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船橋の記憶

 
記憶に残っている船橋は、駅前だけが栄えていたと記憶しています。
駅から自宅まではバスで15分ぐらいで、まだまだ畑や雑木林が沢山あり、
長閑な場所でした(1978年当時)夏見台小もそんな場所でしたね。
麻帆さんはニチレイの社宅に住まわれていましたね。
ぽっちゃり可愛い女の子でしたね。
髪の毛はロングでパーマをしていたように記憶しています。
何度も母に連れられ、ご自宅へ遊びに行った記憶が有ります。
麻帆さんのお母様は料理上手だったと記憶しています。
下に妹さんが一人(名前を思い出せませんごめんなさい)
マルチーズが2匹、溺愛されていましたね。
確か自家用車はワーゲンビートルだったような気がしています・・・。
当時まだバレンタインデーの習慣は1年生の私には無く(母からも貰ったことが無い)
状態で、学校帰りに麻帆さんが通学路の途中で待っていてくれて、ハートのチョコを
私に渡そうとしていたのに、その習慣を知らない私は走って逃げた事、ごめんなさい。

ここから記憶が一気に進んでしまいます。覚えていないのです。
と言うか、私自身が船橋を離れてしまったからです。
いきなり船橋から離され、静岡県静岡市へ引越しし、小学2年の途中から、中学3年まで、静岡で過ごすことになります。
中学3年の時、東京(関東)に戻る事が決まり、私は中学3年の3学期は受験の為半分ぐらいは東京へ来ていました。
そんな中、船橋を思い出し、一人で船橋の元実家を見に行ったり、夏見台小を見に行ったりしていました。
多分だけど、母はそんな私を見かねて戸倉さん(お母さま)に連絡を取ったのではないかと推測しています。
 久しぶりに船橋に行ったのは、母から戸倉さん(麻帆ちゃん)と連絡とったから私の代わりに行って来て・・・。
と言われたからです。
 麻帆ちゃんに逢えると分り、その日までドキドキしていました。
電車に乗り、数回乗り換え、船橋に近づいてくると、手に汗をかいていた。
 船橋につき7年ぶりに再会した麻帆ちゃんは【麻帆さん】になっており、記憶の中の麻帆ちゃんから、麻帆さんへ容姿が成長していてびっくりしました。
東武デパートの遊び場に誘われ、少し密着したことにドキドキでしたよ
ブラックライトが麻帆ちゃんの下着を浮かびあがらせたことに驚き、思わず他人に見られないように私がそれを隠しような行動をとっていた記憶が有ります。
そんな事もまるで気にしないような麻帆ちゃんは不思議な子に見えました。

 何度目か、ご自宅にお伺いした時に二段ベッドの下の階で、二人でいちゃついていた時に突然扉が開き、お母様に何か麻帆さんが言われていた(怒られていた)ような記憶が有ります。
 一番うれしかったのは、私の事を忘れずに覚えていてくれた事、私の事を好きでいてくれた事です。
 ご自宅から私が帰るとき、バス停まで送ってくれて、バスに乗ろうとした時に突然キスしてくれた事  これが一番ドキドキしました。
 ドキドキと言えば、船橋ではないのだけど・・・。
戸倉への旅に誘って頂いた時に・・・この日は忘れられません・・・。
麻帆さんの態度が非常に冷たく、私を避けているように感じていました。
私は私の素行の悪さのせいで嫌われてしまったと考えていました。
海でバーベキューしていた時に、麻帆さんは黄色の水着に着替え、私はそれを見て凄くドキドキしていました、とても奇麗でしたよ💛
直視できず、逃げるように岩場へ移動してしまいました。
本心は、あられもない姿の麻帆さんを沢山の男性に見てほしくなかった・・・。
自分だけの麻帆さんでいて欲しかった・・・。

最後に、私は嫌われていたのか知りたいです。
わっしの人生の中でずっとこの事が頭からどんな時も離れません。
それだけでいいから私に教えてください。

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