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変えられない私。どうかお願いです。


自信が無いからこそ、出てしまう小言に。
日々のお仕事の中で、自分の人生に向き合ってるみたいで、とてつもなく苦しくなる私の情緒の不安定さに。
顔色を窺って、相手の為のようなフリをして
私の安心の為にしていることに。言っている綺麗事に。
出来るフリが上手な私に。

彼は何を思うのだろう。

日々向き合う子どもとおんなじように接さなければならない時も多い、私との時間に。
私の不出来さに気がついて、人柄の悪さに気がついて、悪い意味で私の名前を挙げる人がいるであろう空間で過ごす時間に。
余計なお世話だ、って言いたくなるほど先回りしてあれこれ済ませて、褒めて欲しいだなんて態度でいる私に。

苦しいんだ。幸せなはずなのに、共にする空間が沢山あって、2人だけの空間なら何も思わないことも、お仕事が同じせいで他の人からみた私を気にしながら生きたり。お仕事で出来るフリをしているからこそ、お家での生活も同じようにしなきゃって一生懸命になる。"別に良かったのに。"っていうような言葉が返ってきたらさ、毎度、これまで小さな小さな集団の中で人の顔色ばっかり窺って生きてきた自分がぽっくり戻って来て、「ほらね、私はこうなんだ」って、自分が大っ嫌いになって。これまでだってそうやって、"頼んで無いのにさ"って、"ただの自己満足"って、そういう一生懸命になっても、そんな風に返ってくる場面に数え切れないくらい出会ってきたのに、お互いの職業柄的に、「これが私の生きてきた人生だよ、分かってよ」みたいな気持ちでいてしまって、さ。

どうやったら、そのままの私でいていいって思ってもらえるのか分からなくて、出来るフリが上手なんだ。ありがとうって言われる為の行動を逆算して常々していないと不要だと捨てられてしまいそうで怖いんだ。

やらなきゃ、できなきゃ、と
甘えられるようにならなきゃ、できないも認めなきゃ、とで今、頑張っています。

キャンプで必要な氷、持っていかなきゃって言ってたから早朝に買い行ったんだ。「ギリギリに買いに行きたかったんよ」。
遠出するのにガソリン無かったから、寝ている間に入れに行ったの。「ガソリンくらい適当に入れとくのに」。
運転してくれてるから、お菓子の袋開けるし、ウェットティッシュも出すしさ。「適当にするから」。
いつもお金良いよってしてくれるからコンビニくらい率先して払う。「細かいのあ、、おーいちょっとくらい待ってくれよ」。
組み立てをしてくれていたら、必要な部品を用意して作業が進みやすいようにしたい。「そのへん置いといて」。

ドキってする。全部全部怖い。
嫌われたくなくて良かれと思ってしていたり、
私の人生で付きものだった身近な人の機嫌の取り方だったり、そんな私の今までからできた私が、どうしたら良いのって叫び出す。

どうしたら、私の行動についている気持ちが届くのかな。全部、私一生懸命なんだ、毎日。

私がしなくても、大丈夫なんだ。進むんだ。
何も、何一つ、困らないんだっていう瞬間も、言葉も、何度も何度も脳内で旋回して、苦しい。
すごく、すごく、苦しい。

私、23年間もこうやってしてきたから、今更
何にもしない、なんて出来ないの。そのままで良いよ、なんて言葉全然信じないの。

出来る人だって、良い人だって映って、減点方式かな?
それとも、私のできなさと分からなさを知って
その上で、そのままで良いなんて私にとって不安でいっぱいな言葉を、私を想って掛けてくれてるのかな。

私は、何にも出来ないよ。だから空回ってばっかりだけど、私でも出来ることを一生懸命しようって決めてるの。出来るフリをしてしまう癖は直らないけど。

ありがとう、助かった。なんて言葉で私は頑張れる、私で良いんだって思える。お願いです、邪魔かも知れない、私の力なんて微々たるもので不要かも知れない。だけど、側にいてくれるなら、私はそんな言葉が欲しいです。




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