叶わなかったけど

 大学生になってからテレビのない生活を送っていた。テレビを買うお金も無く、最初の一年は友達の部屋に行ってテレビを見せてもらうことが多かった。その一年でテレビっ子からテレビの無い生活にすっかり慣れてしまった。今25なので、そうやって7年以上テレビを持たない生活を送っている。実家には4台のテレビがあった。僕の部屋と母の部屋と兄の部屋と茶の間の4箇所だ。7人家族とまあまあ大きな世帯だったのでチャンネルの争いも起きる。そうすると茶の間に群がっていた集は茶の間に父を残して散らばったりした。ゴールデンタイムに父が見ていたのはプロ野球の試合だった。

 物心ついた時には巨人の試合を見るのが日課になっていた。当時は高橋由伸が打順3番の全盛期の時だった。父と祖母が巨人ファンなので負けた時は巨人の悪口を言っていたのを覚えてる。僕の兄弟も同じく野球を見るのが好きだった。2つ上の兄と4つ下の弟と一緒にテレビ画面に夢中になっていた。試合が終わる頃には茶の間で寝てしまって、母に起こされたものだった。僕の地元は世帯がとても少なく、子供の人数も全然いなかった。小学校は同級生が僕を含めて5人。中学校は19人だった。小学校の時は兄と共に市街地の剣道教室に通っていた。先生がとても怖くて行きたくないと泣いた時もあった。兄も僕もよく小学校のグラウンドで友達を呼んで野球をした。当時放送されてた『メジャー』を見て野球をやりたいと思ってた。夕方暗くなるまで野球をして、泥だらけで家に帰った。靴の中が砂でいっぱいになってその度に風呂場で洗ったり、洗ってもらったり。怖い剣道教室よりは断然楽しかった。

 中学校に上がると剣道教室も無くなった。勝てる様になってきて、剣道も楽しいと思える様になった頃だったので、中学でも剣道をしたい思いもあった。少し人数が増える中学校でも生徒が少なかったため、剣道部はおろか野球部もなかった。ここでも兄と一緒の卓球部に入った。卓球部ではユニークな仲間と優しい先輩、コーチ、先生がいて毎日が楽しかった。試合でも勝てる様になってきてラバーも高いのにしたり、東京に修学旅行に行った時は張り切ってラケットを買い替えたりした。松本大洋の『ピンポン』の実写、漫画に影響されて、ペコみたいに自由にラケットを振るのに憧れた。でもどこかに、野球に打ち込んでみたいという思いはあった。2年生になり、担任の先生が変わった。高校で野球をしてみたいと打ち明けたところ、バッティングの教則本とトレーニングの本を貸してくれた。朝起きて小学校の校庭にバッティングティーを持っていき球を打ったり、毎日野球に必要な筋肉を鍛えたりした。

 高校に上がると、卓球部からも剣道部からも誘いが来た。どちらも楽しそうだった。その反面、野球部はみんな僕と体格が二回りくらい違い、これじゃあダメだと思った。同級生の野球部では輪が出来ていて入れるものでは無かった。結局、剣道部に所属した。試合では負けてばっかりで辛かったが、チームメイトが互いを励まし合い支えてやっていた。みんなすごく好きだった。3年になり最後の試合で不甲斐なさのあまり大泣きしてしまった。一生懸命やって来たんだなと思った。

 結局野球部も経験すること無く、大学に上がった。大学では趣味のギターを思いっきり弾こうと思っていたので運動部には入るつもりは無かった。社会人では野球ではなくサッカーをやった。先輩方に誘われてのことだった。これもまた弱かったが楽しかった。

 野球を軸に人生を振り返ってきたが、今ももちろん好きだ。コロナの影響で去年の甲子園が中止になったのは本当に残念だった。WBC第一回と第二回は兄と声を上げながら見ていた。楽天が日本一になった時も飛び上がって喜んだ。甲子園は1試合1試合が本当に面白い。感動をもらって来たから、憧れて来たから僕は野球が好き。

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