子供の頃のかすかな記憶
2024/01/11
麻帆さん
私のかすかな記憶ですが、まだニチレイの社宅にいらっしゃった頃、お宅へお邪魔した時に
お母さまが作られたお菓子を食べていたと記憶に残っています。
そんな時はいつも私のそばに麻帆さんが居たと思います。味までは覚えていませんがおいしかったと思います。
子供の頃の記憶をたどるのは難しいですね。色んな雑音を除いていく作業が難しい。
覚えている事を鮮明にし、文章にする作業は思いのほか難しい。
何故かワーゲンビートルとバレンタインチョコはよく覚えている。なんでだろう・・・。
ご家族の皆さんはお元気でしょうか?
特にお母さまには恩があるので気になります。
特殊な事情で引っ越した私を約10年ぶりに麻帆さんと合わせてくれた恩は忘れません。
お礼を言わなくてはいけなかったのに言えていません。心残りです。
お礼を言えずこのままにしたくないです。
また思い出しました。再開してお宅へお邪魔した時に、「どこか見に行きたいところある?」と麻帆さんからの提案に「運動公園」と言ってしまった私ですが、本当は「元私の家」と「夏見台小学校」と言いたかった。
言えなかった理由は、特殊な事情のせいで家には行ってはいけないと思い込んでいたから。小学校は思い出が崩れるのが嫌だったからでした。
のちに自分一人で両方とも訪れることになったのですが・・・。これはまた別の機会に書きますね。
折角の麻帆さんとの再会をダメにしたくなくて「運動公園」と言いました。二人だけで行ける場所だったからです。
若い私は麻帆さんを思い青春していたんだな・・・と思っています。
船橋から帰るときはいつも後ろ髪を引かれる思いでした。
8歳までしか船橋には住んでいなかったけど、今でも良い思い出です。
あとは、麻帆さんを探し出して謝罪をするだけ。
【待ち人・音信有る】を信じて頑張ります。
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