見出し画像

タイプレメディーの考察

●ゴースの体験を土台に勉強を始める
ゴースの体験を通して、エッセンスに興味を持った私は、
その後、本格的に勉強するようになります。
それは今から17年前の2004年頃だったと思います。
講座で勉強したり、書籍から学んだりすることが中心でしたが、
学ぶほどにエッセンスに対する興味が深まるのを感じていました。
特に、バッチの記述は非常に興味深いものがありました。

「人がしなければならないことは、自分の個性を大切に守り、自分らしい
人生を生きること、人生という海を渡る船の船長になることだけです。
そうすれば、全てがうまくいきます」

これはバッチが1931年に出版した『汝自身を癒せ』6章にある言葉です。
シンプルで簡単な言葉なので、思わず流してしまいそうな一文ですが、
心の琴線に触れたのを、よく覚えています。

バッチは、この「自分の個性」のことを「ソウルタイプ」と呼んでいます。
ソウルタイプを取り戻すことが、健康で豊な人生に直結すると言うのです。
そして、そのために用意されたものが「12ヒーラーズ」です。
バッチは、1927年から5年間という歳月を費やして、12ヒーラーズを完成させました。そして、この12ヒーラーズが、バッチのフラワーエッセンスの土台となっています。

私は、これを「タイプレメディ」と呼び、エッセンスを学ぶ初期の段階では、このタイプレメディをとても重視していきます。12ヒーラーズの中から「自分自身の本質的な個性を表す植物」を特定するという作業を通して、バッチのエッセンスの理解を深めていくのです。

しかし、これがとても難解で、なかなか特定できません。

●タイプレメディを考察してみる
実際にタイプレメディを考察してみると、これが非常に難解なのです。
様々な書籍を読んでいると、12種類の植物のうち半分位が当てはまるような気がしてくる。
 具体的な心配事が多いから「ミムラス」かも
 自分の意見をゆずらないから「バーべイン」もあるかも
 付き合いも悪く、一人が好きだから「ウオータバイオレット」もあるかも

こんな感じで、自分の性格に適合するものを検証していくと、多く植物が思い当たるのです。

そこで、自分のタイプが現れそうな場面を検証してみたりもしました。
当時学んでいた先生からは、「タイプレメディは、幼少期や自然体でいる時あるいは、危機が迫った時に現れやすいです」とアドバイスをもらいました。それぞれの場面を想定しながら検証してみるのですが、それでもよくわからない。そもそも「自然体の時って、いつが自然体なの?」というように、思考は無限ループに入っていきます。

それでも、頑張って考察を続けて結果、3つの植物に限定されました。
  クレマチス  いつもぼんやりと夢見がち、現実を直視できない人に  
  セラトー 決断する時に、他人のアドバイスを優先する人に
  スクレランサス いつも一人で2つのあいだで揺れ動いてる人に


しかし、ここから先は、さらに難しい。
「夢見がち」でもあり、「質問魔」でもり、「優柔不断」でもある私とって、どれか一つに決めることはとても難しい作業です。逆に、どれか一つに決められないということはスクレランサスなのか?・・・こんな風に再び、無限ループに陥ります。

それでも、エッセンスの勉強を続けていると、もう一つの疑問が湧いてきました。仮にタイプレメディが決まったとして、「それをどう活かせばいいのか?」

例えば・・・ 
 クレマチスであれば、地に足を付ける努力をすればいいのか?
 セラトーであれば、自分の知恵を信じ、他者への質問を断てばいいのか?
 スクレランサスであれば、迷うことをやめ決断をすればいいのか?


そうすれば、バッチの言う「人生という海を渡る船の船長」になれるのか?
そうした疑問も日々、大きくなり、謎は深まるばかりでした。

ちなみの話
スクレランサスの内面は閉じていますが、セラトーやクレマチスの内面は開いています。中でもセラトーは他者に開き、クレマチスはまだ見ぬ世界に開いています。
また、この3つの植物はどれも上手く決断できませんが、その要因は、
スクレランサスは自我の弱さ、セラトーは問題の核心から外れる思考パターンにあり、クレマチスはそもそも問題に関心がないのです。

そして、内面に緊急事態が起った時の心の反応は、こんな感じでしょうか。
 クレマチス 心だけがどこか遠いところに避難する
 セラトー どうしらいいか誰かに聞く
 スクレランサス 心の中が固定され反応がなくなる

これは、後の東日本大震災という未曽有の有事の時に、証明されることになります。

●ヒーリングハーブス社を訪れて
しかし、そんな疑問に終止符を打つタイミングがやってきました。
それは、今から13年前の2008年。勉強をはじめて4年目のことです。
ヒーリングハーブス社を訪れ、ジュリアン・バーナード氏の話を聞き、
実際の植物たちを見る機会が訪れた時です。

実際の植物に触れる体験は、想像をはるかに超える体験となりました。

多くの植物のエネルギーに圧倒され、言葉も思考も五感も全てが奪われたのです。そこにいる自分が自分なのかも、よくわからない状態であったことを覚えています。ジュリアンに対する質問も、多々用意していましたが、ほとんどが飛んでしまいました。(イギリスにいるあいだ、ずっとフラフラとどこか3次元ではない世界をさまよっているような感じでした)

特に印象深かったのは、想像以上に繁殖しているインパチエンスや小さいけどしっかりとした茎を持つセントリー、あるいは、本当に滝の中で咲いているミムラス。ビーチの森の中で、ひっそりと生きているホリーもなかなかの感激でした。

そして、そんな状態の中で、ヒーリングハーブス社の庭の片隅で小さく咲いているスクレランサスを見つけます。そのスクレランサスを見た時、

「ああ、これがタイプレメディーなんだ」

と自然と腑に落ちるものがありました。その感覚は、晴天の空を見て「秋の空はやっぱり高いね」というくらい自然な感じでもあり、生き別れになった我が子と何十年ぶりに再会したような激しい感激感もあり、それらが同居したなんともいえない複雑な感覚でした。いすれにしても、自分自身のソウルタイプと再び出会った瞬間でなのでした。

このコラムを読んでいる皆さんは、実際に現地で植物を見ている人も多いかと思いますが、おそらく同じような体験をしたのではないでしょうか?

また、エッセンスの学びには、体験が欠かせないことを認識した瞬間でもあります。机上での学びは、体験上での学びにはかなわないものがあります。しかし、机上での学びの深さが、体験の濃厚さに比例するのも確かです。デスクワークとフィールドワークを繰り返しながら、エッセンスを深めていくことは、バッチ自身が既存の理論に終始せず、体験と実践を繰り返しながらエッセンスを体系化したという道を尊重するものでもあります。

その後、スクレランサスの考察を再び続けていくと、それまで以上のことが分かってきました。

・そもそも、小さな個体で、存在感がなく目立たない。
・そのため、かなりの観察眼を持った人にしか発見できない。
・草花特有の変化(季節によって見せる姿の変化)が少ない。
・地上に近いところで展開し、その場に根ずく。
・足元には根を伸ばすが、上方に延ばす力が弱い。
・移動する時は、他の生き物(ウサギ)の力を借りる。

こうした個性を、どれも迷いなく自然と受け入れらることは、自分自身のタイプレメディがスクレランサスであることの証だと感じています。

●ソウルタイプが船をこぐ
こうして体験的に自分のタイプレメディを知っていくことになるのですが、
この体験は、タイプレメディの特定ということ以外にも、その後の私に大きな影響を及ぼしてくれました。

中でも、「個性が船をこぐ」ということが腑に落ちたことは、最大の発見でした。自分のソウルタイプを知ることで、その後の人生のあり様が見えてきたのです。もちろん具体的な道筋や方向性が見えてきた訳ではありません。「ソウルタイプが、自分の道を知っているだろう」という感覚を得たのです。

それは、植物の種が、その後の発展過程を全て知っていることに似た感覚かもしれません。種が芽を発芽し、茎を伸ばし、葉を展開させ、開花させる道筋は、誰かに聞いたり、隣の人を真似たり、マニュアルを読んだりして、発展する訳ではありません。全てのブループリントのようなものが小さな種に中に凝縮されています。

そう考えると、バッチの言葉である「人生という海を渡る船の船長になることだけ」の「だけ」という単純で簡単な意味を表す助詞の意味もわかるような気がします。

「人がしなければならないことは、自分の個性を大切に守り、自分らしい
人生を生きること、人生という海を渡る船の船長になることだけです。
そうすれば、全てがうまくいきます」

いずれにしても、この13年前の体験が、エッセンスを学んでいくうえで、欠かせないマイルストーンとなり、エッセンスに対する基本的な姿勢を作っていることになります。また、同時に、自分自身の生き方に大きな影響を与えたことはいうまでもありません。

ただ「種」が、その後の道を歩んでいく過程には、予測もしないような環境の変化もあるのです・・・。起承転結で例えるなら、ゴースの体験が「起」、タイプレメディの考察とヒーリングハーブス社での体験が「承」です。とうことで、次回は「展」。小説や映画では「展」は、物語のクライマックスです。果たしてクライマックスに相応しい内容のなるのかどうか、楽しみにしていてください。

東海 豊

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?