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知人の死から茶の湯と向き合う

1週間前の火曜日。
だから、2020年9月1日のことです。

仕事のお昼休憩中に、知人の死を知りました。
偶然、Facebookで知り合いの投稿で。スタバのコーヒーを飲む手がピタリと止まりました。

マジ?
こういう投稿、たまにFacebookで見るけど、、、本気で、本当に言ってんの?というのが本音。
だって、、つい1週間前、つまりは8月24日の僕がFacebookにあげた投稿、彼女はイイね!してくれてたよ??

それが、亡くなったって。

彼女は、ファッションの仕事を通して切磋琢磨しあった自分の生涯の一時代における戦友でした。
20代後半から30代前半の時期を、身近で高め合い、時には勝った、時には負けたときそいあった仲間。

お互い、ファッション販売の店長を20代で経験しながら挫折したという共通点もあったり。
そして、高校も同じ高校という奇遇も。
僕はファッション販売業界のなぁなぁな雰囲気が大っ嫌いで極力同業者とは関わらないようにしていたけど、彼女だけは別でした。

まぁ、似た者同士だったよね。

同じ獅子座、まわりに無茶苦茶気を使うし一見華やか朗らかだけど、自分の悩みは抱え気味。

一緒にカフェでだべったり、斉藤和義さんのライブに行ったりしたっけ。

そんな、親しくしていた仲間だったけどある時些細なことが原因で疎遠になってしまった。
本当、ささいなことだったな。

それから、話さない期間が続きいつの間にかお互いその時の仕事を辞め別々の道へ。

そんな彼女と再会したのは僕が会社を辞め、ユーラシアを旅した後に勤め始めた勤め先で。
数年ぶりに話したけれど、そこから先は以前通りに接するように。
だけど、今振り返ると以前のことがまだ喉に引っかかってどこか遠慮していた気もする。

だけど、ある時から彼女の姿がお店から見えなくなり「休職になった」とだけ知り、しばらくしてコロナ騒動に。。
そして、9月1日を迎えたのだった。

仕事上がりにそのままお通夜へ駆けつけた。
月が綺麗な日だった。
斎場に掲げられた名前、遺影、亡骸。
あぁ、これは本当のことなんだ、と。

言葉のかわりに涙しか出ないんだよな、こういうときって。
お母様が「お茶の方ですか!よく喋ってくれていましたよ」と話してくださるけれど、、僕はそれ以上話題を広げるのが怖かった。
彼女が、自分のことを話題にしていたことを詳しく知ると大泣きしそうで。

ひとり、満月を眺めながら家路についた。


その翌日は元々予定していた富山県南砺市の上畠アート、中尾さんの粥茶事へ。
中尾さんは7年来お世話になり尊敬している懐石の先生だ。

そんな中尾さんの茶事は、、友人の亡骸を色濃く思いながらのお茶となった。
お花や御料理や全てひっくるめて時間がいつも以上に有り難く感じる。

この景色も料理ももう彼女は体験しないのか。人1人が死んだというのにこの世界はまったく変わりもせず当たり前に今日という日が過ぎていく。
きっと、俺が死んでも何にもなかったように知り合いの皆んなも日々を過ごしていくのだろうな。
次から次へ、考えが駆け巡る。

考えが巡りながらも、正午から始まった茶事も終わりかけの頃、酒の肴にと連客がアカペラで一青窈さんの「ハナミズキ」を唄われた。

時間は午後2時。
骨上げもきっと終わってる頃なんだろうなと思いながらハナミズキを聴き終えいただいたお茶は、生涯忘れえないときっと思う。

亡くなる1週間前、友人から僕のFacebook投稿にイイねのリアクションあっと書いたが、彼女は身体が病の限界の中でやっとのリアクションだったとお通夜で知った。
その時の投稿も茶の湯の投稿だった。
彼女は僕の投稿に何を思ったか分からないし、死者の思いを自己に投影するのはエゴだとも思いつつ、後悔をする人生だけは送りたくないと思った。

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