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勝ち続ける代償は…

3月。

二度目の大阪杯を安定したレース展開で勝利した直後、ウィナーズサークルに向かう途中で、妻は力無くへたり込んでしまった。2年前の「すみれステークス」の悪夢が頭をよぎる。

菊花賞での奇跡を境に、彼女のメンタルはたしかに快復した。しかし懸念の血行障害が治癒した訳ではなく、その後も食事面、トレーニングと休息とのバランス、レース前後の血圧測定などを怠る事なく留意してきた。もちろんこの日のレース前も血圧は正常値で、控室でもパドックでも、彼女の体調に変異は無かった。

トレーナー席を飛び出し、私は妻の元に駆け寄る。
「…ユ…ユ…ちゃん…」
微かに意識があるのか、か細い声で妻は私の名を呼んでいるようだ。
「今は何も喋るな、リョウコ。」
彼女の躰を一旦仰向けに寝かせる。レースフィールドの中だったが、私はとっさに妻の本名で呼びかけていた。

係員が担架とともにやってきた。私は
「大丈夫です。私が医務室まで運びます。」
と伝え、彼女を抱きかかえて、ゆっくりと歩き出した。まるで繊細な硝子細工を運ぶように…。

ほのかに汗ばんだ妻の顔、血色は悪くなさそうだ。最悪の事態ではない…そう信じたい。
「痛いところは無いか?胸が苦しいとか?」
努めて穏やかな声で語りかける。彼女は少し眉をひそめ「くぅ~」と声をあげる。

医務室では既に彼女を受け入れる態勢が整っていた。医務官たちがテキパキと動く。ベットに寝かされた彼女は意識はある様子で、少し急いた息遣いながら、じっと私を見つめていた。
「…ユタカちゃん…」
小さな声だがハッキリ聞き取れる。大丈夫かな?それとも、また私を安心させようと無理をしてるのかな?

所見では特に異常は見られなかった。若干血圧が高いものの、レース直後なのを考えれば妥当な数値だ。ひとまず胸を撫で下ろした。スタッフと話し合い、彼女をこのまま少し休ませて、私の車で病院まで行く事とした。

「大丈夫か、クリーク?久しぶりのレースで、少し疲れたかい?」
「トレーナーさん、ごめんなさい。少し2人きりになれますか?」
「ここでは難しいかな?控室まで運ぶよ。」
「大丈夫です〜、自分で歩けますから。」
妻…いや、スーパークリークは、いつもの穏やかな口調に戻っていた。息遣いも落ち着いてる。
「たまにはトレーナーに甘えなさい(笑)」
私はそのままクリークを、先程と同じようにお姫様抱っこの要領で抱え上げ、控室へ向かった。

「トレーナーさん、ごめんなさい。実は私、もうガマンできなくて〜。
控室に戻ったら、
ご・ほ・う・び、
お願いしまちゅね♥」
…なるほど、そういう事か…。
「仕方ないなぁ。」
「うふふっ。やっぱりユタカちゃんは、いい子でちゅね😘」

…私は今から赤ちゃんにされる🍼…

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