進まないの話

どうでもいいとこからどうでもいいとこへとただ流れるように生きる、なんてことは完璧には出来ないんだと思う。苦痛が体を蝕んで、苦悩が心を蝕んで少なくともそこから逃げようとする反応を持っているだろう。だから、自分は逃げられない。どうでもいいことなんてどうでもいい、と流せるようになるには時間が要る。どうでもいいと思いたいことが頭にこびりついていて離れない。ずっと離れない。周りから考えすぎたと言われることがある。全く考えすぎなんかじゃない。嫌なことがただぐるぐる回って、言われた言葉を何度も繰り返して、慣れようとしてるのかな。それこそ時間を頼りにして、毛頭整理なんてつかないことを忘れたり、慣れたりしてるんじゃないかと思う。
考えすぎじゃないけど、考えてない訳でもない。嫌なこと言われたり、嫌なことがあったりした時、今までこんなことあったなぁとか、言われたなぁとかは考える。それに、この場合の反省ってなんだろうとか、問題のための考えるじゃなく反省のための考える時間を設けてる。これって逃避なのかな。逃避っぽいな。
この間、ネガティブに逃げるなって言われたけど、絶望した。上手くいかないことを悔やんで、自分を責めて、そりゃ落ちる。落ちるけどそれが救いだったりする。その時点で問題が解決されないのは分かるんだ。だけど、自分と向き合う時間、自分を落ち着かせるための時間が欲しい。なんて思ったら、お子様だったりするのかな。みんなそういう時期とか乗り越えてるのかな。自分を捨てて問題に向き合ったらいいのかな。どうしても自分を離れたくない自分は生産的じゃないのは分かるけど、自分と向き合うと救われるんだよなぁ。絶望の果てに希望が見える見たいな、ちょっと違うかもしれないけど。飽きるまで絶望しないと上向けなかったりする。
話全然まとまんない。ずっと悩んでること書けたのうれしい。問題に直接向かうの苦手な自分はやってけるんかな。センサーが不純物とか危険物に反応して自分の安全装置を確かめるみたいな話です。

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