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3.11と写真と”覚悟”と言うもの

2011年14時46分にソレは起きた。東日本大震災。

東京に居た私は何もできず、ずっとテレビにくぎ付けで送られてくる情報を追っていた。情報が伝わって来れば来るほど現地は凄まじい事になっていったのが今でもありありと思い出される。

暫くして日本各地からのみならず外国からも沢山の”報道陣”がやって来た。その中にKさんが居た。彼は私のパリ時代の写真の先輩でもあり今でも良い友人である。その彼が外国通信社の先導役として急遽日本に飛んできた。

彼はイギリスで報道の勉強をしたフォトジャーナリストで様々な現場に行っていたので、この状況で先導役に選ばれたのは必然だったかもしれない。彼は通信社の記者を引き連れてそれこそ災害の先端まで行くことを言われていた。

日本に降り立った彼は…カメラを持ってきていなかった。

「今回、僕は写真家としてより日本人としてやって来た」

彼が先導して震災被害の先端まで行った時に当然とても悲惨な事になっていたが、外国人報道家は「もっと沢山ある場所に連れて行ってくれ」と言ってきたらしい。何が沢山か、は敢えて書かない。

普通ならば不謹慎でもあるし日本人としては怒りたくもなる発言だが、彼らはこの大変な状況を世界に知らせるという「使命」を持ってやって来ていた。彼らは「人としてより報道家として」日本に入って来た。もちろんこれを全面的に支持はできないし正しいとも言えない。ただ、そこには「覚悟」があった。

このいつまでも答えが出ない「人命か報道か」の命題は、1994年に『ハゲワシと少女』でピューリッツァ賞を受賞し、その後のバッシングや議論で自らの命を絶ったケビン・カーターの例が有名である。私もどちらが正しいのか未だに分からない。多分、死ぬまで分からないだろう。

彼は私に言った。

「ユタカさん、あの状況は日本人には撮れないよ。でもね、その最悪の中から立ち上がる姿は日本人にしか撮れないよ」

と。

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