『祖父の死』

2021年1月
父親から久しぶりの電話。

「じいちゃんが亡くなった。」

前々から入退院を繰り返し、体が弱っているのも知っていたが突然の知らせに驚いた。
何年も地元に戻っていなかったが、祖父に呼ばれるような形で地元に戻ることになった。

実家に戻ると、ただ寝ているような顔をして横になっている祖父に久々に会った。
亡くなった祖父に対面してもなお、死んでいるという実感は湧かなかった。

そのままゆっくり家族と祖父のことを懐古する間も無く、お通夜や葬式の準備が始まり、
身内の葬式はこんなにバタバタするのかと初めての経験ばかりだった。

特に面白いなと思ったのが昔、ご飯を食べている時に親に「箸渡しは行儀が悪いからやめなさい」と言われていたが
これが行儀が悪いと言われていた理由で納骨の際、箸渡しをしながら納骨をする。
『死んだ人が天国へ行けるように三途の川を無事渡れるように生きている人で“橋渡し“をし、無事を祈る』と言う意味らしい。
なので箸渡しをしていいのは御骨だけで、食べ物でそれをするのは縁起が悪いと言うことらしい。
日本人は言葉遊びが好きなんだなと思うのと同時に、祖父は亡くなっても尚、学びを与えてくれるんだと感じた。

「祖父の死」が与えてくれたものはそれだけではない。
今までの葬式に対するイメージすらも変わった。

その一つが、親族間の関係性だ。
久々に再会する家族、親戚。特に僕の父は祖父母とあまり関係が良くはなかった。
しかし、祖父の死を通してお互い長年あった不安、不満などが直接集まって会話することによって解消され、
今までだったら絶対にあり得なかった家族集合でのご飯や、今後もまた集まろうといった約束をするなど
目に見える形で改善されていった。
ここでもまた、祖父が死後にも学びや繋がりの大切さを教えてくれ、祖父の偉大さを再確認できた。

また、お通夜は予想していた人数をはるかに超える人が来てくれたりと、
今回のお葬式を総括するならば、祖父の性格や人生を可視化したかのような『素敵な葬式』だったと思う。


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ここからは今回の経験を通して“死“について少し考えてみる。

人は必ず死ぬ日が来る。
それが遅い人もいれば早い人もいるし、望まぬ死になることもあれば望んで死を選ぶ人もいる。
祖父は79歳で亡くなったが、しっかりと自分の人生を生き切ったと思う。

僕の家族は幸いなことに、歳上から順番に死が訪れるという意味ではとても幸せな事だと思った。
なぜなら、1番悲しいのは残された側であり、順当ではない死だからだ。

実際、僕は祖父との思い出は数えきれない程ある。
でも地元を離れてから頻繁に会う機会も無かったが、帰った時はもちろん会っていたし、
電話できるタイミングがあれば何気ないことを話して、嘘偽りなく祖父と関わってきたつもりだ。

だから当然、亡くなった祖父を目の前にして悲しみと同時にたくさんの思い出も込み上げてきた。
式が進むにつれ、本当にもう話すこともできないんだという実感も徐々に現実味を帯びてきて、
式が終わって家に帰ると、いつも祖父が座ってる席には写真になってしまった祖父。
違和感しかない実家に寂しさをもちろん感じた。


でも僕に後悔はなかった。


なぜなら、
自分が伝えたかった言葉は生きている時に伝えた自信があるし、
会える時、電話で話せる時は全力で関わった自信があるからだ。

後悔はないから僕は最後まで祖父に笑顔でお別れを言うことができた。
写真の前で僕が祖父に伝えたのは、

「今までお疲れ様。ありがとう。これからも僕らしく後悔のないように人生を楽しみます。また会いましょう。」
この言葉が僕の本音として出てきた。

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最後になるが、
今回の祖父の死で再確認できたのは当たり前のようだが、
『大切にしたい人と“自分の“全力で関わっていくこと』がとても大切だということ。
失ってからの後悔などなんの意味もない。
たらればを繰り返す関わり方なら今すぐ変えるべき。
伝えたいことを伝え「自分は全力でその人と関わった」と言えるような生き方が後悔のない生き方。
よってここは自分勝手に自己完結をするべきであって、
誰かはこうしてたからなど、ここに第三者を登場させてはそれは後悔のある生き方になってしまう。
人間なんてみんな不完全、完璧な答えを自分に求めていたらそれはきっと後悔になる。

だからまずは、身近なことや人から”悔いのない自分らしい”関わり方をして欲しい。
そして、少しでも前向きで”後悔のない”生き方をする人が増えてくれたら嬉しいと思う。

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