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#2-2 VETEMENTSのMA-1の人

 ──2022年2月12日。土曜日。門前仲町。品の良い下町という感じが好きで清澄白河や門仲あたりを散策するのにはまっていた。ここらへんは生活感がありつつ何処か品があるような服装の人が多い。

 その日は駅前のマクナルで軽く食事を済ませ、門前仲町の商店街を当てもなく歩き出した。生憎の曇りがちの天気だった。数分もすると商店街を抜け閑散な裏通りにでた。商店街やアーケードは日が当たらないのでのっぺりした写真になってしまう。だからいつも太陽が当たる裏通りへすぐ道が逸れてしまう。

 ──30分ほど歩いただろうか。人通りもほとんどない住宅街に入ってしまった。江東区は住宅街のような場所にも隅田川から分岐する複数の川が流れ、自然とコンクリートが調和する街だ。東京の窮屈さを感じさせないどこか開放的な空気がある。杉並や中野のようなカオスな場所も個人的には好きだが、住むならここら辺が良いな、などと考えつつ歩いているとふと視界に江東区に似つかわしくないカオスなファッションのおじいちゃんが目に入る。

 推定60代後半〜70代前半──、エスキモーのような帽子に、見たことがない毒々しい色をしたMA-1。半年に一度出会うかどうかの激渋ナチュラルストリートスタイルのおじいちゃんだ。正直この閑散とした通りで声をかけても写真に応じてくれるか不安だったが、思い切って声をかけてみることにした。

YT「あのー、すみません──。僕カメラマンしてて年配の方のファッションテーマに写真とってまして、すごいジャケットがかっこいいなーと思ったんですけれど……」
OJ「ああ!ジャケット?いいでしょ?これ」

 思ったよりも気さくなおじいちゃんで安心した。リアクションも良い。

YT「めっちゃかっこいいです!どこで買われたんですか?」
OJ「これは貰い物ー。仕事先のお客さんから。まだ着れるのにもったいないよな〜」
YT「え!これ貰い物なんですか!?」

 なんとこのVETEMENTSのようなカラーリングのMA-1は貰い物らしい。もしかしたら前の持ち主は派手なカラーリングが着づらくなったのかもしれない。しかしツヤのあるパープルがラグジュアリーさとストリートの無骨さを両立させ、今の時代の気分にドンピシャだ。

YT「お仕事は何されてるんですか?」
OJ「清掃の仕事!今もその帰りでね。このジャケットも清掃先の人からの貰い物。みんな色んなもの要らんって言ってくれるんよ。」

 清掃の仕事をしているらしい。色々なものを貰えるということは廃品回収系の仕事だろうか?それにしては片手に小ぶりのアタッシュケースという技術職のような装備でもある。アタッシュケースをもつ手にはスキーグローブのような厚めのナイロン手袋だ。靴は防水用のコックシューズの様にも見える。手袋と靴の感じから見て、水を使う何か特殊な清掃仕事なのだろうか。MA-1の下には清掃員のユニフォームらしい蛍光色がチラリと配色されたジャケットが見える。

YT「そうなんですね〜。まだまだ着れそうなのにもったいないですね〜」
OJ「そうだよな!こっちの帽子もお客さんから貰ったけどまだまだ被れるからな〜。これはお気に入り!」

 このラピュタ帽子も貰い物らしい。頭部にはゴーグルがついており、毛もフカフカで暖かそうだ。シルバーのサラリーマン風のメガネと帽子とのギャップが私には考えつかない様な組み合わせでかっこいい。こういった想定外のスタイリングが見られるからおじいちゃんファッションは面白いのだ。

YT「じゃあすみません、一枚撮らしてもらいます!」
OJ「どこ、ここでいい?」
YT「はい!そこの道バックでお願いします!」
カシャッ
YT「バッチしです!ありがとうございました──」


 ──ぼくは配達員や清掃員の人たちの制服が好きだ。なぜなら彼らの制服は仕事という形で彼らに深く結びついたファッションだし、その職を選んだ彼らの内面や人生を窺い知れる気がするからだ。
 彼らはあらゆるアイテムを決して他人のためでなく、自分のために着用する。ビル管理の警備員はたくさんの鍵を管理するためにカラビナを腰につけるし、水場の清掃員は足が濡れないためにゴムのロングブーツを履く。カニエのゴムのロングブーツのスタイリングがいくら斬新で魅力的に見えてもそれは詰まるところ他者との差別化、デムナのクリエイションへの憧れ・尊敬という他者にベクトルが向けられたチョイスであり、徹底して自己を意識した清掃員のゴム草履の強度には敵わないのだ。
 労働者の制服の、徹底して他者への意識を排除する性質を我々は無意識に理解しているからこそ、ふとした瞬間に腰元のカラビナやゴム手袋、サイズが合わず腰パン気味の清掃員の掃除姿が格好良く見えるのかもしれない。

 ──制服の外しが貰い物というところもいい。
貰い物とは貰った人の人間関係や思い出、つまりその人の人生と接続されたアイテムであり、時には他者には価値が認められないものでも当人にとってはすごく大事なものだったりする。そういった意味では貰い物はすごく自己に根差したアイテムなのかもしれない。
 昔ハワイにいたころABCストアの一枚5ドルのTシャツを買うのにハマって数十枚は持っていた。誕生日に友人が5ドルTシャツを一枚プレゼントしてくれた。ほとんどのTシャツは処分してしまったが、そのTシャツだけは未だに着ている。デザインが特段好きなわけではないし、なんなら処分したものの方が好きなデザインもあった。しかしそういう話ではないのだ。そのTシャツにはハワイにいた頃の思い出が全て詰まっている。恐らく世界中で僕だけが価値を見出すTシャツだろう。
 お客さんは価値を見いだせなくなったが、このおじいさんはその帽子やMA-1に価値を見出した。その価値とは世界中でおじいさんのみが真に理解できるものであり、それはおじいさんの人生に接続された価値なのだ。


 制服+貰い物という究極のNOT PLASTIC FASHION。
おじいさんのスタイリングの背景を知ることでメタリックなMA-1がより一層眩しく、格好良く見えた──


貰い物vetementsMA-1のおじいさん


貰い物 X 制服のレイヤリング


右手の装備


ラピュタ帽子 X ビジネス眼鏡

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