母は「手術をしない方が良いという流れかもしれない」「入院して戻ってこれる自信がない」と覚悟が揺らいでしまい、手術をする・しないの話から再開することとなった。
検討している間、脳卒中のリスクが待ってくれるわけではない。
母の感覚的な部分とロジカルになりがちな自分の話は北風と太陽で、母との議論は議論にならない日々が続いた。
お互いに強いストレスが生まれていたので、一旦冷静になるために東京に帰った。
その数日後に、親父の兄が錯乱して電話をかけてきた。
親父には週1程度で電話をしていたけど、たまたま2週間連絡をしていないタイミングだった。

その日の内に親父の家に入ったが、その時にはもう警察が遺体を検案に持っていった後で、残ったのは布団と畳を黒く染めた体液と強烈な臭い、そしてどこから湧いてきたのか不思議になるくらいの大量の蛆や蜘蛛だった。(これはショッキングではあるし実際辛い光景ではあるのだけど、同時に生と死や自然に帰る強烈過ぎる力も感じて、僕は今ではあまりネガティブに感じていない。親父もたぶん少しは自然に帰れた方がいいだろう…とも思う。)

飲み物が入ったマグカップはそのままで、電気とテレビも点けっぱなし、いつもの日々から少し体調が悪いなと思って横になろうとしたら、そのままうつ伏せに倒れて逝った。そんな感じだった。
うつ伏せだったことと9月の残暑厳しい時期に2週間経っていたこともあり、本人確認ができない状態になってしまっていた。
そこからは数週間かけて、医者に検案票(死亡確認書みたいなの)をもらったり、DNA検査をして親父が親父であると法的に確認されたら警察に遺体を受け取りに行き、先に火葬を済ませ(体が腐敗してしまっているので)、そしてようやく葬式を執り行う、というたくさんのプロセスを踏んで、父は骨壺に入った。

衰えていたとはいえ、親父には持病はなかった。
80歳とか90歳まで生きることはできないかもしれないとは感じていたけど、今年死んでしまうとは想像できなかった。ましてや自分とは遠いところにあると思っていた「孤独死」という形になるなんて思ってもみなかった。
最後の1年は、意図せずして親が離婚して以来最も親父と過ごした時間が長かったと言えるくらいには一緒にいたし、一般的な孤独とは違うわけで。


日が経ってから、たまたまLINEで友人の親が独居するということをきいた。
見守りサービスを勧めたけど「まだピンピンしてるから大丈夫だと思うけど」と返ってくる。
もどかしい。

前兆がない重い病気や死なんて、冷静に考えるとたくさんある。
でも、なんとなく起きないと思ってしまう。自分もそうだった。
大きな地震が起きる確率を研究所が発表する。日本に住んでいる人でそれをきいて「いや絶対起きないよ」と考える人は少ないだろう。「災害用具の準備しないとな」とか考えたりするかもしれない。
でも明日やる人は少ないだろう。もっといえば数カ月やらず、結局やらずじまいなんてこともあるだろう。(僕は10年くらい前に一応用意した備蓄品がずっとそのままだ…)
でも確率としては、今起きてもおかしくない。

死や病気、災害みたいな日常が突然終わるような出来事に対しては、往々にして「いつか来るだろうけど、今日はこない」もしくは「自分には起きない」、無意識にそう考えながら過ごしてしまっているように思う。
リスクを全て潰そうという話ではない。それは不可能だ。そればっかりやっていたら、それで人生が終わってしまう。
ただ、父が孤独死したことは、自分にはそういったことが起きないという何の根拠もない楽観を突き付けられたように思う。

正直これらのことを「学びに昇華しました良かったです」という話にするつもりもない。
ただ、今がこのまま続いていくと本当に心の底から思ってたんだということは、文字通り痛いほどわかった。
今接している人、一緒にいることができる家族やパートナー、自分自身がやりたい事業にコミットできる状態、それらが保障されているのは今この瞬間だけだ。
ジョブズのように「今日死ぬとしたら?」くらい死を意識して日々を生きることはストイック過ぎて自分には無理だ。生きることに疲れてしまう。
でも腹の底くらいに「あー、あるんだなー、うん、あるよなー」くらいに留めた上で、日々をもうちょい味わいつつ生きていくかー、と思うようになった。
去年はそういうことを強く感じた時間だった。


ということで、僕は無事生還してくれた母ともう少し近い場所に住みたいと思うようになったので、2023年内には名古屋でも住む時間をつくっていこうと思います。(父の死後、最終的に手術してくれた。色々書いたけど、実際には親父が死んだ後~母の手術実施までの期間が一番しんどかった。。)
元々リモート要素多めで会社をやっていたので大きな問題はないんですが、とはいえ会社の登記は東京で、役員も東京にいるので、二拠点生活みたいになると思います。

毎年が勝負だけど、今年は少し感覚が違う。
理想と野心と勢いでの勝負ではなく、寧ろ色んなものを削ぎ落として前に進んでいこう。


そしてギタリスト木下和彦、おつかれさんでした。

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